『酒』と作家たちⅡ
浦西和彦:編
(中欧公論新社 中公文庫 2016年11月25日 発行)
帯に書いてあるように、雑誌 『酒』に寄せられたエッセイ集。
編集者 佐々木久子さんの名前とミニコミ雑誌『酒」について聞いたことはあったのだけれど、残念ながら、実際この雑誌を読んだことはなかった。
昭和30年八月から平成6年9月にかけて連載されたもの。
雑誌 『酒』については、古書店なので探してみたいものだ。
さて、名前を聞けば誰もが「あぁ!」と判る著名な作家から、私などには判らない作家もおり、すでに亡くなられている執筆者も少なくない。
そんな中で、幸田 文が「酔う」という文を寄せている。
父親の露伴が、おさけが大好きで晩酌を欠かさない人で、子どもの頃からその様子を見て感じてきたことを書いている。
お酒ではなく「おさけ」と表記しているのは、とりわけ女性は「お酒」と呼ぶのは下品で「ご酒」と言うように言われていたこと。自分は落語でしか「ご酒」と言うのは聞いたことないですがね。
それから、酔うと酔っぱらうことの違い。
また酔うから「酔っぱらう」に下落する経過なども淡々と書いているのである。
私も毎日晩酌を欠かせない人の一人として、はたして、娘はどんな気持ちでその様子を眺めているのだろうか。幸田文のような感受性に秀で、文章での表現ができるかなんて期待はしないものの、な何かは感じているのだろうなぁと気になる。
昭和33年(1958年)1月の号に掲載された時点で、彼女は53~54歳ぐらいである。
この文章の最後は
「なぜ小さいとき、酔うのはいゝものだと思ったか、子供の心はそれと知らずに、酔いのなかに詩と絵とを感知していたのかもしれませんし、酔っ払いはそれをこわす破壊者だから、なんとなく嫌ったのかとおもいます。」
と書いている。
思わず、なるほどと思ってしまった。
私は酒飲みのくせに酔っ払いは大嫌いなのだ。
酔っぱらったことなどない、なんてわけはないのに、苦手なのだ。
あぁ、子供の頃の私も似たような感覚があったのかもしれないと、不遜ながら思ったのでした。
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