おべんとうハンター 阿部夫婦が全国各地で見つけた 家族のおいしい物語
阿部 了:写真 阿部直美:文 (木楽舎 2010年4月発行)
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二百十日
暑い8月も月末である。
日中は相変わらず30℃を超える暑さなのだが、夜から朝方はグッと涼しくなってきている。
うっかり、窓を開けたまま着どころ寝をしたら、夜中にのどが痛くて目が覚めた。
いやぁ、あぶない。
先月ひどいことになったのに、懲りていないなぁ(^^;
暦では、31日は二百十日。
立春の日から数えて210日ぐらいの今頃、台風がきやすい季節で、田んぼの被害が無いようにと風の神様に祈る行事があった。
10年ほど前まで、この地域でも、他の神様の前でご祈祷を行い、農家の方々にお札を出していたものだった。
台風の被害はそれほど多くないこの地域にあっても、この季節の風は心配であったのだろう。現代では品種改良や技術の向上などにより乗り越えることができるようになったり、稲作農家そのものがとても少なくなっていることもあり、「風祭り」は行われなくなったようだ。
けれど、台風がなくなったわけではなく、止めることもできない。
自然の前では、できることをやって、あとは祈るしかない、ということはまだまだある。
空がなんとなく秋をかんじさせる。
毎年この時期、田沢と三沢両地区で「戦没者慰霊祭」が行われる。
日清・日露の両戦争と、第二次大戦に関わる太平洋戦争などで亡くなった方々を追悼・慰霊し、改めて平和を祈念するという行事である。
今年は、友引きの31日(金)に執り行われた。
旧三沢公民館(現小野川会館)の敷地内に建てられている「忠魂碑」と「祈念の碑」の前に祭壇を設け、幕を張りテントを立てて、前日から式場をしつらえて遺族の方々とご来賓が参列し、三沢・田沢地区内にある寺院から6人の僧侶が出資しての法要となる。
地区の保育園児が献花し平和を祈る歌を歌って花を添える。
式辞や追悼の言葉を聴いていると、戦争に行き命を落とした多くの方々を慰霊し、そのためにも平和な世界にしていかなければならない、という誓いの言葉でもある。
私のように戦争を経験していない人が、日本人の70%を超えた今、これからは語り継ぐことが大切になる。
政治や宗教云々という問題ではなく、人の命という観点から考えていかなければならないのだが、そういう意味では慰霊祭のあり方というのも変わって行くのかもしれない。
8月が終わった。
家族もみんなごくろうさん。
9月も相変わらずバタバタしそうである。
日中は相変わらず30℃を超える暑さなのだが、夜から朝方はグッと涼しくなってきている。
うっかり、窓を開けたまま着どころ寝をしたら、夜中にのどが痛くて目が覚めた。
いやぁ、あぶない。
先月ひどいことになったのに、懲りていないなぁ(^^;
暦では、31日は二百十日。
立春の日から数えて210日ぐらいの今頃、台風がきやすい季節で、田んぼの被害が無いようにと風の神様に祈る行事があった。
10年ほど前まで、この地域でも、他の神様の前でご祈祷を行い、農家の方々にお札を出していたものだった。
台風の被害はそれほど多くないこの地域にあっても、この季節の風は心配であったのだろう。現代では品種改良や技術の向上などにより乗り越えることができるようになったり、稲作農家そのものがとても少なくなっていることもあり、「風祭り」は行われなくなったようだ。
けれど、台風がなくなったわけではなく、止めることもできない。
自然の前では、できることをやって、あとは祈るしかない、ということはまだまだある。
空がなんとなく秋をかんじさせる。
毎年この時期、田沢と三沢両地区で「戦没者慰霊祭」が行われる。
日清・日露の両戦争と、第二次大戦に関わる太平洋戦争などで亡くなった方々を追悼・慰霊し、改めて平和を祈念するという行事である。
今年は、友引きの31日(金)に執り行われた。
旧三沢公民館(現小野川会館)の敷地内に建てられている「忠魂碑」と「祈念の碑」の前に祭壇を設け、幕を張りテントを立てて、前日から式場をしつらえて遺族の方々とご来賓が参列し、三沢・田沢地区内にある寺院から6人の僧侶が出資しての法要となる。
地区の保育園児が献花し平和を祈る歌を歌って花を添える。
式辞や追悼の言葉を聴いていると、戦争に行き命を落とした多くの方々を慰霊し、そのためにも平和な世界にしていかなければならない、という誓いの言葉でもある。
私のように戦争を経験していない人が、日本人の70%を超えた今、これからは語り継ぐことが大切になる。
政治や宗教云々という問題ではなく、人の命という観点から考えていかなければならないのだが、そういう意味では慰霊祭のあり方というのも変わって行くのかもしれない。
8月が終わった。
家族もみんなごくろうさん。
9月も相変わらずバタバタしそうである。
無主物
暑い。
八月末になっても、連日30℃超えで、プランターに植えた稲(コシヒカリ)も穂が勢いよくなってきている。
しかし、肥料切れになっているのだろう、根元の方の色が変わってきている。
農家の方に今年の田んぼはどう?とたずねると、「今のところは順調。んだげんど、秋あげが心配だな」と答えが返ってくる。
夏の間あんまり晴れが続くと、たいてい収穫時期は雨にたたられる、という経験則があるようだ。
異常気象というより、気象そのものがおかしいと言われる昨今、今年の秋の天気はどうなるのだろう。
乳児にとっても、暑さはたいへん(たぶん)。
汗疹が出ないように、背中にガーゼを入れたり、昼の行水をさせたり、着替えをまめにしたりするのだけれど、何かの拍子に大泣きするとたちまち汗が噴き出してくる。
「あ~ら。そんなに泣くとまた汗かくよ~^^;」なんて言っても、まだ口が聞けない子どもにとっては、唯一の伝達手段だろうからなぁ、しょうがないねぇ。
29日は、母の二ヶ月おきに行くことになっている、福島県立医大病院への通院日。
こちらも暑いが、福島市も先日は全国で一番暑かったらしい。
米沢よりも暑いんだろう。
窓が開けられない、なんてこともあるんだろうからたいへんだなぁ、などと話しながら、おろし蕎麦を家で食べてから出発。
予約時間は14時半。
13時前に家を出発すれば十分に間に合う。
はずなのだけれど、米沢市内刈安と、東栗子トンネルの入り口で合計約15分の待ち時間があり、5分遅れで医大病院に到着した。
浪江町の寺から、福島市に避難し仮住まいしている友人が送ってくれた文について、考えている。
『無主物』 新明解国語辞典では「所有者が無い物」と、じつに簡潔に説明されている。
これは、飛散した放射性物質のことを、こう表現をしたものがいるという事実があるのだ。それも、責任を問われている企業側から出た言葉なのだ。
どこから飛んで行ったものか特定できる(であろう)ものを無主物として責任を逃れることが可能なものなのだろうか。
企業は、原子力発電事業は国の施策という後ろ盾の上にあぐらをかいているのではなかろうか。無責任という言葉が踊る。
無主物の素、これがまだまだ危険な状態で海べりの廃墟の中にいっぱいあるのになぁ。
流浪する、危険地帯から仮住まいしている人々。
命を失った人間や動物。
そこに存在しなくなった、或いはそこにあるしかない植物。
いつ元に戻るのかも判らぬ自然。
無主物ということばで逃げてよいはずはない。
医大病院はたいへんな混みようだった。
診察終了が18時。
患者もたいへんだけど、医師やスタッフもたいへんなことだ。
病院を出る頃には、月が空に出ていた。
これこそは、私たちにとっては無主物だろうよ(たぶん)。
八月末になっても、連日30℃超えで、プランターに植えた稲(コシヒカリ)も穂が勢いよくなってきている。
しかし、肥料切れになっているのだろう、根元の方の色が変わってきている。
農家の方に今年の田んぼはどう?とたずねると、「今のところは順調。んだげんど、秋あげが心配だな」と答えが返ってくる。
夏の間あんまり晴れが続くと、たいてい収穫時期は雨にたたられる、という経験則があるようだ。
異常気象というより、気象そのものがおかしいと言われる昨今、今年の秋の天気はどうなるのだろう。
乳児にとっても、暑さはたいへん(たぶん)。
汗疹が出ないように、背中にガーゼを入れたり、昼の行水をさせたり、着替えをまめにしたりするのだけれど、何かの拍子に大泣きするとたちまち汗が噴き出してくる。
「あ~ら。そんなに泣くとまた汗かくよ~^^;」なんて言っても、まだ口が聞けない子どもにとっては、唯一の伝達手段だろうからなぁ、しょうがないねぇ。
29日は、母の二ヶ月おきに行くことになっている、福島県立医大病院への通院日。
こちらも暑いが、福島市も先日は全国で一番暑かったらしい。
米沢よりも暑いんだろう。
窓が開けられない、なんてこともあるんだろうからたいへんだなぁ、などと話しながら、おろし蕎麦を家で食べてから出発。
予約時間は14時半。
13時前に家を出発すれば十分に間に合う。
はずなのだけれど、米沢市内刈安と、東栗子トンネルの入り口で合計約15分の待ち時間があり、5分遅れで医大病院に到着した。
浪江町の寺から、福島市に避難し仮住まいしている友人が送ってくれた文について、考えている。
『無主物』 新明解国語辞典では「所有者が無い物」と、じつに簡潔に説明されている。
これは、飛散した放射性物質のことを、こう表現をしたものがいるという事実があるのだ。それも、責任を問われている企業側から出た言葉なのだ。
どこから飛んで行ったものか特定できる(であろう)ものを無主物として責任を逃れることが可能なものなのだろうか。
企業は、原子力発電事業は国の施策という後ろ盾の上にあぐらをかいているのではなかろうか。無責任という言葉が踊る。
無主物の素、これがまだまだ危険な状態で海べりの廃墟の中にいっぱいあるのになぁ。
流浪する、危険地帯から仮住まいしている人々。
命を失った人間や動物。
そこに存在しなくなった、或いはそこにあるしかない植物。
いつ元に戻るのかも判らぬ自然。
無主物ということばで逃げてよいはずはない。
医大病院はたいへんな混みようだった。
診察終了が18時。
患者もたいへんだけど、医師やスタッフもたいへんなことだ。
病院を出る頃には、月が空に出ていた。
これこそは、私たちにとっては無主物だろうよ(たぶん)。
もう秋の例祭の準備
お盆が終えたと思ったら、もうすぐ大荒沢の秋の例祭。
9月7日・8日なので、その前の2日(日)早朝作業で準備を、地区の皆さんの協力をお願いして行う。
かつて、入田沢の集落の方々が挙って協力をしてくださって、準備からお祭りの運営などを行われていたものである。
芝居を読んだり、演芸会を催したり、最後の頃はカラオケ大会などをして賑やかにしていたものだ。
参拝者が暗い夜道を歩いて登って来て、賑わっていたため、露天商など夜店も出ていたのだ。
その集落がどんどん過疎化して行って、今は、わずかに5件が残っているだけで、高齢者の方がほとんど。
この二十年余り、祈願祭ということで、続いており、おかげさまで、遠くからもお参りの方が来てくださっている。
28日の午前中から、お堂の維持を協力いただいている有志の方々に、2日の連絡文を配ってお願いをして歩いた。
お昼に家に戻ると、相方が「ガパオライス」らしきものをごっつぉになる(^^;
先日、Cafeラボで食べたものを再現。
鶏ひき肉をニョクマムとオイスターソースなどで味つけをし、裏の畑で採ってきたバジルの葉を混ぜて香りを出し、ご飯の脇にそれを添える。
その上に、目玉焼きを乗せて、トロ~リ溶かした黄身と混ぜて食べる。
残念ながら目玉が堅焼きに^^
でも、なかなかバジルの風味がよく、夏にぴったりの昼食である。
相変わらず暑い。
午後からは隣町のセレモニーホールで葬儀の伴僧のお勤め。
たしかに、こういう施設は空調が効いていて、暑ければ冷房、寒ければ暖房がしっかりなされるから、楽なんだなぁ。
自宅やお寺での葬儀が少なくなるのはやむをえないのかもしれぬ。
けれど、やはり複雑な思いはある。
アサガオが、暑さにも関わらず、毎日咲いている。
朝夕はだんだん涼しくなってきた。
虫の声も大きくなってきた。
夜空に昇る月が冴え冴えとしてきた。
やはり、秋は少しづつ近づいてきている。
9月7日・8日なので、その前の2日(日)早朝作業で準備を、地区の皆さんの協力をお願いして行う。
かつて、入田沢の集落の方々が挙って協力をしてくださって、準備からお祭りの運営などを行われていたものである。
芝居を読んだり、演芸会を催したり、最後の頃はカラオケ大会などをして賑やかにしていたものだ。
参拝者が暗い夜道を歩いて登って来て、賑わっていたため、露天商など夜店も出ていたのだ。
その集落がどんどん過疎化して行って、今は、わずかに5件が残っているだけで、高齢者の方がほとんど。
この二十年余り、祈願祭ということで、続いており、おかげさまで、遠くからもお参りの方が来てくださっている。
28日の午前中から、お堂の維持を協力いただいている有志の方々に、2日の連絡文を配ってお願いをして歩いた。
お昼に家に戻ると、相方が「ガパオライス」らしきものをごっつぉになる(^^;
先日、Cafeラボで食べたものを再現。
鶏ひき肉をニョクマムとオイスターソースなどで味つけをし、裏の畑で採ってきたバジルの葉を混ぜて香りを出し、ご飯の脇にそれを添える。
その上に、目玉焼きを乗せて、トロ~リ溶かした黄身と混ぜて食べる。
残念ながら目玉が堅焼きに^^
でも、なかなかバジルの風味がよく、夏にぴったりの昼食である。
相変わらず暑い。
午後からは隣町のセレモニーホールで葬儀の伴僧のお勤め。
たしかに、こういう施設は空調が効いていて、暑ければ冷房、寒ければ暖房がしっかりなされるから、楽なんだなぁ。
自宅やお寺での葬儀が少なくなるのはやむをえないのかもしれぬ。
けれど、やはり複雑な思いはある。
アサガオが、暑さにも関わらず、毎日咲いている。
朝夕はだんだん涼しくなってきた。
虫の声も大きくなってきた。
夜空に昇る月が冴え冴えとしてきた。
やはり、秋は少しづつ近づいてきている。
温度差
日曜の早朝、お寺から8kmほど奥の方へ向かい、山林の林辺に建っているお堂のお祭りに行った。
この近所に住んでいる(いた)方々が氏子になっており、毎年この時期にお参りをなさっている。
国道からやや入ったこのあたりでは、十数戸が軒を並べて住んでいたのだけれど、今は常に住んでいる家が一軒と、冬季間以外の季節に住んでいる家が一軒と、別荘のようにして一年に数度しか持ち主が来ない家が一軒で、3軒だけになっている。
かつてのこのあたりの様子を知る人にとっては寂しいかぎりであろう。
それでも、この地から引っ越した人も含めて数軒でお堂を維持しお祭りを続けているのだ。
こうしたお堂や祠がこの地区にはたくさんあり、放置されて廃れるままになっているところも少なくない。
また、引っ越す際に、その引っ越し先に共に移転する例もある。
山の神様のように、その土地に祀られるべき祠やお堂もある。
祭主の方と、「どうするのが一番よいかなぁ」と、お堂の前で拝みながら、声なき声に耳を澄ましているところだ。
月曜日も、早朝に屋敷神さまのお祭り、午前中にご法事と、土曜日からこの三日間はほぼ同じペースでお勤めである。
朝から暑いのも毎日同じで、お昼には30℃を超える。
汗がどっと、じとっと、噴き出して、一日何度となく着替えることになる。
バタバタしているせいで、新聞もТVニュースも見る暇がない。
が、どうも最近は日本海上の島の領有権を巡るニュースが、聴くともなく耳に入り、どうも嫌である。
隣と土地の境界でもめやすいのは、国であろうと、ご近所であろうとも同じ。
お互いが聞く耳を持たずに主張し合えば、いがみ合うよりほかはなく、争いになってしまう。
利権が絡めば、それはますます面倒なことだ。
話し合うより解決する手はないのだ。
問題は、なぜ今このタイミングで、こういう行動を起こすのかということ。
冷静に受け止めなければいけないんだろうと感ずる。
入道雲が青空にモクモクと湧きあがっている。
暑い暑いと言っても、もう間もなく9月。
「暑い~」と言っていられるうちがいい。
昼と夜の温度差を感じるようになり、夜の虫の音が、だんだんと冴えてきているこの頃である。
この近所に住んでいる(いた)方々が氏子になっており、毎年この時期にお参りをなさっている。
国道からやや入ったこのあたりでは、十数戸が軒を並べて住んでいたのだけれど、今は常に住んでいる家が一軒と、冬季間以外の季節に住んでいる家が一軒と、別荘のようにして一年に数度しか持ち主が来ない家が一軒で、3軒だけになっている。
かつてのこのあたりの様子を知る人にとっては寂しいかぎりであろう。
それでも、この地から引っ越した人も含めて数軒でお堂を維持しお祭りを続けているのだ。
こうしたお堂や祠がこの地区にはたくさんあり、放置されて廃れるままになっているところも少なくない。
また、引っ越す際に、その引っ越し先に共に移転する例もある。
山の神様のように、その土地に祀られるべき祠やお堂もある。
祭主の方と、「どうするのが一番よいかなぁ」と、お堂の前で拝みながら、声なき声に耳を澄ましているところだ。
月曜日も、早朝に屋敷神さまのお祭り、午前中にご法事と、土曜日からこの三日間はほぼ同じペースでお勤めである。
朝から暑いのも毎日同じで、お昼には30℃を超える。
汗がどっと、じとっと、噴き出して、一日何度となく着替えることになる。
バタバタしているせいで、新聞もТVニュースも見る暇がない。
が、どうも最近は日本海上の島の領有権を巡るニュースが、聴くともなく耳に入り、どうも嫌である。
隣と土地の境界でもめやすいのは、国であろうと、ご近所であろうとも同じ。
お互いが聞く耳を持たずに主張し合えば、いがみ合うよりほかはなく、争いになってしまう。
利権が絡めば、それはますます面倒なことだ。
話し合うより解決する手はないのだ。
問題は、なぜ今このタイミングで、こういう行動を起こすのかということ。
冷静に受け止めなければいけないんだろうと感ずる。
入道雲が青空にモクモクと湧きあがっている。
暑い暑いと言っても、もう間もなく9月。
「暑い~」と言っていられるうちがいい。
昼と夜の温度差を感じるようになり、夜の虫の音が、だんだんと冴えてきているこの頃である。