明治5年(1872年) 8月25日 建立と資料にある草木塔。
飯豊町中津川地区にある、はずなのでありますが・・・。
ついに、いまだ見つけることができません・・・でした。
藤巻氏や梅津氏の資料によると、間違いなくそれはあるはずなのです。
広河原地区へ向かう途中で、すでに集落は無くなっている地域です。
旧道沿いの金毘羅様境内にあると、梅津氏の資料にはあるのですが、どうしたことでしょう。
来春、改めて探してみたいと思います。
10月もとうとう末日になった。
朝の気温が3℃だったのは、2~3日前のことだった。
うんと寒いはずなのだけれど、もう何となく体が寒さに対応してきたようである。
我が家では、まだ小さい娘が、日曜日の夜中から急に発熱して、朝には下がってケロッとしているというのが2日続き、乳児園を休ませていたのだが、とうとうお医者さんに連れてゆき、咽頭炎ということで薬を処方してもらって、ゆっくり休ませたら、今日はもうほぼ普通に戻った感じである。
そうこうしているうちに、私も昨日から風邪気味らしく、調子が良くない。
体を冷やさないように、適度に暖房をしたり、服を脱ぎ着して調節して対応しなくてはならぬ。
昨日、いつものごとく、母のお供で福島市にある医大病院へ行って来た。
事前情報で、栗子峠の東と西の二つの長いトンネル内の工事のため、24時間片側交互通行になっているので、時間に余裕を持って出かけるか、迂回をするようにということであった。
さすがに、迂回道路はかなり遠回りになるし、山岳路になるため、待つのを覚悟して出かけた。
まず、画像の西栗子トンネルまでの遥か手前で待ち。
ここでは、10分足らずで動き出した。
「紅葉が綺麗だなぁ。上はもう散ってるし・・・」という余裕があった。
次は東栗子トンネル。
こっちは15分ぐらいで、ようやく動き出した。
往路だけで25分の待ち時間。
診察を終えて、17時半頃に栗子峠に差しかかった。
まず東は、運が良かったのか、6分程度で動き出した。
次は西、こちらは15分程度かかった。
復路で21分余りの待ち時間。
往復で45分以上待っていたことになる。
トンネル一つづつ工事してくれたらいいのになぁ、と思う。
天井版の取り外し工事である。
昨年だったか、天井版の崩落による事故があったため、この工法のトンネルの点検と改修を急いでいたことは間違いない。
ただ、今の時期に行うのは予算の関係なのだろうと思う。
それに、積雪の多い冬期間だと、事故の危険や動けなくなってしまう恐れもあり、12月20日までの工期で一気にやってしまおうということだろう。
米沢近辺の道路等の工事も、秋口にあちらこちらでやられており、片側通行で待つことや、渋滞は当たり前になっている。
以前は雪が降りだす頃にやっていたものだが、前倒して予算を執行し工事を行っているのだろう。
みていると、計画的でないように感じる。
袋小路状に入口と出口を狭めて、渋滞をわざわざ作りだしているような場面が見られる。
予算を無駄なく使うという大義名分があるのだろうが、次年度に予算をまわして、交通渋滞をできるだけ作らず流れよくして工事を行うということができないものだろうかね。
台風接近の影響なのでしょう、雲が重く垂れこめて、雨が降り出している田沢です。
皆様の地域ではいかがでしょうね。
今週末も、各地でイベントが目白押し、準備をなさっている方々は気が気でないことでしょう。
田沢地区でも、田沢コミュニティセンター・小学校を会場に「木魂祭」(こだまさい)が開催されますが、お天気がどうなのでしょうねぇ。
外でのイベントが多い文化祭ですので、お天気にさえなってくれると、半分ぐらい成功したっていう気分になっていたものです。
コミセン在職中、一度だけ小学校体育館内で行ったことがありましたっけ。
11月3日に開催していた当時(15年ほど前)、雪が降ったこともありましたっけ。
懐かしいです。
田沢は他の地区より早く雪が降るので、その後、10月開催ということにしたんでした。
田沢寺の太鼓が、きれいになって帰ってきました。
じつは、9月初めに、私がご祈祷中に叩いていた時に、なんと、破れてしまったのです。
米沢の、中島屋太鼓店さんに修理に出して、直していただきました。
そうしたら、今まで解らないでいたことがいろいろ解りました。
祖父の時代から古い布を幾重にも巻いて使用していたので、その布を取ってみたら、縄で絞められた締め太鼓だった。
縁の方だけ、素人の修理で、太鼓の縁に釘で打ち付けてあったこと。
締め太鼓は、持ちながら叩くように、胴を薄くして軽量に作られているもので、一般には小さなものなのだけれど、約一尺八寸のこの太鼓は珍しく大きいほうであること。
そして、破れた皮を切ってみたら、嘉永二年という年号と、作者の銘が書いてあったこと。
太鼓屋さんは、皮の張り替え等の修理を行った場合、必ずその年月日と職人の銘を入れるものなのだそうです。
作ってからそれ以後、加筆されていないので、およそ150年以上は修理しないまま使われていたであろうということ。
私が破ってしまった(破れたのですけどもね・・・)おかげで、いやはや、約150年の時代を超えて解ったこと、今まで知らないでいたことを知ることができたわけです。
怪我の功名・・・と言えるかどうかわかりませんけどもね(^^;)
なんだか気持ちを入れ替えてお寺のことに取り組め、ということかもしれぬと、ひとりごちているところです。
あっという間に一週間。
日中の気温がぐっと下がりましたね、
先週は、火曜日に「平日いも煮会」をし、その夕から台風の影響で、雨。
米沢近辺では、羽黒川などが増水で警戒警報が出たようですが、幸いなことに果樹などにも被害はなかったようです。
直撃した伊豆大島では、土砂崩れで多くの犠牲者が出て、いまだ行方不明になっている人がいるという災害になってしまいました。
テレビ等の報道で、なぜ島で避難等の緊急警報が出なかったのか、等の検証が行われているようです。
災害で亡くなった方々は戻ることがありませんが、この後の被害を防ぐためにも、なぜ?を解明しておかなければならないですね。
そうして考えると、東日本大震災から2年半経過したばかりで、7年後の世界中からトップアスリートが集まるスポーツの祭典が開かれることに決まりました。
それはそれで嬉しくないわけではないのですが、震災後に起こりうる地震の想定やその影響を盛んに流していた報道は、どうしちゃったんでしょうね。
たしか、起こり得る津波の高さは10mとか20mとか言っていたようなのですがね。
十三夜に、私の父は十三のお供えをします。
そして、月を拝みます。
その夜は冴え冴えとした満月が出ています。
子供も家族みんな月に手を合わせます。
あぁ、なんだかこの瞬間は平穏だなぁと感じます。
自然の大きさ美しさ、それと怖さや深さ不思議さも感じるようになるのですね。
祈りとともに、希望的過ぎない取り組みも必要なのでしょう。