11月10日(木) 朝方まで小雪が降り、曇りのち晴れ
ちょっと寝坊して6時過ぎに起床。
今日はいろいろありで、準備をし、娘を園に送ってまた準備。
お昼前、かかりつけの医院へ受付時間ぎりぎり間に合い、診察を受けて、薬局に周り、図書館で資料を捜してから昼過ぎに帰宅。
14時30分に上山へ向けて出発し、南陽道路を車を走らせ、なんとか15時25分に到着した。
15時30分から、老人ホームで入棺を行う予定になっている。
施設の職員の方々、入居者を代表して自治会の役員の皆さまにも立ち会っていただき、読経を行い、その後入棺を行った。
入棺は職員の方が世話をしてくださり、親族と一緒に納棺した。
業者さんには、棺その他の物品を用意していただき、あとは施設職員の方が経費を抑えるようにという配慮をされているものと思う。
無事に今日の儀式を終え、施設職員、入居者の方々にご挨拶し、親族よりも一足早く、16時30分に米沢へ向かって出発。
滞在時間は約1時間。
蔵王の山並みに、夕映えが鮮やかできれい。
17時55分に帰宅。
ラッシュアワー前に上山を出られたが、米沢に近づいてから混み始めて時間がかかった。
すぐに衣体を整えて、口田沢のお宅にオタナサマのお祭りに伺った。
約束の時間に20分遅れてしまったが、途中で電話をしてご了解をいただいていた。
ご祈祷を終えて、お神酒をいただき、疲れもあるせいかお酒が体に沁み渡る。
ゆっくりさせていただき、22時に相方に迎えに来てもらって帰宅。
いろいろありましたが、お陰さまで無事に一日終えました。
合掌
11月11日(金) 雨のち曇り 時々晴れ 午後遅くからまた雨
6時前に起床して、車を取りに昨夜置いてきたお宅へ歩いてゆく。
約2キロメートル、20分ほど。
途中の、雲に霞んだ大荒沢の山並みが幻想的だ。
そのお宅に着いて挨拶をしたら、「お初穂を忘れていて・・・」と、私が忘れていたのでした。
毎度申し訳ありません。。。
7時前に帰宅し、娘を園に送り、戻って今日の準備。
今日は、上山市の斎場で、従兄の火葬を行う。
14時30分からの火葬なので、お昼12時過ぎに家を出発し、13時10分に老人ホームに到着した。
そこで読経を行い、今日も職員の皆さんと自治会役員の方々、そして多くの入居者の人々に見送っていただき出棺。
上山市営の斎場は狸森(むじなもり)の山の中にある。
14時に到着し、ご供養の御経を上げたのだが、今日は前の火葬が大変時間がかかったため、遅れており、14時45分に火葬となった。
この間、待合室などで、数人の親族と、職員の方一人、入居者の方の代表の方が二人で、お茶を飲んでお話しながら待っていた。
斎場の職員の方は、私が坊さんの姿のため、「園長さんですか?」と尋ねられた。
「いいえ、従兄で・・・」かくかくしかじかという話をし、職員の方は斎場の老朽化が激しいので、建て替えが必要になってるのだけれど、予算等の関係で今は難しいというようなお話をされていた。
さて、拾骨を終えて、16時40分にいったん老人ホームに立ち寄り、ご挨拶や荷物の受け取りなどをした。
遺骨は今日一晩、親族の方が預かることになった。
まず、無事に火葬を終えました 合掌。
私はここで皆さんと別れて、山形市内に用事があり、そちらへ。
用事を終えて、18時半過ぎに山形を出て、帰路へ。
20時半過ぎに帰宅。
一人でお酒を飲み、いろいろと従兄とのことなどを考えた。
しばらくして、娘に絵本を読んでいるうちに、就寝。
お疲れさんでした。
11月12日(土) 晴れのち曇り 午後遅く小雨
5時30分に起床。
今日は従兄の葬儀を、お寺で行う。
まずはその準備をする。
今日は娘の園の参観日で、相方と二人出かけて行った。
私は御供えの花を買いに出かけて戻る。
10時から、親族が3人、お骨を持ってお寺に来て、葬儀。
戒名をお授けし、儀式を終えて、お昼に納骨堂に納骨を終えた。
帰るところに帰ったというべきであろうか。
従兄は、いろいろあった人生、突然の死、どうか次の世があるのならば、安泰でありますように。
合掌。
15時より、お寺で家の工事をされるという方のご祈祷が一軒。
今日のお務めはこれで終えた。
ここ数日の疲れが出てきたような気がする。
従兄の、いろいろな問題が表面化し、私が対応せざるを得なくなって、5年ぐらいになっただろうか。
この間、多くの方々にご迷惑をおかけし、そのほとんどの件は迷惑をかけっぱなしのまま逝ってしまった。
本来ならば、現世で罰を受けなくてはならないのだが、その能力も失っていたのだ。
私ができることは、これ以上他人へ迷惑がかからないように、本人に話したり、とめるような方策を、行政の方と相談しながらとることと、現実的な家の始末などでしかなかった。
言葉の表現として、自堕落とか我儘とか無責任とか、そういう言葉で表すよりない人であったと思う。ただし、他人に暴力や暴言を吐くというようなことは無かったのが唯一の救いだった。
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