上和田の草木塔の二つ目は、38番目の太田釣堀さんの側からそれほど遠くない、井上さんという方が所有されているブドウ畑のの一角にひっそりと建っていました。
凝灰岩でできているようで、おそらく高畠石だと思われます。
草木塔の「草」の字は「くさかんむり」だけで読ませる字体です。
私の撮った写真ではあまりできが良くなくて、見えにくいのですが、実際はもうちょっと解りやすいようです。
このときは、草木塔の会の団体での見学でしたので、じっくり撮ることができなかったもので・・・と言い訳をして、また時間を作ってちゃんと撮り直してみたいものです。
さて、資料によると、建立年月日は、明治9年(1876年)8月8日。
上和田のもう一つの塔と全く同じです。
この塔には台座があり、建立者名が刻まれているそうです。
金子仁三郎 金子又右エ門 金子徳右エ門
左側に 入会村 石工 我妻喜惣兵 と、あるそうですが、全く確認できませんでした。
前回も書きましたが、窪田村の入会山がある4ヶ所に建てたとすれば、それがこの一つなのかもしれません。
となると、もう一つのものが建立日が同じということから、趣旨は同じというかのせいも考えられます。
けれど、同じ趣旨で同じ日に建立ということなら、石塔も同じような字体であったり意匠であるような気もしますが、果たしてどうなのでしょうね。
この石塔がある所には、その他にもいくつかの石塔が立っていたり転がっていたりしていました。
雪に押されたりしてそうなったのでしょう。
その一つが、道の分岐点を表す石だと、この日の参加者の一人がみつけました。
この石塔が立っている場所の脇には小路が残っており、昔の街道だったと言う説があり、興味深いものでした。
井上さんの先代の方が、この畑周辺にあった石塔をここに寄せたともいわれているそうですが、詳しい由来は、また次の機会にお聴きしたいと思います。
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