5年経って

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3月10日(木)  曇り のち時々晴れ   寒い風が吹く

 

娘を園へ送った足を伸ばして、用件を少々済ますことに。

古志田から林泉寺に抜ける道を通ると、田んの中の畔でカメラを構えている人がいる。

なんだろう?と思ってその先を見たら、白鳥の群れが田んぼにいて、餌をつつくようなしぐさや、少し飛びまた戻るという風景だった。

私も、邪魔しないように静かに車を停めて見ていた。

 

どこかから飛んできて、これからさらに北に向かって飛んでいくところなのだろう。

今年は雪解けが早いから、白鳥たちも早いのだろうか。

私もカメラを取り出して、コンパクトカメラの限界というところまで望遠を使って撮ってみた。

なんとか写ったようだ。

 

帰宅して、午前中はコピーの業者さんが来て機械のメンテナンスをしていってくれた。

 

午後から川西町の吉島へ。

先日お話をお聞きした活版屋の社長さんに、昔そこで働いていた職人さんが元気でいらっしゃると教えていただいた。

そこで、いつかそちらでもお話しを聴きたいので、顔を出してお願をした。

そうしたところ、たいへん快く承知していただいた。

ただ、今は学校などの卒業シーズンでひじょうに忙しいような様子だったので、後日ということで名刺をいただいてきた。

4月後半になるだろうか、とっても楽しみである。

 

 

 

 

 

3月11日(金)  朝は少々雪  気温は低いものの 日中は晴れ

 

3月11日である。

東日本大震災発生からまる5年経った。

いろいろと思い出されることがあって、なんとも言えないのだが。

私たちの住む地域は、大きな地震に遭ったとはいうものの、直截的な被害は、少なくて済んだ。

電気も停まらなかったため、映像で伝わる津波の様子や原子力発電所事故による影響などを、見ることによって恐ろしさ感じた。

もちろん、その後のガソリンや物資の不足などによる不安などもあったのだが、太平洋側に住んでいる人達とはその受け止め方には差があると思う。

 

さて、今日はどのようにして過ごそうか。

 

午前中、昨日来てメンテ作業していったコピー業者さんが一部部品を交換したいということで来宅。

おかげで、紙を差し込んで印刷する際の異音がしなくなり、快適である。

 

それから、本堂真上の天井を猫に壊され、飼い猫だけでなく野良猫の出入り口にされていた箇所があり、困っていた。

意を決して自分で補修することにした。

1時間半ほどかかって、天井板をビスで停めて、さらに補強の板を貼った。

不格好だが仕方がない。

冬の間食べ物が少ない野良猫は、本堂に侵入し、落雁までも食って行くのだ。

しかも、時々「かえし」までしていくので、全く困っていたのだ。

とりあえず完了。

 

さて、14時46分をどうして迎えようか。

5年前のあの日、私はプレハブでできた事務所に、その事務所の方々4~5人とお茶を飲んでいた。

点けていたラジオから警報を知らせる音がなり、携帯電話の警報も時間差で皆のものが鳴った。

それと同時にガタンと揺れが始まり、しだいに大きな揺れとなり、しばらく続いた。

外に停めていた車が前後に大きく動いている。

プレハブの建物から出て、しばし外を見ていたら電柱が大きく揺れ、国道のクルマは停車し、近所の人達が家から出て来て不安な顔をしている。

わが家には両親がいるのだが大丈夫か、相方の勤務先の図書館はたいへんなことになっていないか・・・などなどいろんなことが心配になった。。。

 

そんなことを思いながらクルマに乗って、大峠方面、というか喜多方へ走った。

大峠トンネルの手前の坂道で14時46分を迎えるラジオの音。

そのままトンネルを抜けて喜多方へ行き、道の駅「喜多の郷」へ。

しばらくそこで休憩。

特になにがあるというわけでもなく、喜多方にいるから だからなんだというわけでもなく・・・、しばらく福島県の会津にいるというだけのことなのだが。

一服して帰宅。

 

19時から、フレンドリープラザで、震災に関連した催しがあり参加。

写真家の永幡さんの、震災に関わる写真展が開催されており、この日は永幡さんのお話しを聴く。

いわゆる震災被害そのものの写真ではなく、震災による自然の影響とその後、そして復興に関わって自然はさらにどうなってきているか・・・ということ。

彼は現地にまめに足を運び、写真をとり記録している。

この地が本来どういった植生があり、それが震災で自然に帰った部分、またいわゆる復興工事によって逆に失われてしまうもの、そういったことを話してくれた。

 

本来、私たちが便利で都合よく暮らすために、どんなふうに自然を壊したり、また守ったりしてきたのか。

これから、またそこに住むために、元に戻りかけた自然をどのように考えて復興工事をするべきなのか、複雑な思いを抱き考えさせられることである。

 

後片付けを少々手伝って、23時頃に帰宅。

また、5年前の震災の起きた夜の不安な気持ちを少し思い出しながら就寝。

 

 

 

 

 

3月12日(土)  朝方は雪がちらつく  日中は晴れ

 

少々寝坊、6時過ぎに起きて今日の準備。

 

10時に南原にお住まいの方の家に伺って、家の神様のお祭りのお勤めをさせていただいた。

そうそう、5年前は地震の日から5日後に伺ったんだった。

ガソリンの供給が滞っていたため、できるだけ省エネ運転に努めていましたっけ。

それでも、私は地震後約2時間後にガソリンスタンドに行って詰めていたので、比較的余裕があった。それでさえも、震災前のように供給されるのがいつになるのか判らなかったので不安だった。

そのような会話をしながらお茶をいただいて、お昼に帰宅。

 

午後から明日の段取りと準備をする。

明日の日曜日は、公私にわたる、めったにないような繁忙日。

果たして計画通りいくかどうか不安である。

 

 

2016.04.13:dentakuji:[なあまず日記]

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