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なごり雪と記念日

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3月19日(水)晴れ 曇り 晴れ

今朝も声がまともに出ない(この日が最悪だった)。

お彼岸中ではあるものの、今日と明日はお勤めがなくて助かった。

 

畳の表替えは、今年度分最後の6畳間。

大きな家具があるので、畳屋さんと一緒に移動の作業をしてなんとか畳を出した。

16時には仕上がり、再び家具の移動をして、無事に完了。

畳屋さんは私よりちょっと年下で、家業を継いで仕事をされている。

そして、野球好きで、もう何十年とグラウンドでは対戦したり、何度か同じチームに補強されてプレーしたことがある。

いつも野球の話になって、もういいオヤジなのだけれど、話しているうちに気持ちは昔に戻ったりする。

 

畳を終えて、気分が高揚したので、その勢いで懸案だった、破れていたトイレの天井板を上げた。

大工さんだったら、もすこし体裁よくするのだろうけれども、日曜大工ゆえご勘弁なのでした。

 

お寺の門の前のヤマザクラが、このところの気温上昇で、芽がふくらんで来たような感じ。

早い年だと4月上旬に開花する。

果たして今年はいつになるかなぁ。

 

 

3月20日(木) 小雨から曇り やがて雪

夕刻、一片がすごく大きい、ボタ雪が降って、周囲が真っ白になった。

なごり雪?

 

来客が時折ありながら、翌日の行事と月末の大般若会に向けて片づけ方をする。

 

娘は、園からケーキとお寿司と絵本をいただいてきた。

22日が今年度の修了式があるので、お昼のお帰りで、お迎え。

お迎え時間ぎりぎりだったので、一人だけまだ昼寝をしていた。

 

そう、去年の今日、初めて歩いたんだっけ。

一年でもう走り回ることができるようになったんだ・・・。

成長の喜びと驚きなのであります。

 

 

2014.03.27:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

(263)『傷だらけの店長』 街の本屋24時

  • (263)『傷だらけの店長』 街の本屋24時

伊達雅彦:著 (新潮文庫  2013年9月1日発行)

 

 

本の帯に「本なんか もう見たくない  本が好きで書店員になったのに・・・」とある。

正直に言うと、本が好きな私は(も) 本に関わって仕事ができて、そんなに大変そうでもないように見える本屋勤めをしてみたいものだ、そう思ったことがある。

 

友人にも書店員勤めをしている男がいて、週に何回と通って本や雑誌を購入したりしなかったり。

地方としては、まぁそれほど小さい本屋ではないけれど、大きなチェーンでもない。

自分ができないものだから、大学生になった甥をバイト先として紹介したぐらい(実際約2年以上働いていた)。

そんなに大変なものだと感じていたら紹介などしなかっただろう。

 

著者はやはり本が好きで、大学生のアルバイトから就職し店長を務めた人。

チェーン店でそこそこの広さの売り場があり、売上もある書店のようである。

主に、店長になってからの本屋の日常、過酷な仕事ぶりについて書いている。

 

書店員についての私の誤解。

本屋さんは、思いのほか肉体労働であること。

 (考えてみれば、本は重いし、毎日毎日雑誌などの新刊が押し寄せて来るんだね)

書店員の給料が安いこと。

 (高給取りとは思ってはいないものの、普通にもらっているんじゃないかと・・・。いくらぐらいなの 

 だろう)

店長が本部にお伺いをたてなければならないうこと。

 (ある程度はあると思ったが、けっこう窮屈なものだ)

 

他にもいろいろあるのだけれど、ずいぶんサービス残業もあるものだ。

 

 

話はちょっと変わって、自分のこと。

かつて、公民館職員(コミセン職員)という仕事を約20年ぐらいしていた。

一年一年契約更新する不安定な雇用形態でありながら、けっこう仕事が多い。

給料は同年代の地方公務員三分の一というところ。

その割合に、仕事が多い!

というより、一所懸命やればやるほど、仕事が増える。

仕事自体は面白く、やりがいがないわけではない。

けれど、年々仕事の量が増えてゆく。

もう限界!

人と関わっていくことは好きで、仕事がうまくいった時の達成感もある、けれど、それによってまた仕事が増える・・・。

けれど、給料も上がらないし、サービスもきりがなくなる。

 

 

書店員 伊達店長と似ていなくもない。

ただし、売上のノルマや、競合店の出店ということがないだけ、精神的には楽。

書店はなんとなく儲かっているような気がしてしまう。

食品のように品物が急速に痛んでダメになるということがないから。(単純)

日常的に万引きと渡り合っていることもわかった。

 

 

大型書店の出店により閉店に追い込まれ、その社員を辞め、他の書店に勤めるということもしなかった彼。

本が大好きなのに。

後書きに、現在の著者の様子として、個人的に探している本を探している本人の依頼を受けて、代わって探し出して届けるということをしている、そのようなことを書いている。

 

本が嫌いになったわけではなく、本と関わっていることに安心した。

 

 

2014.03.26:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]

彼岸入り なのですけど

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3月17日(月) 晴れ 気温上昇

久々に朝寝坊でした・・・(^^;

本日、畳更新の第2段、茶の間の畳の表替えで、早速畳屋さんが来て下さった。

 

居間は、畳そのものを新しくし、茶の間は床はそのまま使い、畳表を新しくするわけである。

金額的には5千円ぐらい違うのだ。

こちらはまだそれで十分対応できるということで、表替え。

朝六畳を持って行き、夕刻までに仕上げて、入った。

寸法合わせが無い分、楽ではあるが、畳の下の板が予想どおり(予想以上に?!)傷んでいて、高さを補正しなけれbなならない。

 

それにしても、比べてみると、当然のことながら新しい畳表はいいですね。

畳と○○は新しい方がいい・・・と言いますが(^^; (最近は、ここに旦那と入るかもね。)

見た目も、畳の匂いもいいです。

 

 

 

3月18日(火) 曇り のち小雨 時々本降り

朝起きたら、私の喉に異変!

あれあれ、声が出にくくなってる、ちょっと痛いし・・・。

 

本日、地元の三沢西部小学校の卒業式。

来賓として出席なのです。

こんな時に、いやだいやだ連発の娘を園に送り届けて、滑り込みセーフ。

学校の校庭は、例年の如く行きの山ですな。

 

今年は6人の児童が卒業です。

田沢地区は年々過疎化し、もちろん児童数も少なくなってきています。

けれど、少ないなりに、それぞれの子供一人ひとりが主役になり、責任感を持って学校生活を送っています。

重すぎるぐらいの責任かもしれませんけど、けして負けないで、他校の児童たちとも関わり合うことができています。

今年卒業の子どもたちも、頑張り屋さんです。

取り組んできた「田沢太鼓」を、卒業証書授与式の後、立派な演奏を披露してくれましたよ。

 

 

式終了後、しばし待って、お見送り。

在校生、教職員の皆さん、地域の人など、6人をその10倍の人数で送ります。

卒業生と在校生が握手をしたりして、感動的な場面もあります。

けれど、案外それが終わると「じゃぁね」という感じで帰ってくのが、子供らしくて面白いですね。

 

見送り後、隣のコミセンで祝賀会。

こども参加の第1部は、なかなか感動的。

先生のエールも出て、元気に送り出しましたよ。

もちろんノンアルコール。

 

その後は第2部、保護者と教職員、地元の方々で懇親です。

私は、お子ちゃまなので、第1部で帰らせていただきました。

 

夕刻前に、かかりつけのお医者さんに行き薬を処方していただき、その後、夕刻からは福祉法人の会議に出席。

熱も何もないのに、ますます声は出なくなっている、はて困ってしまった、お彼岸の入りなのでした。

 

 

 

 

 

 

 

2014.03.25:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

興味と関心

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3月15日(土) 曇りのち晴れ

 

お雛様を飾っている客間の所で、そこに置いてあった娘の写真のアルバムを、当の娘本人が見ていた。

畳の上に正座して、アルバムを座机の上に置いてページを繰っているのがなんだか可笑しくて(^^)

もう写っているのが自分であること、自分の父母であること、じいちゃんばあちゃんであること、従姉であること、写真を指さして言うので、解るようになってきたんだね。

それに、特に印象に残っていることは、何度も繰り返し言う。その内容が、私たちにとってはそれほど記憶に残るものではなかったりするので、「そこかい!」って、漫才のように思わず突っこみを入れたくなる。

大人が思うこと感じることと、子どもの受け止め感じることって、微妙に違うものなのですね。

 

午後からは山形市の東北芸工大へ。

文部科学省からの受託事業らしい、地域文化財に関する研究・調査報告会を聴きに行ったのだ。

昨年、大荒沢不動尊の彫刻を、研究室の方々調査にきており、その内容も含んでいたので、午後の部だけでもと思い出かけたのだ。

これは午前中から、山形県内の地域の文化財や文化に関する調査に関する報告を、それぞれテーマごとに区切りながら、午後5時まで延々と続けられていた。

ご案内の手紙と伴にプログラムをいただいていて、私の方の直接関係のある内容については午前中に終えていることは解っていた。

まぁそれでも、高畠町や西川町のことについてなどの報告も興味のあるテーマでもあったので、約2時間半ほど頑張って聴かせていただいた。

視聴覚機材を使う関係で、暗い階段教室で一日というのはかなり大変!

一般の参加者はちらほらおり、その中には知っておいる方もおり、コアな方々ばかりである。

その一方で、地域の調査に関わって、応援団のような人たちもその報告に合わせておいでになったりと、それはそれで取り組みぶりの熱心さが伝わるところもありました。

 

地域における信仰について、この広告のまとめを語られた中の一人の話が気になった。

町内で祀っている神社や堂宇に関して、時代的に町内会と信仰が、今までは不可分になっていたところがだんだんと分離し始めている傾向にあるということ。

まさに、今私が感じていることで、過疎化による堂宇の荒廃という問題とともに、考えて行かなければならないことと感じてきた。

 

芸工大から山形市内の紙月書房により、店主ご夫妻とお話しや、お願い事をして帰宅。

久しぶりに、学ぶ場に足を運んで、知的な高揚感みたいなものを得て帰ってきた。

 

夕刻帰宅すると、今の畳が敷かれていた。

デコボコで変形の建物にぴたりと畳を治めていただいた。

 

 

3月16日(日) 晴れ 曇り 時々雨

ちょっとした繁忙日。

町内の隣組当番による、公民館の雪片づけがあったのだが、今回は休ませていただき、次回(たぶん来年)の隣り組に参加させてもらうこととなった。

 

そして、日曜日で大安。

消費税3%アップ前の自動車の納入の吉日ということで、交通安全祈願が続き、檀家さんのご供養もあり、当お寺としては大変珍しく、一件どしてもお断りをしなければなりませんで、甚だ申し訳ありませんでした。

それにしても、とにもかくにも消費税は4月1日から8%にアップする。

来年か再来年には10%になるのが既定の方針である。

消費は、やはり抑え目になるだろう。

将来の社会保障のため、というけれども、どうしてもそれだけではないということが判るので

先行きますます不安を感じる。

 

夕刻から、高校の野球部OB会の役員会があり、珍しく出席。

新たに事務局を担当なさる方が、私のちょうど1学年上の先輩。たいへんお世話になってきたので、できるだけのことはお手伝いをさせていただこうということで・・・。

ここでも、年々集まる会費が少なくなっているとのこと。

今後、若い人たちに関心を持ってもらうことと、会費を出していただきやすいようなことを考えて行かなければならないのだろう。

 

 

 

 

 

 

2014.03.24:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

替える 変える 返る

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3月13日(木) 曇りのち雨

 

かねてから計画していた畳替えが、ようやく始まります。

まず、約30年ぶりの新床に替える、居間の寸法測りに畳屋さんがきてくれた。

我が家は、築百年以上経過した建物で、基礎も自然石にそのまま柱をのせた作りになっている。

換気はよいが、なにしろあちこちに狂いが生じており、沈んだり上がったり傾いたりして建っているのだ。

逆に言えば、そうした「遊び」があるからこそ長持ちしているとも言えるのかもしれないけど・・・。

寸法も尺貫法でできているし、途中の改築などで、畳屋さんは苦労して採寸。

今は、機械で測ることができて、いいものですね。

水平のデコボコ、縦横、傾きなど一目瞭然にわかるのですね。

 

お彼岸と大般若法要に向けての片付けを開始。

少しづつ動き第開始である。

 

 

 

3月14日(金) 曇り時々小雨、 やがて晴れ 

風寒し。

親戚関係にある人の生活の問題で、関係者の協力を得て対処することになっていた日。

満を持して、なんとかしてあげたいという気持ちがあって行動するのだが、なかなか思うようにはならないものだ。

一人の大人である以上、本人自身が自らの姿を客観視し、ちゃんと自覚しなければ他からどう言われても、こちらの想いどうりになど行かぬもの・・・。

結局、いろんな知恵を出し、我慢したり、策を講じた挙げ句、時間切れで元に戻らざるを得なかった。

 

決まりはきまり、責任問題・・・などなどいろんなことがあって、その通りというほかないのだ。

けれど、ここはなんとか・・・ということ、立場が逆であった場合に、きまりを曲げても受け入れることができるだろうか。

そう考えた時に、引き下がるより方法が無かった。

残念ではある。

けれど、もし私がその立場であったなら、こういうケースで、なんとかするという決断をできる人でありたいと思ったことも確かであった。

 

詳しいことはかけないので、何のことかわからないと思いますけども・・・。

 

戻ってきて、しばし上杉神社近辺を散歩して頭の中のもやもやを覚まそうと思った。

こんな時には神社っていいものだ。

 

少し気持ちを切り替えて、一日を終えた、のでした・・・。

2014.03.23:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]