3月1日(土) 晴れたり曇ったり
もう、市内の高等学校では卒業式が始まったのですね。
車のラジオから卒業や旅立ちをテーマにした曲が多く流れているではないか。
倉田まり子の「グラデュエーション」が流れ、あまりの懐かしさに涙が流れそうになった(^^;
どうしているのだろうか、あの歌手・・・。
さて、明日に執り行われる葬儀の準備を行う。
午前中で一段落ついて、午後は文章を書くための資料を探して図書館へ行く。
土曜日ということもあり、米沢の図書館の利用者は多い。
しつこいようだけども、やっぱり、新しい図書館工事再開しましょう!
さらに、万世地区の堂森にある善光寺さんの阿弥陀堂にお参りをさせていただいた。
見返り阿弥陀如来立像など、信仰の対象だけでなく重要な文化財として多くの人が訪れるのだけれども、それに加えて前田慶次が晩年を過ごした縁の場所ということで、近年さらに多くの人が全国から訪れるようになっている。
お堂につるしてある銅鑼を見たら、大荒沢に奉納されている物と同じところで製作されているものだった。
大きさはもちろん阿弥陀堂の方が大きい。
米沢の銅屋町の鈴木清兵衛という銘が入っているようでしたが、後で調べてみようと思う。
3月2日(日) 朝方は雪がうっすらと積もっていた。
日中は晴れたり曇ったり、時々小雪というお天気。
午前中は、米沢の斎場で火葬のご供養。
25日にお亡くなりになり、6日目の火葬・葬儀である。
今、日本の葬儀の手順は、葬儀・告別式を終えてから火葬という流れの方が多くなっていると思われます。
置賜近辺や山形県では、火葬・葬儀という順番の方が多いでしょう。
どちらが良くてどちらが・・・ということはないと思います。
ただ、どうしても葬儀から火葬ということになると、忙しい日程になるようです。
その点、火葬が先ですと時間的な余裕があるように思えます。
葬儀を行って火葬という方が意義づけから言えば理にかなっているのかもしれませんけれども、地域性とかそういうったことが影響しているのでしょう。
午後から、簗沢の瑞林寺本堂にて葬儀・告別式が営まれ、檀払いまで、夕刻5時過ぎまでに終えることができた。
その席で、6日まで伸びた経緯と、おつけした戒名(法名)の説明と、中陰中のお参りなどについてお話をさせていただいた。
話しは上手ではなくて申し訳ないのだけれど、可能な限り、お話しをさせていただくことにしている。
そうして、献杯をした後「この戒名の意味を聞くと思ったら、先に話しておごやったな(くださいましたね)」と、近親者に言われた。
なんとなくわかって頂いたようである。
「今日は解りやすかったよ」と言ってくださる方もありました。
下手は下手なりに、誉められるとなんだか、やっぱりお話ししてよかったと安堵した。
隣組の皆さま方、遺族・親族の皆さま方、お疲れさまでした。
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