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行きつ戻りつ

  • 行きつ戻りつ
3月21日(水) 朝は3センチほどの積雪 あとは晴れたり曇ったり
なにしろ風が冷たいな。

車に積もった雪は3センチ程度だけれど、湿った雪で、ワイパーがグググググッと、途中で止まってしまった。
やはり、3月の雪だ。



風が冷たいながら、陽のあたる南側は雪山の雪がどんどんと消えているのが解る。

それでも、あちらこちらで家屋の軒が壊れたり、倉庫や車庫が壊れたりしているのは、雪が水分で重くなってしまっているからだ。
降ったばかりの雪だとかさが多く見えても、それほどではないのだけれど、今頃の雪は、1立方メートルで、0.5トンを超えることもあるという。
その重さと、軒と雪がつながっている場合は、下に引っ張るチカラで、建物はやられてしまう。




午後に、会議があって松川コミュニティセンターへ。
開館からまる1年、新しくて素敵な施設だ。

内装に、置賜の木を使ってあり、なかなかいい感じなのである。



地元産の木を使って家を建てる、とうのは夢なのだが、公共施設でそういう取り組みがなされるのは意味がある。
自分もいつかそういうことができたらいいな。



そして、cafe Laboratory(東京第一ホテル米沢の向かい側)で開かれている、ウメチギリさんの展示会へ。
センスの良い手づくり感のあるcafeの一角にある、隠れ家的素敵空間で、ウメチギリさんの作品の温かさとよくあっているように思います。

ちなみに22日まで^^


行きつ戻りつ、3月下旬であります。


2012.03.22:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

お彼岸の中日

  • お彼岸の中日
3月20日(火) 春分の日 
朝は晴れていたのだが、だんだん天気が崩れて、雪が降ったりやんだり。
風が冷たい。




お彼岸の中日。
お昼過ぎから、近所の方々が集まって来て、「お念仏」の大きな数珠まわしをしてご先祖さんのご供養を行う。


お彼岸中、中日を挟んで、檀(布施)・戒(持戒)・忍(忍耐)・進(精進)・禅(禅定)・智(智恵)、この六波羅蜜を修行することによって、迷いのない境地に到達しようという意味がある。
それが、こちらから見た彼岸(あちらの岸)ということらしい。

日本では、春と秋の昼夜が同じになるこの時期に、ご先祖様のご供養と結びついた行事として定着してきたのだ。



大きな数珠の真ん中に、頭を取る人が入り、鉦を叩いてリズムをとってリードする。
現在は住職がこの役。
以前は、ご近所の先達がなさっていたものだ。

数珠の大きな玉を母珠(もしゅ)と言って、仏様とみなすのだ。
この玉が回ってきたら、少し上に掲げて拝もします。
「南無阿弥陀仏(♪なむあみなんぶつ)」「♪南無地蔵大菩薩」「一遍南無世と申すには♪」というふうに、小一時間続く。

現在おいでになる方は、全員戦前生まれのお母ちゃん(おばあちゃん?!)たちばかり。
習慣づいていて、ご案内するわけでもないのですが、めいめいおいでになる。昔から続けていることゆえ、当たり前のようになさります。

それ以降(戦後)の年代の方々には、一度、ワークショップのような気持でもよいので、参加なさってはいかがかと思っている。

仏さまのご供養ということだけではない、気づきが得られるように思う。




そのお念仏が終えた頃に、伯父が入所している施設から電話があり、市内の病院へ行った。
今朝から不調を訴えていて、昼になっても回復しないため、救急外来に入って検査を受けていたらしい。

とりあえず、ICUに一晩入ることになった。
意識も言葉もはっきりしているのだけれど、いくつかの検査をしなければならないようだ。
88歳なのだがとても知的な部分の衰えはない人なので、一通り説明を受けて理解できていた。

この病院のこの窓を、3年前の今頃、伯母の入院のために何度見上げたことだろう。
なんだかちょっと切なくなった。

こういうめぐりあわせなんだろうな。
伯父には回復してほしいなと思う。


2012.03.21:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

今年のお彼岸・・・

  • 今年のお彼岸・・・
3月19日(月) 朝、前夜からの雪が積もっていたものの、日中 基本は晴れ

しかし、一日強い風が吹いていて寒い。
県内は、吹雪のところもあるらしいが、こちらは陽は出ている。

本堂や仏壇の掃除などをしつつ、一日を過ごした。




Berrysさんからいただいた卵、種類と大きさもいろいろなんだけど、美味しい。
卵かけご飯にしたりして楽しんでいる。
シンプルに食べるのがいいようだ。



写真の撮り方がイマイチで、あれですけど、やわらかく焼いた目玉焼きをご飯に乗っけて醤油をちょいと垂らすと、これがまた美味い目玉焼き丼。

私が「目玉焼き」と言ったら、母は「んじゃ、二つ焼かなんねべした」と言う。
あれ???
間違ってる?(どちらかが?!)

というような頓珍漢な会話をしつつ、老境の両親と食事である(^^;



移動販売のさかな屋さんが塩クジラを持って来たそうで、母のお得意のクジラ汁。
ほんとにちょっぴりしか入ってないけど、これがなかなか、味が出て美味いのである。

今年は閏年ゆえ、二十日がお彼岸の中日。
去年よりお墓の雪は多く、まだこちらの墓地では墓石の頭しか見えていない。




去年の今ごろは、震災で耳に入ることや目にするニュースが、たいへんなことばかり。
ガソリンなどの燃料不足の不安、出かけることもなくすることもなく、気持ちが沈んでいた。
まだまだたいへんな人がたくさんいて、じつは原発などの不安要素はいっぱい見え隠れしているのだけれど、表面的には平穏に物も取りあえず普通にある。

去年あったことや不安な思い、そういったことは、心に刻まれて思い出すことになるのだろう。
そして、今こうしていられることに感謝である。その上で、得た教訓を生かしていかなければならない。





2012.03.20:dentakuji:コメント(2):[なあまず日記]

分かち合う

  • 分かち合う
3月18日(日) 小雨 曇ったり降ったり

昨日の結婚披露宴で貰って来た「ちらし寿司」を朝食で両親と分けて食べて、お祝のおすそ分け。
七宝寿司と書いてあったかな?!
結婚のお祝いだから「ちらし」という言葉は使わないんだろうね。




そして日曜日、地元の三沢西部小学校の卒業式があり出席。

体育館が耐震強度に問題があり昨年から使用できなくなっているため、隣の田沢コミュニティセンターホールでの開催になった。
昨年も体育館が使えず、小学校のラーニングルームで行われた。

全校児童数40人、卒業児童5人という、小規模校ゆえにこういうやり方もありなのだ。




じつは、この後11時から法事があるため、終了予定時刻の10時45分を過ぎるようだったら、途中退席させてもらおうかと思っていた。
学校評議員と児童委員の私の席次は、いつも前列の後ろから二番目ぐらいなので、大丈夫だろうと思っていたのだ。




ところが、会場のスペースが違うためか、後列の一番前方、市長(代理)の後ろになっていて、ちょっとこれは無理な状況になってしまった。




しかし、式は滞りなく進行。

それに、卒業証書授与の後の、卒業生と在校生ら全児童の歌と呼びかけ、教職員と保護者の皆さんによる卒業生への言葉などに感動。
とても途中退席などする気持ちにならなかった。
少人数の学校らしいお互いの顔が見えて、皆のことがよくわかるため、最初は笑っていた下学年の子供たちまで号泣する、ヨロコビと寂しさを分かち合う場になったのだ。


5分遅れて閉会。

それからダッシュして帰宅し、ご法事の檀家さんのお宅へ。
その家庭にも5年生の児童がいるので、事情は承知されていた。

思えば、正月の顔合わせにお神酒を飲みつつ、法事の日程を話していおり、その時は卒業式は17日だから大丈夫だと何の疑いもしなかったのだった。


「まったくまったく…」と、親族の皆様に大笑いをされて、結果オーライということになった。
2012.03.19:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

祝福

  • 祝福
3月17日(土) 小雨 降ったりやんだり

春のお彼岸の入りである。
暑さ寒さも彼岸までと言うが、果たして今年はどうだろう。

それでも、確実に雪は消えていっているし、木の芽もふくらみ始めていて、春は近づいている。

さて、妻の友人であり、ミニコミに関わる仲間でもある女性の結婚披露宴に招かれて、二人で出席。
子どもをお願いしてのことで、相方はじつに久しぶりの遠出(山形市^^;)で、二人で出かけるのも同様である。




結婚披露宴に出席するのは、二年ぶりぐらいだろうか。
いやぁ、じつに華やいで、幸福感があふれていて、いいものだなぁ。
ちょっと、日常の中で忘れていたことを呼び起してもらえるような気がする。




喜びの笑顔と、感激が入り混じった涙、感謝の心と言葉。
じつにいい時間を共に過ごさせていただいた。

二人が素敵な時を共有して人生を歩まれますように祝福です。





そして夜、妻の実家に帰宅。
実家の皆さんにお世話になり、娘はちょうど眠りについたところだった。

娘の顔を見ていたら、自分たちにも、今日の花嫁の両親が味わった感情を知る日が来るのだろうかと思った。
相方もそう感じたらしい^^

そんな日を、ちゃんと迎えたいもんだなぁと思ったら、ちょっとうるっとしてしまった^^;

2012.03.18:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]