2月4日(土) 晴れ 朝方冷え込む
立春。
昨日の除雪4回の疲れか、寝坊。
相方は東京出張、娘は午前中は家で過ごし、午後から実家にお世話になる。
朝食とってからしばし休息。
屋根から落ちきれず、軒にたまった雪がすごいことになっているので、人力と除雪機で建物の前側の除雪作業を午前中かかってなんとかする。
軒は掘り出したものの、次の雪に備えて、山のような雪を片づけておかないといけないなぁ。
お昼ご飯を食べてから、娘を連れて実家へ向かい、お願いしてそのまま、仲間内の会議がありそちらへ。
14時~17時までいて、帰りにホームセンターを何軒か周ってスノーダンプ(スノーカート)を購入。
プロショップはもう閉店しており、もう一つのお店では欲しいのが売り切れていて、南米沢駅近くのホームセンターで見つけて帰宅。
2月5日(日) 曇り 時々 晴れ
今日は6時前に目が覚めた。
でもなんとなく寝不足な感じである。
さて、今日は社会福祉団体で行っている除雪ボランティアを、田沢地区で受け入れ活動をする。
山形大学生と市内の高校生が主で、社会人も会社単位などで参加している人もある。
60人以上の参加者と、地区からの参加者などを含めて約80人である。
9時に田沢コミセンに集合し、開会行事を行ってから、6か所に別れての活動になる。
私は、私の受け持ち地域の一軒の主担当ということで、引率みたいなことをする。
15人のメンバーで、家の周りの雪を片づける。
この除雪ボランティアは、高齢者のみで暮らしている家庭や、障害を持つ方などの家を対象として、家の周囲の雪片づけを行う。
屋根に登っての雪おろしは行わない。
まず、安全に活動し、雪で埋まった窓を掘り出して周囲が明るくなるように、あるいは玄関の出入りが楽になるようにというところが目的。
私の組の高校生男子たちは南陽市や高畠町から米沢市内の高校に通っている生徒たちだった。考えてみれば、なるほどである。
約1時間半ちょっとの作業を終えて、コミセンに戻り昼食。
地元の福祉団体のメンバーで手作りの豚汁やおにぎりをご馳走になる。
昼食を終えて、閉会行事を終えて13時30分に終了です。
帰宅するとすぐ、田沢の檀家さんのご親族がお亡くなりになり、私のお寺にご相談があり伺うことになった。
16時30分に、市内の葬儀屋さんの通夜室へ行く。
枕経をお上げして、打ち合わせを行い、18時30分に帰宅。
相方は予定していたより帰宅が遅くなることから、娘はもう一晩実家にお世話になることになった。
さて、さすがに早く眠りたくなって、ぼうっとしていrた21時頃電話が鳴りどきりとしたが、ご法事の相談でホッとした。
2月6日(月) 晴れのち曇り
ちょっこら寝坊してしまったが、雪も降っておらず、ゆっくりと出来る朝。
娘は、実家へ相方が迎えに行った。
玄関先の松の木に雪が積もって、落雪の危険があるので木の下に脚立を立てて張り紙をして車を停めないように、歩いて通る時は注意してもらうようにしていた。
その木の雪の一部が、寒気の緩みで落ちた。
いやぁ、こんなのが車に直撃したら大変。
一日お葬式の準備を行って終えた。
夕食は数日ぶりに家族4人そろって、日常が戻った夕餉。
2月7日(火) 雪 午前中からしだいに吹雪となる
早めに起きて除雪。
除雪機が来て玄関口にたまった雪と、松の木から落ちた雪、10~15㎝ほどなのだが、湿った重たい雪で、1時間半ほどかかってしまった。
娘を園に送って一旦戻ってから、火葬のため米沢斎場へ向かう。
吹雪始めていたが、2日のように信号が見えなくなるというような猛吹雪ではない。
ただし、西口の舘山と東口の信濃町付近の幹線道路で排雪作業が行われており、片側交互通行で時間が気になった。
それでも9時35分に斎場に到着。
お遺体とご遺族も何とか間に合い、時間通り無事にご供養とお見送りをすることができた。
一旦戻ってから13時より斎場に近い場所にある葬祭ホールでお葬式。
先輩のT師に伴僧を務めていただき無事に葬儀・忌中法要をすることができた。
この度の葬式で、親類の方が、弔辞の代わりに歌を唱っていけないか?とのことだった。
故人は歌謡曲が好きだった人で、私もそれを知っている。
変な歌はうたわないだろうと思い「よいですよ」と言った。
歌は「星影のワルツ」の一節だった。
とてもしみじみとして、故人が好きな歌とのことで、良かったとおもう。
檀払いを終え、15時過ぎに帰宅した
夕刻まで雪が積もっていたが、明日で良いだろうということで、この日の日程を終える。
皆さまお疲れ様でした 合掌
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