常盤新平:著 (講談社 1984年11月)
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ずいぶん急なことで
怪しげな空模様の日曜日(28日)「木魂祭」は裏庭に作った野外ステージがイベントのメイン会場になるので、お天気はかなり心配。
今年は、小学校の体育館が耐震補強工事中のため、雨でも外でということになる。
この日も朝から、ご祈祷 → 法事というパターンで、申し訳ないが今年はゴメンナサイなのだ。
夕刻には、屋敷と家の神様の移動の軒で現場を見させてもらう。
午前中はなんとか時折ポツリとくる程度か?!
お寺の裏のエドヒガンザクラが紅葉して、黄色っぽく、花が咲いているように見えなくもない。
お猿さんたちは、ちょこちょこやって来て栗を食っていっているようだ。
法要を終えて、やや遅い食事をしていると、コミセンからちょっと呼び出し。
木魂祭のついでに、地元ケーブルテレビの企画番組の収録をしているらしく、草木塔についてするからすぐ来いということであった。
毎度のことながら、急である。
ご飯を噛みながら行くと、上中原の国道端にある草木塔前で直ちに収録。
何しろ雨が降っているし、とにかくすぐなのである。
地元のリポーター役の人(よく知ってる人^^;)に聞かれたことを、つっかかりつっかかり答えて、終了(・_・;
急なんだからしょうがない、あとは、テレビ局の編集で何とかしてください。
今年は、小学校の体育館が耐震補強工事中のため、雨でも外でということになる。
この日も朝から、ご祈祷 → 法事というパターンで、申し訳ないが今年はゴメンナサイなのだ。
夕刻には、屋敷と家の神様の移動の軒で現場を見させてもらう。
午前中はなんとか時折ポツリとくる程度か?!
お寺の裏のエドヒガンザクラが紅葉して、黄色っぽく、花が咲いているように見えなくもない。
お猿さんたちは、ちょこちょこやって来て栗を食っていっているようだ。
法要を終えて、やや遅い食事をしていると、コミセンからちょっと呼び出し。
木魂祭のついでに、地元ケーブルテレビの企画番組の収録をしているらしく、草木塔についてするからすぐ来いということであった。
毎度のことながら、急である。
ご飯を噛みながら行くと、上中原の国道端にある草木塔前で直ちに収録。
何しろ雨が降っているし、とにかくすぐなのである。
地元のリポーター役の人(よく知ってる人^^;)に聞かれたことを、つっかかりつっかかり答えて、終了(・_・;
急なんだからしょうがない、あとは、テレビ局の編集で何とかしてください。
せめてお天気は…
繁忙する土曜日、早朝から車の交通安全祈願から始まりました。
そして、地元の田沢コミセンで開催される田沢地区文化祭「木魂祭」が、土・日曜日と開催され実行委員になっているので、準備やらいろいろとお手伝いしなければならないのだけれど、何しろお寺の日程が立て込んでしまっており、ほとんど何もできない状態なのである。
今年は、若干の協賛をするだけで、ゴメンナサイ、なのだ(-_-;
土曜日はなんとかお天気がもちそうな気配で、まずはよかった。
午前中は法事があり、檀家さんのお宅でご供養させていただいた。
広間に法事の檀を組み、十三佛の掛け軸をかけて準備なさっていた。
年忌供養は昔からこうした檀を構えて法要を行うことが多かったものだ。
最近では住宅の事情もあったり、略して仏壇でご供養といことが多くなっているのは、いたしかたないことではあるけれど、こうして改めて見ると、お供え物を上げたりするスペースや、お招きするお客様に焼香していたくこと、日常とはちょっと異なるしつらえをすることによって、気持ちも改まるように感じる。
午後からは、屋敷神さまのお祭りのお勤めをさせていただいて、土曜日は終了。
ご祈祷を終えてから、「まず、一杯いいごでぇ」と言われて、夕刻でもあるし…というわけで、一献 遠慮なしにご馳走になってしまった。
画像は、遠野のズモナビール最後の一種類で、アルトビール。
これは、黒ビールのような味わいで、なかなかである。
木魂祭のメインは日曜日。
晴れるといいなぁと思うのだが、どうやらお天気は下り坂のようであったなぁ。
そして、地元の田沢コミセンで開催される田沢地区文化祭「木魂祭」が、土・日曜日と開催され実行委員になっているので、準備やらいろいろとお手伝いしなければならないのだけれど、何しろお寺の日程が立て込んでしまっており、ほとんど何もできない状態なのである。
今年は、若干の協賛をするだけで、ゴメンナサイ、なのだ(-_-;
土曜日はなんとかお天気がもちそうな気配で、まずはよかった。
午前中は法事があり、檀家さんのお宅でご供養させていただいた。
広間に法事の檀を組み、十三佛の掛け軸をかけて準備なさっていた。
年忌供養は昔からこうした檀を構えて法要を行うことが多かったものだ。
最近では住宅の事情もあったり、略して仏壇でご供養といことが多くなっているのは、いたしかたないことではあるけれど、こうして改めて見ると、お供え物を上げたりするスペースや、お招きするお客様に焼香していたくこと、日常とはちょっと異なるしつらえをすることによって、気持ちも改まるように感じる。
午後からは、屋敷神さまのお祭りのお勤めをさせていただいて、土曜日は終了。
ご祈祷を終えてから、「まず、一杯いいごでぇ」と言われて、夕刻でもあるし…というわけで、一献 遠慮なしにご馳走になってしまった。
画像は、遠野のズモナビール最後の一種類で、アルトビール。
これは、黒ビールのような味わいで、なかなかである。
木魂祭のメインは日曜日。
晴れるといいなぁと思うのだが、どうやらお天気は下り坂のようであったなぁ。
50年の節目
これは、遠野の地ビール「ズモナビールのヴァイツェン」。
思ったほどくせはなく、ゴールデンピルスナーより飲み応えがあってよいかも。
遠野の地ビール4種を買ってきて、330mlを毎日一本づつと言う、まぁまぁささやかな晩酌であるのだが、地ビールと言うだけで、楽しめるのが良いではないか。
さて、26日 金曜日。
午前中に、米沢市街にあるお宅で屋敷神さまのお祭りをお勤めさせていただき、お昼からは米沢市市民憲章制定50周年記念の行事があり、この日は一日それで終わる予定である。
昨年、実行委員会が組織されて、私もその一人で会議にも出席してきたのだが、今年の夏以降は日中の会議に出席する余裕がなくなってしまっていた。
なんとか、当日の時間だけは確保して出席とできるお手伝いをするということに。
日程は、まず、13時半から毎年開催している「市民憲章推進大会」を文化センターで開催。
その後、ホテルサンルートに会場を移動して、16時40分から50周年記念式典。約2時間の式典を終えてから、同じ会場で祝賀会と続く流れである。
事務局担当者の方々もたいへんなことである。
私が関わった50周年記念誌も無事に出来上がっていた。
市民憲章を二度朗唱し、米沢市民歌を二度歌い、「ぼくたちの町米沢」も二度歌った。
50年という節目にあたり、これを祝い、市民憲章というものは私たちにとってどのような存在であったかを振り返り、これからどう向き合っていくのかを考えていく機会であろう。
懐かしい人とも再会し、新たな出会いもあり、よいpartyであったのではないだろうか。
終盤、やや早めに会場を後にして帰宅。
娘がやっとなんとか風呂を待っていた。
父ちゃん業(行)も、これでなかなかなのである。
思ったほどくせはなく、ゴールデンピルスナーより飲み応えがあってよいかも。
遠野の地ビール4種を買ってきて、330mlを毎日一本づつと言う、まぁまぁささやかな晩酌であるのだが、地ビールと言うだけで、楽しめるのが良いではないか。
さて、26日 金曜日。
午前中に、米沢市街にあるお宅で屋敷神さまのお祭りをお勤めさせていただき、お昼からは米沢市市民憲章制定50周年記念の行事があり、この日は一日それで終わる予定である。
昨年、実行委員会が組織されて、私もその一人で会議にも出席してきたのだが、今年の夏以降は日中の会議に出席する余裕がなくなってしまっていた。
なんとか、当日の時間だけは確保して出席とできるお手伝いをするということに。
日程は、まず、13時半から毎年開催している「市民憲章推進大会」を文化センターで開催。
その後、ホテルサンルートに会場を移動して、16時40分から50周年記念式典。約2時間の式典を終えてから、同じ会場で祝賀会と続く流れである。
事務局担当者の方々もたいへんなことである。
私が関わった50周年記念誌も無事に出来上がっていた。
市民憲章を二度朗唱し、米沢市民歌を二度歌い、「ぼくたちの町米沢」も二度歌った。
50年という節目にあたり、これを祝い、市民憲章というものは私たちにとってどのような存在であったかを振り返り、これからどう向き合っていくのかを考えていく機会であろう。
懐かしい人とも再会し、新たな出会いもあり、よいpartyであったのではないだろうか。
終盤、やや早めに会場を後にして帰宅。
娘がやっとなんとか風呂を待っていた。
父ちゃん業(行)も、これでなかなかなのである。
休養日
平日、久々にほぼ完全な休養日になった、先週の木曜日。
突発的なことや、急な用件もどうやら起きずに、過ごせた一日になった。
これは、考えてみれば有り難いことでもあるし、誰にとっても安泰な日だったんだと気づく。
朝からお天気もまずまず。
大荒山の山並みは、峰はもちろん中腹まですっかり紅葉している。
近くの山を見てもそれほどきれいな紅葉ではないような感じなのだが、奥山はまた別なのだろうかと思いながら眺めていた。
小春日和の一日と言ってよいのだろうか。
猫も軒先で日向ぼっこである。
日常たまった用を足しながら、子連れでちょっと出かけることにした。
山形市の南部にあるシベールへ。
ここには、川西町にある遅筆堂文庫の分館がある。
そして、井上ひさしさんが亡くなってからつくられた「母と子に贈る日本の未来館」という施設ができてからまだ行ったことがなかったので、和田誠さんのポスター展もあるしというわけで行ってみた。
ずいぶん久しぶり、というより、子が生まれてからは初めて?!のような気がする。
新しい施設、文庫も少しづつ変わっていたし、シベールのカフェで美味しいものも食べられたし、休日を楽しむことができた。
もう日没時間は17時よりも前になった。
せかされるような気分になる季節ではあるけれど、たまには、休養が必要であるようだ。
突発的なことや、急な用件もどうやら起きずに、過ごせた一日になった。
これは、考えてみれば有り難いことでもあるし、誰にとっても安泰な日だったんだと気づく。
朝からお天気もまずまず。
大荒山の山並みは、峰はもちろん中腹まですっかり紅葉している。
近くの山を見てもそれほどきれいな紅葉ではないような感じなのだが、奥山はまた別なのだろうかと思いながら眺めていた。
小春日和の一日と言ってよいのだろうか。
猫も軒先で日向ぼっこである。
日常たまった用を足しながら、子連れでちょっと出かけることにした。
山形市の南部にあるシベールへ。
ここには、川西町にある遅筆堂文庫の分館がある。
そして、井上ひさしさんが亡くなってからつくられた「母と子に贈る日本の未来館」という施設ができてからまだ行ったことがなかったので、和田誠さんのポスター展もあるしというわけで行ってみた。
ずいぶん久しぶり、というより、子が生まれてからは初めて?!のような気がする。
新しい施設、文庫も少しづつ変わっていたし、シベールのカフェで美味しいものも食べられたし、休日を楽しむことができた。
もう日没時間は17時よりも前になった。
せかされるような気分になる季節ではあるけれど、たまには、休養が必要であるようだ。