258 『暮しの中の妖怪たち』

  • 258 『暮しの中の妖怪たち』

岩井宏實:著 (文化出版局  1986年8月11日発行)

 

妖怪と幽霊の違いって何だろう。

この本の表紙画を見ていると、これは幽霊なのじゃないだろうか?と思ったのであります。

私のイメージとしては、です。

 

本文の中で、妖怪と幽霊の違いについての記述部分があるので引用してみます。

「・・・幽霊も怪異の共同幻想・共同幻覚から、妖怪と同じに考えられることもあるが、厳密には区別されるべきであろう。妖怪の場合、空想の怪異が動物の怪、樹木の怪その他、様々なものの化け物があるが、幽霊は端的に言うと怨念を持った人間の霊が、その意思伝達のために出現するものである。そして、出現場所はだいたいそれぞれの妖怪によってきまっていて、人間がそこを通らねば妖怪に出会わないのが普通であるが、幽霊は出会いたい人間がどこにいようと、出ようと思えば千里の道も遠しとせず、どこへでも現れる。逆に言えば幽霊に狙われた人間は、どこへ行っても追いかけられるということである。もちろん中にはきまった場所に出現する場合もある。・・・」

 

というようなことであるようだ。

ただし、「番長皿屋敷」のお菊さんや「四谷怪談」のお岩さんのような幽霊はその屋敷や場所に決まって現れるものもあるようでだ。

幽霊は、より個人的な深い恨みを持って現れると考えてもよいのかもしれない。

 

私の世代の妖怪と言えば、マンガやアニメで水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」に登場する妖怪が親しみやすい。やはり、そこには世の不合理や不条理というよなことが関わっており、どこか悲しいユーモアという部分があるように思う。

 

時代を同じくして、「ウルトラQ」特撮テレビ番組があったものだが、ここに登場する怪物(と言えるかどうかですが)も同じような印象がある。

金の亡者になった子どもがカネゴンという怪獣になったりというように、怪獣というよりは妖怪なのではないかと思っていた。

 

私は特に霊感があったり、亡者の魂と交信ができたり、というようなことはない。

けれど、子どもの頃決まって夢に現れるものがある。

それは、数字なのであります。数字が形になって夜中にトイレに行ってもどこに行ってもついてきて、私に覆いかぶさろうとするのです。もう怖くて怖くて隠れてもむだなのです。そうしているうちに目が覚め、汗びっしょりになって、熱を出しているということが、小学生ぐらいまであった。

これは私一人のことなので、妖怪ではなく、妄想とか幻覚というものなのでしょうけれど、私にとっては今でも妖怪のようなものだと思い出すことがある。

 

さて、3年前の大震災が引き起こした、原発事故が引き起こされ、大きなダメージをうけた(被っている)わけです。

まさに、目に見えない妖怪としてこの先何十年、またはもっと長い時間、向きあって行かなければならないものがあるわけです。

妖怪がいなくなる日を望みつつ、その妖怪の存在を誤魔化そうという妖怪によって、取り返しがつかない事態にならぬことを祈りたいものですね。

 

 

 

2014.02.04:dentakuji:[お寺の本棚]

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