11月23日(土) 勤労感謝の日
町内の神社に懸ける注連縄ない(注連縄作り)が公民館で、行われた。
お寺の前に建っている明神様とやや離れた所に建っている山の神様の鳥居に掛けられる。
各戸から一人ずつ出てなので、約50人での作業である。
この注連縄づくりは、数年前、昔から続けられていた方法と時期が変更になった。
まず、時期。
以前は暮れの二十八日に、曜日にかかわらず行っていた。
それが、十年ほど前から12月下旬の日曜日になって、数年前から勤労感謝の日に改められた。
会場は、私が子どもの頃、お寺でしていたものだった。
それから、農家の方の作業小屋で行われるようになった。これはたぶん、梁に注連縄をかけながら作業できるし、後片付けも楽だったからだろうと思う。
そして、もう一点は、注連縄自体の形状が変更され、作業方法も変わった。
これは、ちょっと気にかかる所ではある。
神社のしめ縄の伝承は、その地域の文化であろうと思うからなのだ。
以前は、二本の元末のある〆を作り、それを中央で結ぶ方法であったのだが、画像のようになった。
予め綱を三本作ってきてそれを撚って締めて行く。
確かに作業も早く終えて楽なのではあるけれど、これまで伝わって来た〆縄の方法はこれで途絶えることになるだろうと思う。
この神社の由来については私は詳しくなく、そのしめ縄の系統について説明することができないので残念である。
これはちゃんと調べておかなければならない。
やはり、楽な方へ流れてしまうのであろうと思う。
実際、楽だものなぁ。
1時間足らずで注連縄づくり作業を終え、お寺の周囲の片付けを行う。
穏やかな午後である。
じきに日が陰ってゆき、木の影も私の影もどんどんと長~く伸びてゆく。
裏山の林辺には、枯れて茶色くなったウバユリがいくつも経っており、その花の中をのぞくと小銭のような薄い種が無数に入っている。
風が吹くと、周囲に蒔き散らかされるのだ。
こんな調子で作業をしてなかなか進まぬ。
午後4時半を過ぎると、御日様は山陰に入ってしまい暗くなる。
あと一ヶ月、まだ陽が短くなるのだ。
翌24日(日) 晴れたり曇ったり。
またまた町内の作業で、早朝から川掃除。
午前6時はさすがにまだ暗い。
しかも寝坊をしてしまい、5分遅れで作業に合流。
木の葉が水路にたまっており、それをすくったり持ちあげしたりして、冬の水上がりがないようにするのだ。
毎年恒例で、山里に住む者にとっては必須の作業である。
夕刻、相方と戻ってきた娘はじいさんと遊んでいる(遊んであげてる?!)。
この前保育園で作ってきた、ドングリのキャップのような帽子を気に入ってかぶっているようだ。
そのまんまドングリみたいで可笑しい。
11月下旬になってようやく檀務も落ち着き、家のことができるようになってきた。
だんだんと気がもめてくる頃ですね。
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