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(183)『沢内物語』

  • (183)『沢内物語』
高橋喜平:著 (岩手日報社  平成10年4月発行)

2012.11.04:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]

霜月一日

  • 霜月一日
霜月1日。
というわけで新しい月が始まった。
その初日は、お出かけのお勤めがなく、ゆるっと過ごして、朝食でレンコンをパクパクと食べて、可燃ごみを大量に出し、お掃除をしてという自分の役割をこなす朝なのです。

レンコンは敬愛する先輩F師からいただいたもの。
屋敷の池でレンコンを育てており、近頃掘ったばかりのものを頂戴した。


お天気は悪くないものの霧、というのか靄(もや)といったらよいのか、ぼやっとした景色。




逆沢の池に行ってみた。
米沢の鯉屋さんの養鯉場になっているこの池、水面から白い靄のようなものがゆらゆらと立ちあがっている。
気温と水温の差の関係で、こういう状態になりやすい時があるのですね。

ぼんやりとした風景の中に、少しづつ紅葉が進んでいる感じがする。


2月に生まれた娘がこの日で9ヶ月になった。
あたりまえだけど、その成長ぶりはすごいものだ。
ただお乳を飲んで寝て、というくり返しの日々から、自分の意志というものが感じられるようになるのですからねぇ(^^;



まだ、後ろに引っ込む方が多いのだけれど、ようやく這い這いをするようになった。
お風呂からあがって、眠るまでの間の短いトレーニング。
足が空回りしたり、手が邪魔になって後ろに行ったり、力尽きて顔が畳に落ちたり(^^;
お~がんばれがんばれぇ。
と言いながら、お父ちゃんちょっとアシストしてバナナのカードに届いて「お~よく頑張ったがんばった^^~」と親バカ誉めをして、本日終了!
2012.11.04:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

月末に

  • 月末に
いよいよ10月も末日。
初雪が降っても不思議ではなくなってきた。

この日は、朝から繁忙。

早朝から、屋敷の山の神様のご祈祷で、田沢地内の屋敷跡へ。
すでに、ここから米沢市街に引っ越されてだいぶ経つのだが、屋敷内に祀られている山の神様を一年に一度祈願祭を行う。

集落から田んぼを抜けて山裾に建つ一軒家であったため、冬季間の積雪と地吹雪で苦労されていたものだ。

家の方とお参りをしていると、萱が風もないのにざわざわ動き、「クマでないべなぁ」と言って目を凝らしているたら、お猿さんが3匹姿を現し、何もなかったかのように通り過ぎて行った。
こんな調子で畑や柿やクリを平気で食っていく。


そこを終えると、今度は簗沢に向かい、家を新築された方のお宅の安全祈願と火伏のご祈祷にうかがった。
平屋で雪下ろしの必要のない住宅だそうで、コンパクトで雪国はこれからこういった家がいいのかと感じる。

そこからまた田沢に戻り、連絡文書を3ヶ所にお願いに行く

画像はその途中、戸長里という集落の一角にある銀杏の樹。

この葉が散ると初雪が降るという、このあたりには言い伝えがあるらしい。
いまは、見事だね。まだ、雪は降らないかもしれない。




その銀杏の木を見ていたその脇に畑があって、市道と住宅の裏側すぐなのに、猿が大根を引っこ抜いて追ったりかじったりしてる。
私がそちらに行くとどこかへ行ってしまったのだが、無残な状態にになってしまっている。

日中は、特に若い人もいないので、家に誰かがいると解っていても、白昼堂々と畑荒らしをして行く。

それに誰も気づいていないし、おサルの被害もたいへんなものだ。




お昼には、母のお供で福島県立医大病院へ、母の通院のお供。
いつもより患者さんが少ないせいか、いつもより早めに診てもらうことができたようだ。

私は、眠くなって車で30分以上眠ってしまった。
その間館内放送で2度ほど呼び出されていたようで、2度目で気がついた。

特にわるくはなっていないものの、左目はこれ以上の回復は難しいという状況で、また2ヶ月後に、という用意定期的な検査を受けることになる。

通院し始めて6年目になるだろうか、早いものだなぁ。
2012.11.03:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

いろんな想い

  • いろんな想い
簗沢地区のランドマーク、戸倉山も色づいてきた。
その山の麓の道路を真っすぐ行くと、綱木川ダムのダムサイトへ行く。

この日、30日は法事のため、隣の地区の檀家さんのお宅へうかがった。

ダムができたせいで道路はよいが、集落からは人が引っ越して行き、数軒の家が残るのみになった。

すでに集落としての機能はないに等しい。
けれども、この地に住んでいることに矜持を持っておられることがよくわかる。

こちら田沢地区は、ダムはないが、国道の改修に伴うように峠に近い方から過疎化し、すでに消滅した集落があり、集落としての機能を失った地域があり、そうなりつつある集落がだんだんと米沢市街に近い方へ迫りつつある。




午後は、米沢市内のセレモニーホールで営まれる、お葬式に参列。
小中学校の同級生とのお別れだ。
その同級の女性とは、最近は時々顔を合わせる程度で、よく話す機会がなかったのだが、お盆過ぎに体調を崩してからわずか2ヶ月ほどで亡くなったとのことだった。
お葬式後に顔を合わせた数人の同級生も、お互いに信じられないという思いと、身につまされる想いであること、共通した感覚であった。
ご家族に恵まれ、孫も二人いるという、彼女の遺影はとても良い顔をしていた。
合掌


帰宅してから畑に残っていたものを収穫して、間もなく日没となった。

自分は、自分の身体や命はどうなんだろう。
ぼんやりと、考えてもしようがないことを思ってしまう。
こちらは、孫みたいな小さな娘を持つ身で、何かあったら…、これもまぁ思ってどうなるものじゃない。

なるようにしかならない。
今ある命、こうして元気でモリモリ食って元気でいられることに感謝し、過信せずに過ごそう、そう思う。
合掌



2012.11.02:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

せつないきもち

  • せつないきもち
ようやく、漸く 植菌して裏の林の中に転がして置いているナメコが出てきた。

秋めいてきたといっても、まだ強い霜が降りていないし、例年よりも暖かいのかもしれない。

さて、月曜日(29日)は大安なのではありますが、悲喜こもごも、いろいろあります。
当たり前のことですけどね、暦の日が好いからいいことがある、というわけじゃないんだけれど、なんとなく好日のように思っちゃいます。


さて、朝は古い建物を解体するにあたり、奉謝祈願という、ご祈祷があり、大安で好かろうというわけで、口田沢地内の旧家に出向いてお勤めさせていただいた。
母屋はすでに新築されているのだけれど、奥座敷とそこに続く建物と味噌小屋、それに物置小屋である。

冬季間の管理がたいへんになっておられ、降雪を前に意を決して、解体なさるということ。




母が、猿たちが裏に来て栗を食っていく、と言う。
畑にはもう白菜ぐらいしかないので、残っているキャベツとスティックブロッコリーを収穫しておいて、あとはもうしかたがない。


そして、午前中は先輩F師のお寺の檀家さまの葬儀があり、伴僧のお勤め。
式場にて、お亡くなりになられた方の遺影に手を合わせ、よくよく見ると、コミセン時代に事業の関係でお世話になったことがある方だった。
数年前のことで、お名前もお聞きしていなかったこともあり、こんなかたちで再会することになるとは。
合掌



人の命は今日ありて、明日ある保証はない。
日々生きていることに感謝し、過ごしているのではあるが…。
友人より電話があり、同級生の訃報。
お盆過ぎに体調を崩して、難病に罹っていることがわかり、ほぼ2ヶ月であったとのこと。
せつないものである。
合掌
2012.11.01:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]