12月4日(日) 朝は深い霧 のち日中は晴れ 夕刻前からまた深い霧
またまた寝坊して、7時に寝床から飛び出し、勤行・お掃除・朝食作りと大慌て。
師走に入り最初の日曜日、お歳暮や仏供米をお納めにお出でになる方が、ぼちぼちとおいでになるのではないかと思われる。
やはり、10時前から来客があり、あっという間に、お昼になった。
午後からは御札書きをして、今夜の準備。
保呂羽堂の年越しのお祭りがあるのだ。
保呂羽堂のお祭りと言えば、米沢市窪田の家中にある保呂羽堂の裸餅つきが有名ですよね。
やはり同じ日に行われ、早朝から準備と餅つき・餅ぶるまいなどが行われ、大勢の参拝客などが訪れ、米沢のこの季節の風物詩となっています。
簗沢の屋敷集落の山の上にある保呂羽堂もルーツは同じとみられています。
山の中腹に立派なお堂があり、屋敷・西之在家集落で守ってきており、瑞林寺の檀家も協力して、お餅をついて振る舞うなど、御年越しのお祭りを賑やかに行ってきていました。
しかし、数年前から雪害によりお堂が一部壊れたり、集落の過疎化もあり、また集落のお祭りに戻し、夜お寺に集まってご祈祷を行い直会を行うというシンプルな形に戻りました。
さて、いくつか準備を終えて、16時40分頃、お迎えをいただいて、17時からご祈祷です。
田沢から簗沢へ越える中山峠を下ったあたりから深い霧が立ち込め、かなり見通しが悪く怖いぐらいでした。
十数軒の方が集まり、ご祈祷です。
ご祈祷を終えて、十数人の皆さま方とお神酒をいただき、直会です。
お話は尽きません。
けれども、20時半に終了し、再び深い霧の中を氏子の方のご家族に送って頂いて帰宅。
東京出張から、相方が22時過ぎに帰ってきた。
実家に見ていただきている娘は、遅いので明日迎えにゆくことに。
まずは、お疲れさま。
12月5日(月) 曇り 時々晴れ 時々小雨 気温は高い
6時30分頃起床。
勤行、お掃除、ゴミ出しという日常。
今日から、大工さんが本堂前座敷の工事再開。
8時頃やってきて、準備をして11時頃から仕事に入る。
午前中は来客の応対の間を見て、本堂の棚などにある不用品と思われるものを片づける。
そして、午後からハウス車庫内の不用品を出して、車に積んで千代田クリーンセンターへ搬入して処分!
帰りは小松を経由して帰宅。
ついでではあるけれども、玉庭にもまわった。
そして、かつてスキー場&リゾートだったサンマリーナ玉庭の跡を遠くから眺めてきた。
平成元年の12月にスキー場が華々しくオープンし、十年ちょっと営業していたのだっただろうか。。。
今は、まさに廃墟と化している。
一昨年の今頃、あの山に大規模なソーラー発電所計画が出て、山の木を切る前に、山上の竹駒稲荷神社でお祓いと安全祈願を依頼されていったっけ。
その後、わずか半年余りで、それも消えてしまった。
バブル景気末期のあのうかれ方、リゾート法制定による、日本中のリゾート開発狂騒は、何を残しただろうか。
今、カジノ法案が、良く審議されない決められて、同じように廃墟だけが残ったということにならなければよいのだけれど・・・。
さて、夕刻、娘が帰宅。
二日の朝以来の我が家、従姉ちゃ達に遊んでもらい、実家の家族に面倒を見ていただいて、またちょっと大人っぽい話し方をするような感じである。
一方、母親が頭がふわふわするみたいで調子が悪いという。
猫の扱いに関しても困っており、さてどうしたものか。
12月6日(月) 雨のち 時々晴れ間 時雨模様
午後からみぞれ 強風 夕刻前から雪 うっすらと積もった
6時半頃起床。
8時半ごろから大工さんが来て、今日も本堂工事。
午前中、今日提出しなければならない福祉関係の書類を作成。
コミセンへ行き、参考資料などを見せてもらったりして、なんとか終わった。
13時30分から、福祉関係団体の例会があり出席し、15時まで。
12月1日付で再委嘱を受けて、これからまた3年間の任期となった。
夕刻前に、今日は娘のお迎えで、その足で買い物をしてから帰宅。
今日は相方の帰りが遅いため、夕食を作って食べさせて。。。
メニューは、娘にはチャーハン、大人はホイコーロー(^^;
台所を片づけ、娘としばし遊んで就寝です。
この記事へのコメントはこちら