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「草木塔との語らい」 2012 当日 ②

  • 「草木塔との語らい」 2012 当日 ②
ということで、午前中は塩地平~大明神~神原~上中原と見学をして、田沢コミセンに戻り、記念撮影をしてからお楽しみの昼食。



今年は、いつもよりも年齢層が高いような感じ(^^;

参加者に食べていただくのは「ばんだい餅」。
実演つきです。

「ばんだい餅」は、昔、山に小屋を掛けて、何人かの組で一週間ほど山にこもって木を伐っていた頃、休みにする時など炊いたご飯を木の切り株の上などでついて、餅状にして、納豆をつけたりお汁に入れて食べたものだそうだ。


お昼に出たのはこれ。



くるみ・胡麻味噌、きな粉の二種類に、漬物と蕗煮で一人前。
山菜汁が付いとります。

昔は、こんなに豪華じゃなかったでしょうね^^;

草木塔祈願祭でお供えしたのもこれと同じです。




そして13時半から、星 寛治さんの講演。
講演だけを聴きに来る人も相当数おり、結局60人ほどの参加者になった。

開始から30分ほど、3.11を境にした価値観の変化や近年の気象以上などについて、氏の静かな語り口ながら現代の抱える問題点などの話題に引き込まれていたときに、なんと、家から(寺から)呼び出しの電話あり。

簗沢のお寺の檀家の方が亡くなられたとのこと。
いろんな意味で残念なのだが、寺に戻り、準備をして出かけた。




葬儀屋さんの通夜場で枕経のご供養をして、檀家さまと相談と打ち合わせを行う。
日程の都合上、23日に火葬と葬儀を営むこととなった。

17時半頃、再び会場に戻ると、講演・総会・交流会と予定通りに無事に進行して終了とのこと。
あとは、会場を片づけ、スタッフで反省会を行って全日程を終えた。

参加いただいた方々や講師を務めてくださった星さん、多くのスタッフの協力があって今年もなし得た事業。

「草木塔のことをもっと知りたい、もっと広く伝えたい」という思いは伝わっただろうか。

2012.07.26:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

「草木塔との語らい」2012 当日

  • 「草木塔との語らい」2012 当日
7月21日(土) 曇りのち晴れ 一時小雨

さあ、「草木塔との語らい 2012」いよいよ当日、本番である。

が、その前に、早朝からお隣りの上の町の地域のお祭り、「愛宕地蔵尊」のご祈祷のお勤めに。

本来は23日にお神輿と夜祭り、24日が本祭りなのだが、ここのところ一番近い日曜日に合わせて開催ということになっている。

今年は22日開催なのだけれど、こちらの都合もあり、朝掃除のこの日にご祈祷ということになった。



直登の山の参道を息を切らして登る。
アサイチとしては、なかなかハードである。
朝掃除を終えた町内会長さんが「おれは、今朝、4回目の登りだ!」と元気におっしゃる。
いやはや、ご苦労さまである。

なんとか7時までにお勤めを終えて下山である。
田んぼを背景にたなびく幟が美しいではないか!




8時に、スタッフは田沢コミセンに集合し準備と受付を開始する。
私は、説明・案内係と今日は祈願祭があるので、和尚の格好をしている。

私を知っている方は「あれ、今日は法事で出らんにのか?」とか声をかけてくださる。
なので、朝のごあいさつで、ハンドマイクを持って上記の都合について説明をさせていただいた。

午前9時過ぎには、マイクロバス2台と、乗用車3台で出発。
最初の場所、塩地平には準備のための先発隊がすでに出かけている。






約10分で現場に到着。
準備は万端にできている。
会長のあいさつ、市からのあいさつをいただき、いよいよ祈願祭。
草木供養塔の覆い屋の後ろは紅白幕。
下の平らな所に机を置き、石塔前には生け花・お神酒・お供え物…。
あ、自分が受け取った「ばんだい餅」のお供え物を、忘れてきた・・・・・・・。

230数年前に建立された時に、こんなふうにしたのでは、と想像しながら用意していただいたのを、置いてきてしまった(--;
が、一人のスタッフが急いで取りに行って持って来てくださった。

いやいや、ゴメンでは済まぬが、ゴメンナサイ&ありがとうなのだ。
ある意味、歴史的な祈願祭を無事に終了。




ご祈祷を終えたら、すぐに案内人に(^^;
どうも、修験の装束にハンドトーキーは似合わない、というより怪しいなぁ。


というとこで、時間がないので今朝のログはここまで。

2012.07.26:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

7月20日(金) 晴れ

  • 7月20日(金) 晴れ
7月20日(金) 晴れ

五日ぶりのブログである。
なんだかとても忙しかったり、咽喉風邪というか咳が出てガラガラ声になったり、ということになってPCの前に座る時間がなかったのだ。

夜、窓を開けたまま、着どころ寝をして、身体が冷えてしまって、ほんとは喉だけでなくて肺炎にでもなったんじゃないかと思った。まったく不覚だった。




畑のジャガイモに網をベタ掛けしてからはサルに掘られていないようだ。
それでも、近所で花火の音がすると外に出て眺めてみる。


午前中、父親の白内障などの眼科受診のため市立病院へ。
目の瞳孔が開く薬を使用するため、車の運転ができないのだ。
なかなかたいへんなものだ。


そして、午後からは翌日に田沢コミセン開催する「草木塔との語らい」というイベントの準備のためコミセンへ。




講演会の会場を設営し、当日の資料を印刷・製本・袋詰め!
女性陣が中心のお昼の「ばんだい餅」や山菜汁・漬物等の準備。
そして、祈願祭のための花を活けたり等々、13時から17時半までたっぷりかかった。

それから、一人で塩地平の現場へ下見に行く。



覆い屋は、立派に完成していた。
鉄骨製ではあるものの、四つ屋根の、天辺には寶珠を象った飾りが施されている。お祭り時の飾り付けや、配置などを頭に描く。
二百三十数年前、建立された時、もしかしたら供養とか祈願祭をこんな形で行われたのではなかろうか、ということを想像してイメージづくりをしてみた。


帰路、もう夕方、18時を過ぎて大荒沢不動堂に立ち寄る。
なんと、お堂の鍵が壊されていた。
罰あたりなものだ。
幸い、建物を壊されたり盗られた様子はなかった。
鍵を修理しなければならない。
まったく困った。




夕食後、相方の活けた花を眺めたりしながら、祈願祭の表白文をまとめて、仕上げてゆく。
表白文とは、祈願祭の儀式を行う意義を私たちが理解することでもあり、神さまなど(この度は草木供養塔)に語りかけるものである。
結局は、自分の想いがどうであるかという問いかけでもある。

なんとか出来上がって、当日を迎えるばかりになった。
2012.07.25:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

初七輪

  • 初七輪
7月19日(木) 晴れ
スカッと晴れわたり、暑いながら爽やかな風が吹く一日。

最古の草木供養塔が建立されたのは今から約230年前の七月十九日。
当時は旧暦なのだろうけれど、個人的には草木塔の誕生日、ということにしている。

午前中は、お隣の川西町の役場とフレンドリープラザと米沢の市役所、それから田沢コミセンに用があって出向く。
途中の風景、青空と田んぼや周囲の緑がハッとするほどきれいである。
プラザも周囲に神社の森や木々があって、じつにいい気分になる場所だ。





今日と明日で、お寺のトイレ(家族兼用)の一部改修工事。
今まで便槽式でしかも洋式がなかったため、一個を簡易水洗式の洋式にすることになった。

午後から知り合いの設備屋さんがきて工事開始。
東側にあるので、ちょうど日陰になってよかった。
おかげで、工事は順調。
水道の配管を終えて、翌日便器を設置して出来上がりである。




お寺の西側に「子易地蔵さん」が鎮座している。
毎年、7月24日の午前10時からご祈祷を行い、お昼ご飯を食べていただいている。
今年は、ご祈祷終了後に、米沢市内在住の折原さんに紙芝居を演じていただく。
このあたりの地域の民話をもとにしたオリジナルの紙芝居なので、楽しみにしているところ。

どなたでも参拝いただける、のんびりしたお祭りゆえ、ブログを見ていただいている方も、お出かけくださいませ。


その24日の、お地蔵さんのお祭りのご案内文をもって、町内の約50戸を相方と手分けをして、まわった。




途中で、畑のジャガイモにべたっと網をかけて、サル除けをしている畑があった。
脇にはかかしも立っている。

見ると引っこ抜かれたりしていないようで、やはり、これが効果があるのかもしれないな。







夏は短いから、とうわけで、夜は今年の初七輪。
家族で魚を焼いたり、ソーセージを焼いて外で夕食。

子どもには初めての七輪パーティ(^^ それに花火。
いろいろと初めて、とはいうもののまだ食べたり飲んだりはできないわけで、大人が喜んで子を見ているという感じ(^^;

ようやく夏らしい季節、そんな夜を楽しんだ。
















2012.07.20:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

(159)『びんぼう自慢』

  • (159)『びんぼう自慢』
古今亭志ん生:著 (立風書房 1969年)

2012.07.20:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]