357 『生きなおす、ことば』

  • 357 『生きなおす、ことば』

書くことのちから   ―――横浜 寿町から

 

大沢敏郎:著

(太郎次郎社エディタス  2003年9月18日 初版印刷、10月10日 初版発行)

 

 識字学校、という場があることを知らなかった。

 それよりも、現代の日本の社会で、読み書きがができない人が少なからずいるという認識はなかった。様々な身体的・知的障害があることによって読み書きができないということではなく、学ぶ機会がないまま生きてきた人たちがいるということ。

 生きて行く上で、もし自分がそういう状態だったらどうなるのだろうと、このパソコンの文字を打ちながら考える。

 

 学生時代出合った人のことを思い出した。

 学校自体は首都圏の街中にあるのに、一般教養科と専門科目の一部が、隣県の田舎にキャンパスがある学校に通っていた。田んぼが広がる学校の近くに小さな戸建てを安い家賃で借りて学生生活が始まった。
 その敷地内に、前の住人が残して行ったけっこうな量の様々な廃棄物があった。何か事情があったのか、そのせいで家賃も安かったのかもしれない。管理している不動産屋が片づけのための人夫をよこしてくれるという。

 5月ごろ、浅黒く日焼けした、初老という感じの人のよさそうな人(おじさん)が、やってきた。

 テキパキと片づけ、一緒に車を運転してきたもう一人の人と、10時にお茶にした。

 自分は山形の田舎からでてきたばかりで、田舎言葉でもあったし、ぼそぼそとしゃべっていると、その浅黒い伯父さんは、言葉が関東とか関西とかではなく、聞いたことのないようなイントネーションの言葉だったのを覚えている。

「おじさん、どこの生まれですか?」と尋ねると、人懐こい笑顔のまま「ずっとずっと南の島からだよ~」と言った。

それ以上は尋ねなかったのだが、作業に来た二人の話を聞いていたら、この伯父さんの方は、読み書きができないということに気がついた。

思い出すに、そのおじさんは、現在の私ぐらいの年齢ではなかっただろうか。

相方に指図を受け確認しながら仕事をする、もちろん運転免許はないのだろうから、こうして誰かと組んで仕事をしていたのだろう。

 

この本を読んで、なぜか、その時のことを思い出した。

 

耳で覚えた言葉はもちろん話せるわけだが、今、いろんなこと、職を得る・住む場所を求めるにも、情報を文字で見なければわからないし、多くの書類で物事は決裁されているから字が書けなければ、更に煩雑な手続きが必要となる。

読み書きが当然できるということが、社会で生きることの前提になっているのだ。

けれど、なんらかの事情でそれができない人がいて、そのための場がこうしてあるということ、それは「生きなおす」ということなのかもしれない。

 

2017.03.19:dentakuji:[お寺の本棚]

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