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そして満月に

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12月16日(月) 吹雪のち、寒気が緩み、夜には月が出ていた。

 

約三日間の雪で、もうすっかり周囲は雪ですな。

除雪 → お寺さまと打ち合わせ → 檀家さんと打ち合わせ → 除雪 → 福祉関係団体の会議 

除雪と話し合いで出かけたり戻ったりしながら一日を終えた。

 

代車に借りたフリードハイブリッドは、七千㎞ほどしか走っていない、ほぼ新車。

静かだし、やはりガソリンが減らない。

やっぱりよいなぁ。

クルマ屋さんから、CRVの足回りがだいぶやられており、部品交換が必要とのことで、2~3日かかるもよう。

こうなると、この際だから買い替えるかなぁ、などと思ってしまうのだけれど、我が家の財政にそんな余裕はどこにもないわけで、しばしのフリードくん(さん)とのお付き合いなのである。

 

12月17日(火) 晴れ時々曇り、小雨 夜には満月

お天気が落ち着き、時間ができたところで、まだ雪囲いが終わっていなかった玄関部分の作業を終わらせた。

なにしろ、材料を雪の下にしてしまったため、除雪機を使って、まずをそれを掘り出してからという始末。

いやはや、それでも何とか夕刻までに終了。

東の空に、満月が煌々と浮かんでいる。

夕食に、友人から送られてきた能登いかの野菜詰め(キムチ味)をいただいた。

 

 

 

 

2013.12.30:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

レレレのレ

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12月14日(土) 雪

朝、玄関を開けると、雪がもそっと積ってました。

昨日のびじゃ雪だから、除雪機で除雪すると、スロワーにくっついてすぐ詰まったり、雪の重さでローター部分が重くなりピンが飛んだりと、だいたいたいへんなイライラになるので、少し余裕があるからスノーダンプで除雪を行う。

 

これも身体がまだ慣れていないので、すぐくたびれるものの、いらつくよりよっぽど気分がよい。

 

日中は、両親がインフルエンザの予防注射を受けに行き、しばらくお留守番。

ご祈祷と来客のお相手と除雪で一日を終えた。

子どもがいないので、夜はキムチ鍋をして暖まる。

冬は鍋物率が高くなりますね。

手軽で暖かくて美味しい(^^)

 

 

12月15日(日) 雪

いあやぁもうビックリ!

駐車場をじょせつしないでおいたら、前夜からの雪が多いところで90センチ近くある。

除雪機を初稼働なのだけれど、これは仕事始めとしては、かなり過酷な状況です。

煙を吐き吐き、息も絶え絶え、という感じなので、少しづつ慣らしながら雪を飛ばしてゆきます。

 

境内の方は昨日除雪していたので、40センチほど。

それでも、今年は雪囲いが行き届いてないので、そちらこちらの様子を見ながら飛ばすという、なんともはや、情けないことに。

 

わが車も「レレレのレェ」という感じで笑っているみたい。

なとかかんとか除雪を終えて、日曜日は数軒のお勤めをさせていただきました。

さらに除雪を終えてから、レレレの愛車CRVくんの9年目(18万5千km)の車検で、ディーラーさんに持ち込み。

代車のフリードスパイクを借りて帰宅。

このクルマはハイブリッド車。

これがなかなかなかなか良いクルマなんですね。

ちょこっと浮気してみたくなったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2013.12.28:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

252 『死刑でいいです』

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孤立が生んだ二つの殺人

池谷孝司:編著 (新潮文庫 2013年5月1日発行)

 

2009年7月に25歳で死刑執行された山地悠紀夫。

2005年11月、22歳の時に大阪で若い姉妹を惨殺し逮捕されたのが死刑判決を受けることに到った罪。

2000年7月、16歳の山地は母親を殺害し、その後、少年院で矯正教育を受けて、2003年10月に20歳で社会に戻っていた。

 

母親を殺害し、その五年後にまったく関わりのない姉妹が殺害されてしまった。

姉妹殺害を防ぐことはできなかったのであろうか、著者のルポルタージュはそこから始まっている。

 

「孤立が生んだ二つの殺人」という副題が付いている。

この山地の殺人事件については、この本人の社会的な「孤立」がキーワードになるということなのだろう。

 

第一の殺人は、実の母の惨殺である。

父は働きがよくなく、酒癖がわるく家庭内での暴力もあり、その父親は小学生の時に病死してしまう。

なのに、なぜ母親を殺してしまったのか。

このあたりを、親の親族や子ども時代の同級生などからの取材で様子が見えてくる。

家庭経済の貧困、母親の愛情表現の乏しさ、山地本人の性格というのか個性というべきか、そういった生活環境や社会との関わり方は、普通とは言えないものかもしれない。

けれども、彼と同様或いは同等の環境にある子どもは、全くいないとは思われず、そこに加わる要素の一つとして、ある種の発達障害ではないかということ。

実際に、犯行後にそれを調べるテストも受けている。その発達障害が発行の直接の原因ではないのであろうが、そのことによって学校や社会の中で人間関係を上手く作ることができないで孤立するということはあるのではなかろうか。

 

自ら母親を殺めたことによって、一人っ子の山地はさらに孤立することになってしまった。

 

少年院を出た後、彼には戻るところが無いのだ。

こういった矯正教育を受け、社会に戻るについては、システムとしては受け入れ先はあるのだろうけれど、実際には彼にとってよい落ち着き先が無かった、ということになるのだろう。

結局、彼が比較的心を許していた父の仕事の関わりのあった人のところに行くのだけれど、その人が非合法な仕事をしている人であった、そのことが結局第二の殺人へ導く結果になってしまっている。

ここを別な形で社会に出たならば、惨殺殺人は起きなかった、などと断言できるものではないのだが、少なくともたった2年でほとんど彼と面識のない姉妹が殺されと言うことはなかったのではないか。

 

判決確定後、わずか3年余りで、なぜ姉妹を殺めなければならなかったのかという真相が語られることなく、被害者への贖罪の言葉はおろか反省の言葉も無いまま死刑になった。

 

表題の「死刑でいいです」というのは「さっさと死刑にしてくれ」という彼の言葉の一つ。

「どうせ生まれてこなければよかった」という言葉も吐いているそうなのだが、こっちの方がまだ人間のこころが感じられるような気がする。

母を殺めたことについても、反省の言葉はなかったという。というよりも、反省という概念が欠落しているのではないかとも思われる。

 

第二の殺人後、彼が当時に正当な判断が可能な精神状態であったのかどうかという精神鑑定が行われている。

姉妹殺人事件に関して言えば、発達障害ではなく人格障害という、刑事責任能力ありという鑑定が出され、死刑が求刑されることになった。

 

はたして、これでよかったのだろうか。

被害者側としては、一刻も早く極刑に処するようにと、嘆願書を出している。

普通に考えれば当たり前であろう。

 

ただし、この事件に関して、本当に死刑にしてしまえばよかったのであろうか。

もっと時間をかけて、発達障害との関わりや、構成システムのチェックというようなことがあってもよかったのではなかろうか。

そんな気がしてならない。

 

 

 

2013.12.27:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]

びじゃゆき

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12月12日(木) 朝方雪が積もっていた。

びじゃ雪で、除雪をするほどでもないぐらいの量。

娘を送って米沢市街地へ行くと、多少少ないものの、雪は思ったより積もっている。

雪を触ってみたいらしくて、服が濡れてしまうのもかまわないので、ちょいと困ってしまう。

 

この日の夕刻、米沢城址の堀端を歩いてみた。

街灯の明かりとあいまって、まるで花が咲いているように見える。

雪の花ざかり。

湿った雪がちょうどよく桜の枝に積もったんだね。

今はこんなふうに感じるけれど、これ以上降るともうそんな余裕もなくなってくるだろう。

 

 

12月13日(金) 晴れ。

昨夜降った雪が残っており、除雪車が玄関先に置いて行った雪が重いこと。

このていどの雪は、濡れ雪で、かまわずとも消えるんだろうけども、公道の雪はやはり除雪しとかないと問題あるんだろうな。

玄関先の湿って押しつけられた雪の塊が重い重い。

「んに~、しなくてもいいのに!」などと口に出てしまう。

公共の道を確保する上では、これは沿線に住むものが理解し協力しなければならないこと・・・とは解っていても、くどきたくなる(ぼやきたくなる)のも解ります。

 

あぁ、13日の金曜日なんだなぁ。

今日もどこかで、伊奈かっぺいさんがライブをやるんだがなぁ。

 

たまたま行った財団の事務所で、「草木塔の資料贈呈があるから一緒に来てけろ」と言われコミセンへ。

毎日新聞の米沢支局の記者さんから、先日玉庭のあるお宅で発見された草木塔調査資料があって、その写しを頂けることになったとのこと。

これは、草木塔調査の先鞭をつけた、米沢の佐藤忠蔵さんの親族に当たる家に保存されていたものとのこと。

県の博物館等に佐藤氏から寄贈された資料よりもあとのもので、貴重なもの。

ありがたく頂戴して、田沢コミセンの展示室に納められた。

 

もともとお持ちの方は、どういった資料かわからずに、蔵に保存されていたものだったそうで、たまたま毎日新聞の新しい草木塔の除幕式の記事を見て、申し出られたとのこと。

こんなカタチで資料が出てくることがあるものなのだなぁ。

やはり、なにか発信することって馬鹿に出来ないよね。

 

2013.12.27:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

41番目 米沢市綱木の草木供養塔

  • 41番目 米沢市綱木の草木供養塔
  • 41番目 米沢市綱木の草木供養塔
  • 41番目 米沢市綱木の草木供養塔

40番目の川西町上奥田の次は、米沢市の南に位置する綱木集落の草木供養塔です。

綱木集落は、かつて米沢と会津を結ぶ主要街道(米沢街道) 桧原峠の米沢側の宿場として賑わっていたと云われています。

往時は、60~70軒もの家がこの狭い沢沿いの土地に建っていたのですね。

数度の大火にも遭っているそうです。

現在は6軒ぐらいのようですが、集落の奥に残っている小学校の校舎や、すでに本堂や庫裡といった建物は無くなってはいるもののお寺の跡、山の神神社やその他の神社から、その昔の賑わいの一端を感じることができるようです。

 

さて、この集落の中ほどにある山の神神社の参道にあるというので、長い石段を登りつつ

探すことしばし。

ありました。

けど、なんだかヘンテコです。

草木塔のすぐ前に、別な石塔が建っています。

見方によっては、狭い石塔の間に草木塔を挟み込んだようにも見えます。

 

普通、このような立て方はしないでしょうから、どの石塔か(あるいは全て)、どこかから移設したと考えてよいのではないでしょうか。

画像の位置では見にくいのですが、よく見ると、刻まれた文字ははっきり読むことができます。

 

中央には「草木供養塔」と細い文字で刻まれ、その向かって右に「明治十二年(1879年) 八月十五日」とあります。

左側には、「村中 為安全建立」とarimasu.

その下には読みにくいですが、「施主人 中川新八  梅津豊吉」とあるようです。

二人とも、綱木に多い名字で、地元の人と思われるとのこと。

 

しかし時代の流れとはいえ、主要道路は白布越えや大峠に変わって、街道としての役割を終えた宿場。

この草木供養塔は、集落で起きた大火と何か関わりがあるのだろうか。

 

 

2013.12.25:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]