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変わりやすいお天気であります

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11月18日(月) 曇りのち晴れ。

午前中、お隣の簗沢地区のお宅にうかがい、オタナサマのお祭りのご祈祷。

オタナサマは納戸の神様で、置賜地方の独特の神様のようです。

オトウカサマというところもあり、田沢地区の早いお宅でうは11月10日にお祭りなされます。

祀られている場所も様々、ご神体も決まった形はなく、締め飾り出会ったり切紙であったり、代々伝わるお椀であったりします。

共通しているのは、その家の旦那が主として男衆が取り仕切るというところでしょうか。

12月10日前後にもまた、行われます。

 

19日(火) 晴れ。

小野川の小町山 甲子大黒天の年越し例大祭に助法です。

山伏の法を修しご祈祷を行います。

一年に一度、新たな年が良い年になるようにと、各地から500人余りの方々が参拝に訪れる賑やかなお祭りです。

宝弓と宝剣と開運招福加持の配役です。

竹かごで編んだ大黒様の打ち出の小槌をふるって参拝者の中をまわって加持し、しかも当たりくじのある色紙がまかれます。

ここれはけっこう美味しい役割でして、翌日の山形新聞・米沢新聞、ケーブルテレビと民放に全てでてました(^^;

とても美味しい役割ですね。

 

逆沢の六十里鯉の養鯉場で池の水揚げが始まりました。

毎年、年末年始を前に行われる風物詩ですね。

 

20日(水) 晴れたり曇ったり小雨が降ったり、不安定なお天気。

朝からお勤めが続きます。

米沢市東部の八木橋へ行くが、住宅地で迷ってしまい若干遅刻(^^;

それから、館山町、それから林泉寺。

11月としては珍しく、繁忙であります。

 

21日(木) 晴れ。

そして夜、高校の部活動連合会の同窓会というものがあり出席。

高校のすべての部活のOB会ですね。

懐かしい方々とお会いして、最後に応援歌や効果をうたってお開きです。

 

22日(金) 晴れ時々小雨。

古本を整理し、フレンドリープラザで12月7(土)・8日(日)に開かれる古本市のために搬入。

その勢いで、外回りと小屋を整理し、ゴミをクルマで千代田クリーンセンターへ搬入し終わる。

片づけが進むと気持ちが良い。

外に無造作に置いてあるもの、季節ものも小屋の中にしまうことができた。

気持ちの良いことであります。

 

お寺の屋根の下に、先日の雪がまだ残っています。

これも一度消えてくれるといいのですが。

 

 

 

 

2013.11.30:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

暖かさが恋しいね

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11月15日(金)、小雨のち曇り、やがてお天気回復。

午前中に、田沢の曹洞宗のお寺さまの庫裡のご祈祷のお勤めをさせていただいた。

6月から改築をなさって、ようやく工事を終えられた。

この洞松院さまとは昔からのお付き合いをさせていただいている。

昔から、お葬式でも宗派を超えてそれぞれの伴僧をさせていただく。

お寺同士のお付き合いというほかに、地区の皆様が呼んでくださるということと、昔は今のようにクルマであちこちから来ていただいたり出向いたりすることが簡単ではなかった、ということがあったから、という事情もあったからなのだけれども。

私は、どこでもお寺というものはこういうものだと思っていたら、けしてそんなことはなく、逆に「邪道だ」としかられることもあったり・・・。

自分としては、お寺や地域の方々とちゃんとお付き合いしていれば、このカタチで良いのではないかと思っている。

 

翌16日(土)、曇りのち晴れ。

午前中は福祉施設での会議。

思わぬ方と出会い挨拶を交わす。

ところで、このところよく顔を覚えていてご挨拶をして、「お名前はなんでしたっけ?!」ということが多くなってきた。

訪ねても差し支えない場合もあるけれど、そうでないことの方が多くて、頭の中の引き出しをあちこち引っ張ったり叩いたりしてなんとか思い出そうとする。

いいあんばいに出てくると気持ちが晴れるのだが、そうでないといつまでも気にかかって仕方がない。

今度お名前を訪ねても許して下さいね。

 

17日(日)、曇り。

朝のうち、霧が押してきてお日さまが出てこない。

町内の公民館掃除の当番に私の隣り組が当たっており約1時間のお掃除。

 

その後、大荒沢のお不動さまのお堂へ行く。

なんと、先日の雪がまだ積もっていた。

雪囲いは、しっかりと強い風にもなんともないようである。

仮設トイレの囲いをしなければならないのだが、材料が足りないので、後日行わなければならない。

さて、今年は12月8日はクルマで来られるだろうか。

 

夜は鍋料理担当の私、寒いのでキムチ鍋を作って食す。

いやぁあったまったあったまった。

白菜が美味しくて、鍋料理が楽しみな季節である。

 

 

 

 

 

 

 

 

2013.11.29:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

248 『流星ひとつ』

  • 248 『流星ひとつ』

沢木耕太郎:著 (新潮社  2013年10月10日発行)

 

今年の夏、8月に自殺した 藤圭子のインタビューによるノンフィクション。

そのニュースをテレビやネットで知った。

そして、享年62歳という年齢に、あぁ自分とそんなに近い人だったんだなぁと、感じた。

彼女が歌手デビューし、テレビの歌謡番組によく出ていた頃は、私は小学生から中学生ぐらいだったのだろう。

その時代、アイドル3人娘として突出していた 天地真理・小柳ルミ子・南沙織の存在があった(年齢がばれてしまいますね)。

藤圭子は、じつはその彼女らとほぼ同年代。

シンシアがやや若干若いかもしれない、という程度。

 

当時、藤圭子が同年代だとはまったく感じなかった。

演歌というジャンルの違いだけではなく、年齢不詳、むしろ大人びた雰囲気を漂わせていたように思う。

そして、結婚、たちまち離婚、芸能界の表舞台から去り、やがて娘の宇多田ヒカルが現れ、藤圭子の娘と知りまた驚く。

その娘の存在感は十分であり、藤圭子の娘である、というレッテルはむしろ必要でないぐらいだったかもしれない。

やがて、時々芸能ネタで伝わるスキャンダルぐらいしか知らなくなった。

 

沢木耕太郎が、芸能界を引退しようとしていた、1979年にインタビューしたもの。

その当時、すでにノンフィクション作品を続けて出しており、ここでは、インタビューのみで構成したノンフィクションという、ある意味では実験的な手法で作品にしようとしたものとのこと。

しかし、書き上げてはみたものの、このままだすべきかどうか思案の挙句にお蔵入りさせることにしたという作品。

 

自殺というカタチで生涯を終えた。

その後も残念ながら、遺族がらみのスキャンダラスな報道や、ただただ精神を病んだ果てのことであるようにしか伝わってこなかった。

 

このタイミングで、30年以上も前に彼女によって語られた言葉が出されたことは、当時、アイドルとはいい難いけれど、今でも何を歌っていたかを思いだせるぐらい、鮮烈な存在感があった藤圭子に手向けるべきものであるような気がする。

まさに流星が一つ流れた、そんな感じである。

2013.11.27:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]

復調したみたい

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11月13日(水)朝、お寺の前の市道には雪が積もっていた。

お天気は晴れ、しかし、さすがに雪が降っただけあって寒い。

米沢市街地は積っていないそうだが、山手や峠道は道路に残っているから気をつけなければいけない。

大峠では、やはりスリップ事故が起きているようだ。こちらが気をつけていても、雪道に不慣れなドライバーが少なくないのだろう。

今年は、栗子峠の二つの大きなトンネルで工事のための規制があるので、迂回するクルマも多いようだ。

さて、一日延期した墓地でのご供養はもう一日日延べすることになった。

11月後半はそれほど忙しくなく、こんなこともできてよい。

午後に福祉関係の会議に出席し、その後、伝国の杜へ行き企画展を観覧。

 

「忠臣蔵の真実」という企画展で、11月24日まで。

米沢では、吉良家と縁が深い米沢藩(上杉家)であり、忠臣蔵はあまり喜ばれないものであった。

主君の無念を晴らす四十七士の姿、お家が残った吉良家に対し、城主の切腹と城の召し上げという不平等とも思われる沙汰に、これを題材とした芝居は世の判官びいきを見方に人気を博し現代まで人気がある。

その、憎まれ役の吉良上野介とはどんな人物なのか、吉良家は・・・というようなところに焦点を当てている。

展示資料を眺めていたら、2時間余りがあっという間に過ぎてしまった。

伝国の前の広場は夕暮れて、雪が少々残っていた。

 

翌14日(木)は、お天気が落ち着き晴れ。

猫が外に出て日向ぼっこをしていた。

ようやく墓地でのご供養ができて、雪が積る前に墓地の改修をされる。

来年の4月から消費税が8%に上がるため、大きな出費を要することは、できるだけ今年のうちに行いたいという方が多いようである。

そこから10%に上げるために、政治家はどんな策を弄すのだろう。

今年はオリンピック招致成功というのに、すっかりごまかされてしまったからなぁ。

 

さてさて、お天気の良いうちにお寺の建物の雪囲いである。

作りつけのパネルを小屋から出してきてあてて行く。

2枚ほど壊れているものもあり、修理をしなければいけない。

毎年今頃、決まってする作業、「あぁ今年もいよいよだなぁ」とちょっと気分が落ちてくる。

とわいえ、身体を動かしたら、夕刻にちょっと一杯やりたい気分になった。

 

父が、いいで旅館からお土産に買って来てくれた「どぼろく」を飲む。

ようやく、飲みたい→飲んだらうまい、という感じになってきた。

体調が戻って来たんだなぁと思った。

 

 

 

 

 

 

2013.11.26:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

38番目 高畠町上和田の草木塔

  • 38番目 高畠町上和田の草木塔

高畠町にもじつは(古い)草木塔があります。

上和田の太田釣堀というところがあり、向かい側のブドウ園側の道の向こう側でした。

紅葉した木の脇に、ちゃんと建っていました。

ただ、資料にある写真と比較したら、位置が変わっているようなしまwした。

凝灰岩で、やや加工された感のある石です。

表面にははっきりした字体で「草木塔」と刻まれています。

段差がついていますけど、字がしっかり残っているので、割れたりしたものではないのでしょう。

建立年月日ははっきり読みとれませんでしたが、資料によると、明治9年(1876年) 8月8日。

同じく資料によると、建立者は佐藤八三郎。

さらに左側に世話人 二宮佐エ門 我妻冶三郎 二宮惣兵エ とあるそうです。

高さは1mほどで、よく目立つ所にあり、よいですね。

 

建立の趣旨はよく判らないのですが、高畠町の歴史に詳しい方によると、米沢の窪田町の入会山に関する文書があり、その中に和田地区の入会山に4基建てたという記述があるそうです。

そうであれば、4基の草木塔が建っている可能性があるのですが、見つかっていません。

この草木塔は移動している可能性もあるそうです。

2013.11.24:dentakuji:コメント(0):[草木塔を歩く]