40番目の川西町上奥田の次は、米沢市の南に位置する綱木集落の草木供養塔です。
綱木集落は、かつて米沢と会津を結ぶ主要街道(米沢街道) 桧原峠の米沢側の宿場として賑わっていたと云われています。
往時は、60~70軒もの家がこの狭い沢沿いの土地に建っていたのですね。
数度の大火にも遭っているそうです。
現在は6軒ぐらいのようですが、集落の奥に残っている小学校の校舎や、すでに本堂や庫裡といった建物は無くなってはいるもののお寺の跡、山の神神社やその他の神社から、その昔の賑わいの一端を感じることができるようです。
さて、この集落の中ほどにある山の神神社の参道にあるというので、長い石段を登りつつ
探すことしばし。
ありました。
けど、なんだかヘンテコです。
草木塔のすぐ前に、別な石塔が建っています。
見方によっては、狭い石塔の間に草木塔を挟み込んだようにも見えます。
普通、このような立て方はしないでしょうから、どの石塔か(あるいは全て)、どこかから移設したと考えてよいのではないでしょうか。
画像の位置では見にくいのですが、よく見ると、刻まれた文字ははっきり読むことができます。
中央には「草木供養塔」と細い文字で刻まれ、その向かって右に「明治十二年(1879年) 八月十五日」とあります。
左側には、「村中 為安全建立」とarimasu.
その下には読みにくいですが、「施主人 中川新八 梅津豊吉」とあるようです。
二人とも、綱木に多い名字で、地元の人と思われるとのこと。
しかし時代の流れとはいえ、主要道路は白布越えや大峠に変わって、街道としての役割を終えた宿場。
この草木供養塔は、集落で起きた大火と何か関わりがあるのだろうか。
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