好天が続き、気温も上がってきた。
梅雨入りしたのかどうか、なんだったっけ、というほど雨も降らず、畑はもう土ぼこりが舞うほど乾ききってしまっている。
一雨ほしいところだ。
それでも、この雑草は強いものだカラカラ天気にもかかわらず、こうして繁茂している。
家の周囲の草を「早く刈ってけろ」と言う私の母も、周囲の様子を見て「あの白い小さな花、こうして見るときれいなもんだなぁ」。
ヒメジオンが一面に咲いており、その間の所々からスイバが顔を出してアクセントになっている。
雑草庵もわるくない(^^;(と、苦しい言い訳である)。
11日の夜は、おいたま草木塔の会の月例会。
米沢商業高校の生徒たちで企画し販売している「いなごまラスク」を持参。
前日のイベントで販売したものが少々残ってしまったという情報があって、分けていただいた(一袋300円)。
平均年齢が若干高めのこの会議のメンバーだが「おぉ美味いな!」と好評。
地域のお土産品作りに繋がって行くとよい。
さてその会議で、7月20日(土)開催の『草木塔との語らい』について。
いよいよ参加者募集チラシが配布されます。
「広報 よねざわ」にも出ます。
7月15日まで募集受け付けしています。
12日(水)も好天に恵まれた。
天気予報で、台風がだんだん近づいてきているというが、こちらには影響がなさそうである。
午前中には、田沢の洞松院さまの改修工事の地鎮祭を勤めさせていただいた。
良きご縁を得て、お寺さまと檀家の皆様で、よい事業となり、無事に事業を成就されることをお願いした。
午後は福祉関係の定例会。
それから、お不動さまの屋根補修に関わるご寄付をお願いにあちらこちらにうかがった。
画像は田澤寺の庭。
軒先の南天が古い実を着けたまま、新しい実をつけ始めている。
ずいぶんなんというか、勢いのある植物なのだろうね。
お寺の北西側に山があるので、向かい側のほうが少々陽が長い。
18時過ぎてもまだまだ明るい。
もう一仕事できる(外仕事)くらいだ。
台風の影響か、蒸れた空気の夕方である。
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34 川西町玉庭犬川の草木塔
こんどは川西町。
玉庭の御伊勢町の奥の方と言ったらよいのかどうか、小松から見ればそうなる。
道沿いの小高い場所に杉の木立で目立たぬが、りっぱな熊野神社が建っている。
また逆光の時間になってしまい、碑面が読みにくい。
午前中の時間がなかなか自由にならないのでこうなる。
石塔や祠などの多くは、正面を南や東に向けて建てられるのが一般的である。
これは、特殊な地形でなければ、その方が陽当たりが良いということもあり、碑面に苔なども生えにくくなるという利点がある。
それに、神仏等を拝む時、人が西や北に向かって拝むような形が、やはり自然なように思える。
手前の建物は神社の拝殿。
その奥に本殿がつながっている。
正面で拝礼してよく見ると、拝殿の中の上に仏像が安置されている。
神仏混淆というか、もともとは仏教のお堂で会ったのかもしれない。
この建物の左側に数体のお地蔵さまなどと並んで草木塔が建っている。
凝灰岩でできている50㎝ほどの罷免には、シンプルに「草木塔」と刻まれている。
その両側に年号があるようなのだがほとんど読みとれない。
資料によると、慶応元年(1865年)10月とある。
江戸時代に建立されたと確認できる草木塔では、現在のところ江戸期最後のものになる。
左側に「村中」とあるらしいが、それも判別できない。
以前この場所を訪ねた時は、地面にそのまま建てかけられた状態であったように思ったのだが、先日見ると、土台石に乗せてあり、コンクリートのようなものでしっかり固定してある。
この地域の人によってであろうか、手が掛けられている。
資料によると、この草木塔はこの神社から数百メートルmほど離れた田んぼのあたりに建っていたもので、平成5年にこの地に移転されたものらしい。
上の画像は、神社のあるあたりを遠くから眺めたところ。
神社のある杉木立の上は樹を伐り出したらしく、作業道で山が虎狩り状になっているのが判る。
周囲の水田はほとんど作付けしてあり、きれいになっている。
川西町で最も古く草木塔全体でも3番目に古い草木供養塔(1797年)が建っている場所(玉庭柴引)から、この熊野神社までは現在の道路で1kmも離れていない。
68年後に、この地に草木塔が建ったのは、関連があるのだろうか。
過疎地ではあるが、柴引きの周囲は田畑が作られていない所が目立ち、犬川はまだまだ山里の人の気配がする場所であった。
玉庭の御伊勢町の奥の方と言ったらよいのかどうか、小松から見ればそうなる。
道沿いの小高い場所に杉の木立で目立たぬが、りっぱな熊野神社が建っている。
また逆光の時間になってしまい、碑面が読みにくい。
午前中の時間がなかなか自由にならないのでこうなる。
石塔や祠などの多くは、正面を南や東に向けて建てられるのが一般的である。
これは、特殊な地形でなければ、その方が陽当たりが良いということもあり、碑面に苔なども生えにくくなるという利点がある。
それに、神仏等を拝む時、人が西や北に向かって拝むような形が、やはり自然なように思える。
手前の建物は神社の拝殿。
その奥に本殿がつながっている。
正面で拝礼してよく見ると、拝殿の中の上に仏像が安置されている。
神仏混淆というか、もともとは仏教のお堂で会ったのかもしれない。
この建物の左側に数体のお地蔵さまなどと並んで草木塔が建っている。
凝灰岩でできている50㎝ほどの罷免には、シンプルに「草木塔」と刻まれている。
その両側に年号があるようなのだがほとんど読みとれない。
資料によると、慶応元年(1865年)10月とある。
江戸時代に建立されたと確認できる草木塔では、現在のところ江戸期最後のものになる。
左側に「村中」とあるらしいが、それも判別できない。
以前この場所を訪ねた時は、地面にそのまま建てかけられた状態であったように思ったのだが、先日見ると、土台石に乗せてあり、コンクリートのようなものでしっかり固定してある。
この地域の人によってであろうか、手が掛けられている。
資料によると、この草木塔はこの神社から数百メートルmほど離れた田んぼのあたりに建っていたもので、平成5年にこの地に移転されたものらしい。
上の画像は、神社のあるあたりを遠くから眺めたところ。
神社のある杉木立の上は樹を伐り出したらしく、作業道で山が虎狩り状になっているのが判る。
周囲の水田はほとんど作付けしてあり、きれいになっている。
川西町で最も古く草木塔全体でも3番目に古い草木供養塔(1797年)が建っている場所(玉庭柴引)から、この熊野神社までは現在の道路で1kmも離れていない。
68年後に、この地に草木塔が建ったのは、関連があるのだろうか。
過疎地ではあるが、柴引きの周囲は田畑が作られていない所が目立ち、犬川はまだまだ山里の人の気配がする場所であった。
行き届かぬ…
家とお寺の周囲は、いよいよ花盛り…というより雑草が盛りに繁茂しています。
雑草庵と化して、ヒメジオンやハルジオンが盛りに咲き、スギナの間から芍薬が花をのぞかせているというありさま。
除草剤を使うのが嫌なので、刈るかむしるかなので、なかなか進まぬ。
今目立つのは、スイバ。
これはとても増えて困るのだけれども、よく見るとその形が一つ一つ面白い。
文字のようになっているのもあって、おもっしゃがっている。
ただし、母から草を刈るようにプレッシャーがかかって来ている(^^;
畑はようやく近所のKさんに耕運してもらった(まま)。
植える苗は、姉などから貰ってあり、種も買ってあるのだけれど、さていつできるのだろう。
気温が上昇し、今週は真夏日もありそうな気配。
ちょっとネジを巻かねば。
玄関先の花壇は、今この花が咲き誇ってる。
なんと言う花だったか、貰った母も私も思い出せずにいる、けれど、なかなかいい感じである。
花壇も手入れがなかなか行きとどかないなぁ。
だれか花好きな方、ご協力を~(^^;
さて、夕刻、檀家の方から訃報。
まだ六十代前半でらしたのだが、ここ何年と闘病生活を送られてらしたのだ。
仕事への復帰を心の支えにしていらしたのであったが…。
合掌
雑草庵と化して、ヒメジオンやハルジオンが盛りに咲き、スギナの間から芍薬が花をのぞかせているというありさま。
除草剤を使うのが嫌なので、刈るかむしるかなので、なかなか進まぬ。
今目立つのは、スイバ。
これはとても増えて困るのだけれども、よく見るとその形が一つ一つ面白い。
文字のようになっているのもあって、おもっしゃがっている。
ただし、母から草を刈るようにプレッシャーがかかって来ている(^^;
畑はようやく近所のKさんに耕運してもらった(まま)。
植える苗は、姉などから貰ってあり、種も買ってあるのだけれど、さていつできるのだろう。
気温が上昇し、今週は真夏日もありそうな気配。
ちょっとネジを巻かねば。
玄関先の花壇は、今この花が咲き誇ってる。
なんと言う花だったか、貰った母も私も思い出せずにいる、けれど、なかなかいい感じである。
花壇も手入れがなかなか行きとどかないなぁ。
だれか花好きな方、ご協力を~(^^;
さて、夕刻、檀家の方から訃報。
まだ六十代前半でらしたのだが、ここ何年と闘病生活を送られてらしたのだ。
仕事への復帰を心の支えにしていらしたのであったが…。
合掌
もったいないほどの
6月8日(土)、恒例の大荒沢不動堂への登拝日。
補修工事は、今冬大破した前部は概ね補修ができたようで、今度は向かって右側の屋根に取りかかっている。
今日は職人さんが休みで、私は周囲の掃き掃除をして、毎月の如く勤行を行った。
五月八日のお祭りは、後日連絡という形でいたのだけれど、申し訳ないことに数人の方がお堂まで来て下さり、また電話での問い合わせもいただいた。
訳をお話しして、七月八日に執行することをお伝えした。
また、先輩のF師が法事の帰りと、立ち寄ってくださった。
F師のお寺も山里の過疎地帯。
お堂の維持や運営などについて様々と教えていただいた。
地域の人がだんだんと引っ越して少なくなってゆき、実際的に冬季間の管理はかなり困難になっていること。
土地を離れることで、つながりが希薄になり、家族であっても、次の世代の人々に土着の信仰が引き継がれにくいこと。
人の指向或いは思考が変化しており、昔から行ってきたことがそのまま通用しなくなってきていることなど。
先日、館山公園のジャンプ台の側にある観音堂が荒れ果てた状態になっているのを見てきた。
山ではあるけれど、比較的市街地に近い場所ですら起こりうること。
これから考えていかなkればならない問題である。
大荒沢から玉庭方面へ車を走らせてみた。
過疎化に拍車がかかっているとはいうものの、まだこの御伊勢町あたりは田んぼの作付が行われており、周囲の風景も人の手が掛けられきれいな状態になっている。
奥の方に、かつてサンマリーナ玉庭スキー場とリゾート施設がわずかに見える。
そちらの奥の方へ数km車を走らせると、耕作放棄され放置されたままの荒れ果てた風景になる。
その境目あたりにある地域の公民館に人が自転車で集まって来ていた。
おそらく「さなぶり」で、の方々が直会を始めるところではないかと見えた。
人が住んでいるということは大事なことなのだ。
翌日曜日の朝、6時から私の町内の田の神様で「さなぶり」のご祈祷を行った。
町内の方全戸から出て掃除を行い、小さな田(約一坪)に田植えを行い、ご祈祷を行う。
無事田植えが終えたことを喜び、田の神様に守られ、家内もお天気も守っていただいて秋にまた無事に収穫されることを祈る。
こちらは直会はないがお神酒を少しづついただく。
こういう形で行事が残っているところはほとんどなくなってしまった。
そして、一般財団法人 田沢自彊会が主催するお祭り。
これも毎年恒例である。
まずは、大峠トンネルの上ぐらいに位置する、普洞沢の滝の所に祀られているお不動さまから。
全くの山の中。
エゾハルゼミの蝉しぐれ。
毎年来ているが、こんなに賑やかな年は初めてかもしれない。
山に関わっている方が多い参加者は、今年の天候と昆虫や鳥など生き物の状況がおかしいと感じていることを口々に話される。
私もそう感じている。
それから、国道へやや戻って八谷地内の山之神様のお堂でご祈祷。
そこはかつて、この集落でお祭りしていた。
最後は上中原まで戻って来て、草木塔の供養。
3ヶ所でのお勤めを終え、役員さんや地区来賓の方々など20人ほどが参加して直会ということで、財団の会館へ。
これまた毎年頂いている山菜汁。
高級品になった塩鯨の大盤振る舞い(^^;
うんまい、けど食べすぎに注意である。
絶好の好天。
勿体ないぐらいの晴れ。
今まで、こんなに良い天気に恵まれたのは、初めてだったかもしれない。
山里の田から、奥山の山中まで、ずうっと拝ませていただいた一日だった。
補修工事は、今冬大破した前部は概ね補修ができたようで、今度は向かって右側の屋根に取りかかっている。
今日は職人さんが休みで、私は周囲の掃き掃除をして、毎月の如く勤行を行った。
五月八日のお祭りは、後日連絡という形でいたのだけれど、申し訳ないことに数人の方がお堂まで来て下さり、また電話での問い合わせもいただいた。
訳をお話しして、七月八日に執行することをお伝えした。
また、先輩のF師が法事の帰りと、立ち寄ってくださった。
F師のお寺も山里の過疎地帯。
お堂の維持や運営などについて様々と教えていただいた。
地域の人がだんだんと引っ越して少なくなってゆき、実際的に冬季間の管理はかなり困難になっていること。
土地を離れることで、つながりが希薄になり、家族であっても、次の世代の人々に土着の信仰が引き継がれにくいこと。
人の指向或いは思考が変化しており、昔から行ってきたことがそのまま通用しなくなってきていることなど。
先日、館山公園のジャンプ台の側にある観音堂が荒れ果てた状態になっているのを見てきた。
山ではあるけれど、比較的市街地に近い場所ですら起こりうること。
これから考えていかなkればならない問題である。
大荒沢から玉庭方面へ車を走らせてみた。
過疎化に拍車がかかっているとはいうものの、まだこの御伊勢町あたりは田んぼの作付が行われており、周囲の風景も人の手が掛けられきれいな状態になっている。
奥の方に、かつてサンマリーナ玉庭スキー場とリゾート施設がわずかに見える。
そちらの奥の方へ数km車を走らせると、耕作放棄され放置されたままの荒れ果てた風景になる。
その境目あたりにある地域の公民館に人が自転車で集まって来ていた。
おそらく「さなぶり」で、の方々が直会を始めるところではないかと見えた。
人が住んでいるということは大事なことなのだ。
翌日曜日の朝、6時から私の町内の田の神様で「さなぶり」のご祈祷を行った。
町内の方全戸から出て掃除を行い、小さな田(約一坪)に田植えを行い、ご祈祷を行う。
無事田植えが終えたことを喜び、田の神様に守られ、家内もお天気も守っていただいて秋にまた無事に収穫されることを祈る。
こちらは直会はないがお神酒を少しづついただく。
こういう形で行事が残っているところはほとんどなくなってしまった。
そして、一般財団法人 田沢自彊会が主催するお祭り。
これも毎年恒例である。
まずは、大峠トンネルの上ぐらいに位置する、普洞沢の滝の所に祀られているお不動さまから。
全くの山の中。
エゾハルゼミの蝉しぐれ。
毎年来ているが、こんなに賑やかな年は初めてかもしれない。
山に関わっている方が多い参加者は、今年の天候と昆虫や鳥など生き物の状況がおかしいと感じていることを口々に話される。
私もそう感じている。
それから、国道へやや戻って八谷地内の山之神様のお堂でご祈祷。
そこはかつて、この集落でお祭りしていた。
最後は上中原まで戻って来て、草木塔の供養。
3ヶ所でのお勤めを終え、役員さんや地区来賓の方々など20人ほどが参加して直会ということで、財団の会館へ。
これまた毎年頂いている山菜汁。
高級品になった塩鯨の大盤振る舞い(^^;
うんまい、けど食べすぎに注意である。
絶好の好天。
勿体ないぐらいの晴れ。
今まで、こんなに良い天気に恵まれたのは、初めてだったかもしれない。
山里の田から、奥山の山中まで、ずうっと拝ませていただいた一日だった。