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33 米沢市口田沢 上中原の草木塔

  • 33 米沢市口田沢 上中原の草木塔
さて、私の地元 田沢に戻ります。
田沢地区は、米沢市街地の方から、ほぼ国道121号線と小樽川に沿うように長い地区で、大字口田沢・大字神原・大字入田沢となっている。

田澤寺のある下の町から草木塔のある上中原までが口田沢。
その先から神原になる。

上中原の草木塔は田沢地区に現存する江戸時代に建てられた10基の草木塔の中で最も年代が新しい。
慶応元年(1865年)七月二十日と刻まれている。

石塔の中央には「草木塔」と今までの草木塔にはないような大きな文字で、崩した感じの字体である。
なんという字体なのだろう。

その左側には建立者と思われる「三田沢講中」とある。
三田沢とは、当時の口田沢村・神原村・入田沢村のことと考えて間違いないだろう。

自然石で大きさも160㎝と堂々としている。
国道沿いに建っており、とても目立って見つけやすい場所である。

草木塔研究の先達である藤巻光司氏によると、道路改修で数メートル移動しているが、昔とほとんど変わっていないとのこと。



この一角には草木塔以外にも、通称「三老(翁)の碑」と湯殿山塔、右には「蚕神塔」「伊藤氏生碑」などが建っている。
さらに、推定樹齢200年ともいわれている松の木が三本。
これを「三老(翁)の松」と田沢の人達は呼んでいる。

田沢の三老とは、幕末から明治に移行する当時の三田沢の代表にあたる人。元米沢藩の山林が売りに出されそうになった時に、自らお金を出し、また地区民に呼びかけお金を集めて山を買い、その後の田沢のために役立てようとし、じっさいそのようになったため、顕彰されたとのこと。
その後、昭和初期に購入した山を基本財産とし、教育支援を目的とした公益法人が設立され現在に至っている(現在は一般財団法人)。

また、「蚕神塔」は、この周辺地域がかつて養蚕が盛んであったらしく、毎年5月20日頃にこの紙漉集落でお祭りお行い、田澤寺の代々の法印が呼ばれ供養を行っていた。
その時に、草木塔の前でも供養祭を行い、御札が各戸ならびに関係者に配られていた。
田沢で、どういう形であれ草木塔に人々が集まり供養するという例は他にない。

10年ほど前から、地域での維持が難しくなったこと、養蚕が途絶えて久しいことから、祭主が地域から財団法人「田沢自彊会」に移行され、6月に草木塔供養祭を行っている。


この草木塔の特徴である書体、それと三田沢講中という建立者から、その由来が何らかの文書にあるのではないかと想像し、気長に探しているところである。

2013.06.05:dentakuji:コメント(0):[草木塔を歩く]

こども

  • こども
運動会が終わり、娘が夕食まで寝てくれないかなぁと、車でドライブ。

逆沢の養鯉場で夕陽などを眺めつつ、やっと小一時間ほど眠った。
あんまり寝過ぎると夜寝なくなるしなぁ…。

そんな心配もなく、夜もグッスリ就寝。




月曜日も天気良好。
お母ちゃんが休みなので、母娘で公園へ。

出がけに、玄関にあったペットボトルを・・・。
「おいおい(^^;…」

将来がちょっと心配です、ってか危ないんだけど。
予想どおり、キャップが外れて口に挟まってしまったので、ギッととってやった。
さすがに慌てた顔をしてる。

いやはや、目が離せぬ。



昼食は、珍しく私の母と二人で食べることになった。
なんでも、テレビで美味しくて簡単なオムライスの作り方をやっていたとかで、久々に母親のオムライス。

ふむ。
以前は面倒なのでケチャップライスより白ご飯をうす焼きの卵で巻いて食べてたっけ。

美味しい、美味しい。(^_^



2013.06.04:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

地区運動会

  • 地区運動会
日曜日は田沢地区大運動会。
第53回目になる。

小学校の紅白対抗と、田沢地区の7地区対抗で競う、小学校と地区が一緒に行う運動会。

娘は運動会は初めて。
お母ちゃんが勤務日なので、お父ちゃんが一日子守り(^^;

天気は回復しなにより。
下の町町内の陣地のテントでしばし応援。
けれど、テントの中が日陰で寒くて、できるだけ日向へ。

わが町内は、毎年アイディアを凝らして、練習たっぷり積んで応援することになってる(伝統?!)。

今年は米沢のNCVでこのところよくやっている、9ちゃん体操を、米沢ご当地ヒーロー「アズマンジャー」「ジャミンナさまと手下」と「9ちゃん」の扮装でやる。

衣装は手づくりと手直しで、なんとなくそれらしく見えちゃってます。
ジャミンナ様はかなりキモいかな…(^^;
「すぺたの」「こぺたの」はショッカーに見えますね。



7地区のうちこういう応援をしてるのが4地区。
私の町内が五十数戸で最も規模が大きくて、三十戸、二十五戸、二十戸、十八戸、三十戸、二十戸。
小規模集落は参加することに意義があり、人数の大きいとこは賑やかに、というわけです。

自分も昔はやってましたけど…、あの頃は毎年裸になってばっかりで、ちょっと…ねぇ。

今日は子守りに専念。
競技もお休みさせてもらった。



子供が飽きて、お腹もすいて、オムツも交換ということで一度退散。
家に戻って休憩。
昼寝はほとんどせずに、最近の娘のお楽しみ「南天の実拾い」。
1歳4ヶ月、だんだん体力がついて、いっぱい身体を動かさないと眠らないのかも。



午後から再び地区グラウンドへ。

閉会式前にサプライズ。
NCVの本物の9ちゃんとジャミンナさまとアズマンジャーがやって来て、一緒に9ちゃん体操!

娘を抱っこしてしっかり参加してきた。
あれは、そのうち放送されるらしい…。
覆面をかぶっておけばよかったなぁ。

私の町内は、競技と応援ともに優勝したとのこと。
まずは皆さん無事に終えたようで、めでたしめでたし!




2013.06.04:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

(236)『結界』

  • (236)『結界』
(けっかい)
越えてはならないことがある

永 六輔 著(マガジンハウス 1998年11月19日発行)
2013.06.03:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]

親子三代

  • 親子三代
6月になりました。
初夏、そんな感じになってきました。

近くの野や山にはウツギノ花が、ピンクの花があちこちに目立っています。
タニウツギですかね。

土曜日は、大荒沢に行ったついでに刈安沢の作業道に入り花を見つけにゆく。
残念ながらお目当ての花は見つからず…、時期が早いのか、掘られてしまったのか?!

周囲はウツギノ花、野アザミが咲いていた。



国道121号線のすぐ脇だけど、珍しい植物はいっぱいある。
ここは元々道からだいぶ登ってきたところで、新たに道路を切り開いた場所だから、道路以外の残った場所には、前から自生している植物がちゃんとあるのだ。

橋の下をのぞいたら、でっかいカモシカがいて、私が現れたものだから大慌てで谷を下って行った。
以前もここ会ったことがあるので、かれのテリトリーなのだろう、ゴメンゴメン。



この日一番のミッションは、娘の髪切り。
地元の床屋さんへ行った。

じつは、私は、この床屋さんの昨年亡くなったおばあちゃんに子供の頃から切ってもらっており、その後、中学時代からはその息子さんとその嫁さんに切ってもらっていた。
そしてそのお店は、今は孫娘さんが継いでいる。

私よりも一回り以上若い、その孫娘さんにはまだ切ってもらったことがない。
けれど、娘が切ってもらうことになった。
果たして、おとなしくしてしていられるだろうか。
不安。

私の母にまた昔の話を聞かされて出かけた。
「お前は、おとなしくじっとしていられないものだから、床屋のばあちゃんに、三日に分けて髪切って貰っていだったものだ…(^^;」
床屋の話題になるといつもである。

そう話すと彼女は笑っていた。
さすがに上手に子供の気をそらしたりひきつけたりしながら、きれいに髪を整えてくれて、無事に終わった。

夏らしく短くなり、ボーイッシュだけどめんごくなった(親バカ)。

床屋さんの椅子に娘を抱っこして一緒にポンチョのようなカバーをかぶり、鏡に向かって髪を切ってもらったら、親子三代に床屋さんをしてもらった気になった。

ちなみに、今は自分でバリカンを使って刈るので床屋さんへ行かなくなった。
たまに、ひげを当たってもらいにいこうかな。
2013.06.03:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]