「すべり台社会」からの脱出
湯浅 誠 :著 (岩波新書 2008年4月22日 第1刷発行、2009年1月9日 第9刷発行)
ある福祉関係の会議で、行政側からの説明の際に、 本市は生活保護受給者数が減って良い傾向にある という趣旨の話があった。
なるほど、かつて県内で最多の生活保護受給者数となっていた時期があり、それから状況は改善されたというほどの意味であったのかもしれない。けれども、今周囲の状況を見ると、数として減ったから単純に喜んでよいという問題ではないような気がして、そのことが引っかかった。
「すべり台社会」 とはいったいどういうことか。
うっかり足を滑らせたら、すぐさまどん底の生活にまで転げ落ちてしまう という、今の日本の社会状況を表しているようだ。足を滑らせるとは、例えば病気・事故などによって働けない状態になることの他に、会社自体が調子が悪くなったり、不正規雇用ゆえにバッサリと雇用を打ち切られたり・・・、離婚などによって一人親となり時間的物理的に制限ができたりとか、いろんな状況が考えられる。これらが複合的になる場合もあるわけだ。
そんな場合にセーフティネットになるのは、自分の身内や親族の手助け、近所づきあいなどの地縁や人の縁による支え、そして生活保護などの行政による手助けが、最後の砦になるだろうか。
滑り落ちる原因は様々あるだろうと思う。近年、それは自己責任であるという風潮があるという。自分としてもそれは感じる時がある。振り返って、あのときあぁだったから・・・というような。しかし、滑り落ちてしまったところで、自己責任だからと片づけたところでどうにもならない。しかも、現代は親族が昔から見ると薄くなっており、地域ではまだそうでもないかもしれないが、都会では近隣との人の繋がりは無いと言ってもよいだろう。
また、地域にあっても、現代の貧困の特徴として、目に見えて解りにくいということもある。車を持ってスマホを手にして、身なりだって良く見なければそんなに汚い恰好をしていなくたって、借金に苦しんでいるかどうかなんて判りはしない。判るぐらいになったら、滑り台を落ちてしまっていると考えてよいぐらいだろう。
困って生活保護を必要ならば、しっかり受けて、また自分の生活を取り戻す。行政の手助けを受けやすい状態にするのが本筋ではないのだろうかと思う。
この記事へのコメントはこちら