丸谷才一・井上ひさし:選 (朝日文庫 1984年4月20日発行)
さてさてこれは、「週刊朝日」に1974年12月6日号~1978年10月27日号に連載された、一般読者からの投稿で構成されている。
選者が、丸谷才一と井上ひさしという、山形県が生んだ・・・というよりは、日本におけるでっかい才能なのであります。
厖大な投稿から秀作を選び、さらに若干手を加えるという、とてつもなく大変な作業を、このおふた方は実に楽しげになさっていたようであります。
さて、パロディとは何か。
言葉遊びの一種であり、原典の文章を使って面白おかしく換えて楽しむもの。そして、そこには社会風刺や権力に対する一撃的な、しかもユーモアがあって笑えるものというようなものでありましょう。
そう考えると、なかなか難しいものではありますね。
ちょうど、1970年代半ばから80年代半ばまで刊行されていた「ビックリハウス」という雑誌がありました。私が高校生から大学生ぐらいの時代で非常に勢いがありました。
パロディ雑誌ということで、当時のサブカルチャーのマニアックな部分では抜き出た存在だったと思います。
やはり、投稿で成り立ったおり、その中にパロディの部分があって、その後底から、投稿者がサブカルの世界だけでなく有名人が出たりしてます。
ただ、その当時も私は面白がりながらも、これはパロディという範疇ではないような感は持っていたのでした。
lっこちら『花のパロディ大全集』を読むと、その間が一層増してきます。
なにしろ、いきなり岩波文庫の「読書子に寄す」のパロデイですからね。
格調高い意識の表れであるこの文章を使って、さぁどんなパロディが生まれてくるのか。
その一席に選ばれたのは「国民賢者に寄す」 三福連合に際して というもの。
当時の政治状況、田中角栄の金権政治に対して、福田が三木と政権奪取に手を組むということについていかがなるものか・・・というようなことなのであります。
まぁ、当時の私は全く関心監視ありませんでしたけども、どれもこれ、政治権力の争いなどというものは、皮をむけば皆同じというよな思いが込められているようでありますね。
なにしろ、この原典をしらなければ、優れた作品であっても「あぁそうなんだ」という感じしか持てないし、パロデイというものはなかなか深そうなのです。
その点、百人一首などのパロデイだと、文字数が少ない分、なんとなくわかったような気分にもなりますね。
例えば、大賞に選ばれたこの作品。
対 アントニオ猪木戦の感想を問われて詠める モハメド・アリ
「顎の裏を打ちに出てみれば白けるなう不意のゴロ寝に俺は困りつ」
というの。
原典は万葉集の「田子の浦ゆ うち出でてみれば真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りかる」 山部赤人
百人一首では「田子の浦に うち出でてみれば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ」となります。
田子の浦 →あごのうら
うちいでてみれば → 打ちに出てみれば
白妙の → しらけるなぁ
富士の高嶺に → 不意のゴロ寝に
というように、韻を踏んで作られているところがまたすばらしい。
その当時、この異種格闘技は世紀の一戦というか、珍奇な一戦というかわからぬが、相当な興味を集めた一戦だった。
ところがふたを開けてみたら、ゴングが鳴るなり、猪木はリングに背をつけた恰好で、正対しているものの、ありはどう戦ったらよいかわからぬという感じで、ラウンドは進んで行った。
時々苛立ったアリが仕掛けるものの、寝技に持ち込まれては勝ち目がないから、散発の攻撃となる。猪木は猪木でまともに殴りあったら勝ち目がないので、そのスタイルに終始するしかない。
結局、10ラウンドだったか12ラウンドだったか忘れてしまったのだが、消化不良というか欲求不満というか、そんな状態のまま試合は終わってしまった。
アリは困ったであろうし、テレビ観戦の私たちは期待はずれでチカラ抜けちゃったし、一番損したのは会場で高いチケット買って見てた人かもね。
こうした短い分のパロディなら、もしかしたら自分も作れるかも、一瞬そんな気がするのだが、選者も選評をパロデイで書いており、やはり叶わぬなぁと感服。
最近ちょっと息苦しい感じの時代にこそ、パロデイはいいかもしれぬ。