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31 川西町大舟稲場の草木供#32682;塔

  • 31 川西町大舟稲場の草木供#32682;塔

岩手県から置賜に戻り、川西町大舟へ。

我が家から、車で10分もあればついてしまう。
かつては、最短コースの螻尾峠を越えるのが最も一般的であったろう。
今は、車一台がやっと通れる曲折路なので、東沢を廻って行く方がはるかに楽である。

田沢と大舟は、米沢と川西という違いはあるものの、生活圏としてはかなり近い関係にあったようだ。
山で隣接しているのだから近いのは当たり前だけれども、その山に入って生活していたその昔は、よりその関わりがあったものと考えてよい。

小学校も、昭和一桁生まれの私の父親の時代あたりまでは、大舟から田沢の小学校に通った人もいたとのこと。
また、当田澤寺にも大舟からお参りに来る方々が少なくなかったらしい。



毎回訪問する時間がまずくて、石塔の字がよく画像に写らない(ー_-;
石塔や石仏の多くは、概ね南や東を向いて建てられるものだから、陽が当たる午前中に訪ねればよいのに…。

さて、碑面の正面真ん中には「草木供養塔」と細いきちっとした字体で書かれ刻まれているのだが、草という字の「日」の部分が立て棒が通してある文字になっている。

この字は川西町の草木塔で最も古い玉庭柴引の字と同じ。
ただし「供養」の養が、こちらは?である。
字の傾向はちょっと似ている。

建立年月日は元治元年(1864年)8月吉日と、正面に刻まれている。
台座に文字が刻まれているのは判る。
資料によると、 「施主 柳沢弥七 上組 中」とある。

個人名が記されている。
田沢の草木塔には個人名がなく、一村一塔説もあるのだが、こちらの草木塔はこうした故人の施主名が書かれていることが多いようである。 

このあたりには、かつてはそれなりに集落があったものと思われるのだが、年々家の数が少なくなっている過疎地域になっている。



以前は田んぼの向こう側の山際にも家が点在していたものだ。
けれども、田んぼは作っている人がいて、荒れた雰囲気がないのは救いである。

草木供養塔の脇にはお地蔵さまの小さな祠がある。
この並びから想像するに、草木供養塔がどこからか移転したと考えた方が自然のような気がする。

お堂の裏を見ると…、金属製の檻のような…。
これはクマ捕獲用の罠ではなかろうか。

このあたりに熊がいても、最近のクマの動きをみれば不思議ではない。
お尻のあたりがちりちりというような感じがしてきたので、クマに出会わぬうちに退散だ。

※(2012年8月に訪ねた)

2013.05.30:dentakuji:コメント(0):[草木塔を歩く]

花言葉

  • 花言葉
コミセンで土曜・日曜と催された「クマガイソウ祭り」は終わりましたが、まだ花は咲いています。

不思議な形の花ですよね。
この花は乱獲による絶滅危惧種(Ⅱ類)になっており、自生しているのはかなり稀になっているそうです。

じつは、このクマガイソウは米沢市の白布にあった植物園の一角に保護されていたもの。
十数年前、植物園の閉園の際、移植先を探していたらしく、田沢の公民館の周囲になら目が届くということで、当時の上司と私と二人で、その一部を移植した。

植物園のクマガイソウは、白布の周辺の山に自生していたものだそうで、やはり乱獲でどんどん減っていくため、植物愛好家の人たちで、植物園の敷地内に保護を目的に移植させ増やしたのだそうだ。

その数年のち、植物愛好家で、希少植物の保護や、育成に取り組んでいた私の伯父がまさにその中心になって移植したとの話を聞き驚いた。

人の縁というのはどこでどうなっているものか解りません。
移植しておよそ15年になった。
当時の株数50本前後から倍ぐらいにはなっていると思うのだが、思ったほど増えないものだ。

しかし、こうして花がいっぱい咲くようになり「クマガイソウ祭り」が催されるようなり、ちょっと感慨深いものがある。



この日は、朝から屋敷神さまのお祭りで、地区内のお宅にうかがった。
朝から空気が暖かい。
米沢の最高気温は約28℃。
7月初旬並みとか。

我が家の牡丹の三色目が開こうとしている。

庭の草花が咲き、雑草もどんどん繁茂してゆく。



タンポポは次々と咲いては種になって飛んでゆく。
また増えてくんだろうね。

そうそう、花言葉。

「クマガイソウ」 … みかけだおし、気まぐれな美人

「牡丹」 … 王者の風格、富貴、恥じらい

「タンポポ」 … 真心の愛、神のお告げ、思わせぶり

ふ~む、花言葉ってやはりイメージなのかな、どのように決めるのでしょう?



夕食に、頂きものの「うるい」を食す。
美味い!

うるい 「ぎぼうし」の花言葉は … 静かな人、沈静

夕食にはぴったり…かな。
2013.05.29:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

原点

  • 原点
月曜日の早朝5時から、花いっぱい活動の作業に行くことにしていたのだけれど、見事に寝坊してしまった。

土・日曜日に目いっぱいだと、月曜の朝、しかも15kmほど奥へ行っての作業とあれば4時起き。
ゴメンナサイなのでした。


不動堂の工事は少しづつ進行中。
古い建物ゆえ、可能な限り復元ということで慎重にやっていただいている。


古いもの、歴史のあるものが一度壊れてしまうと、元に戻すということはたいへん難しいことだ。
建物のようにカタチあるものはもちろん、カタチのない人間の関係性だとか繋がりというものも同様、あるいはそれ以上に難しい。

たぶん、おそらく、カタチあるものは象徴であり、カタチのないものをどのようにつくり、或いは修復していくかということがとても大切なことなのだろうと感じている。

今、こうして修復の役割を担うことになるのは、目に見えぬものから与えられた
試練、あるいは運命なのだろうと思う。

時代の移り変わりを感じながら、原点に建ちかえってみようと思う。




さてさて、月末ゆえの雑事をこなしながら、三ツ矢サイダーでプチぜいたく。
こういうご当地ものも出てきているのですね。

そして、夕刻から年度初めの会議が2件。




芸術文化団体の総会。
16年の長い間、会長職をお勤めになられたK先生が退任なされた。
長年の懸案だった、市民ギャラリー・図書館の複合施設建設が決まり、一所懸命がんばってこられたご努力も実った。

初めに思い描いたカタチとは異なってはいるが、2年後の今頃オープン予定である。

息子のような年齢の私にも、他の方々とわけへだてなく平に接してくださった。
長い間お疲れさまでした、また、ますますのご活躍を祈念してます。

2013.05.28:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

(234)『再び女たちよ!』

  • (234)『再び女たちよ!』
伊丹十三 著 (新潮文庫 2005年7月1日発行)
2013.05.28:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]

結び

  • 結び
暑さでお寺の軒先の牡丹が一気に咲いてしまった。

この花はちょっと薄曇り、ぐらいの方が似合うような気がする、どうでしょう。

相変わらず日曜日はご法事。

町内のお宅へ徒歩で出かけてお勤めをさせていただいた。

法要を終え、会食に呼ばれていたのだけれど、この度は、午後から結婚披露宴に出席のため失礼した。

法事の後の会食には、可能な限り出席させて頂くことにしている。
檀家の皆様とお話しをする機会はなかなかないものだ。

町内とはいえ、孫さんも常にはいないし、法事でもないと顔を合わせることがない人も少なくない。
この1~2時間はその人とのつながり、先祖とのつながりを知る上ではよい機会だ。

今回だけは、ほんとに残念であった。

というのも、正午から同じ田沢にある洞松院さまの息子さんが結婚なさってその披露宴に及ばれしたからなのだ。
宗派を越えて、代々懇意にしてくださっているお寺さまの披露宴には出なくちゃね。



私よりちょうど20歳年下の、息子さんはお寺を継がれる副住職。
檀家さんも多数出席なさってたいへんにぎやかで華やかな祝宴。

午前中に自坊のご本尊様の前で仏式の結婚式を挙げられた。
披露宴は、やはり現代風のというか最近出席したいくつかの宴と傾向的には同じように感じる。
これも流行があるのですね。

画像を使った二人の紹介、結びは、今日さっき撮ったばかりの式や披露宴の映像を流すというような。
感心してしまう。



顔見知りがとても多い披露宴だったので、あちこちにうかがって話しをしつつ、急いで戻ってお料理をいただくという、実に欲深く行動し美味しく全ての料理を堪能した。

結婚式と披露宴は、やはり多くの人をハッピーな気持ちにさせる。
宴の大小は問わず、多くの人に感謝し、これから広がる縁を思いながら式をすること、思いのほか大切なのかもしれない。



こちらの結びは、家でこれ。
あ、家だからお開きでも良いのか(^^
2013.05.27:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]