沢木耕太郎:著 (新潮社 2013年10月10日発行)
今年の夏、8月に自殺した 藤圭子のインタビューによるノンフィクション。
そのニュースをテレビやネットで知った。
そして、享年62歳という年齢に、あぁ自分とそんなに近い人だったんだなぁと、感じた。
彼女が歌手デビューし、テレビの歌謡番組によく出ていた頃は、私は小学生から中学生ぐらいだったのだろう。
その時代、アイドル3人娘として突出していた 天地真理・小柳ルミ子・南沙織の存在があった(年齢がばれてしまいますね)。
藤圭子は、じつはその彼女らとほぼ同年代。
シンシアがやや若干若いかもしれない、という程度。
当時、藤圭子が同年代だとはまったく感じなかった。
演歌というジャンルの違いだけではなく、年齢不詳、むしろ大人びた雰囲気を漂わせていたように思う。
そして、結婚、たちまち離婚、芸能界の表舞台から去り、やがて娘の宇多田ヒカルが現れ、藤圭子の娘と知りまた驚く。
その娘の存在感は十分であり、藤圭子の娘である、というレッテルはむしろ必要でないぐらいだったかもしれない。
やがて、時々芸能ネタで伝わるスキャンダルぐらいしか知らなくなった。
沢木耕太郎が、芸能界を引退しようとしていた、1979年にインタビューしたもの。
その当時、すでにノンフィクション作品を続けて出しており、ここでは、インタビューのみで構成したノンフィクションという、ある意味では実験的な手法で作品にしようとしたものとのこと。
しかし、書き上げてはみたものの、このままだすべきかどうか思案の挙句にお蔵入りさせることにしたという作品。
自殺というカタチで生涯を終えた。
その後も残念ながら、遺族がらみのスキャンダラスな報道や、ただただ精神を病んだ果てのことであるようにしか伝わってこなかった。
このタイミングで、30年以上も前に彼女によって語られた言葉が出されたことは、当時、アイドルとはいい難いけれど、今でも何を歌っていたかを思いだせるぐらい、鮮烈な存在感があった藤圭子に手向けるべきものであるような気がする。
まさに流星が一つ流れた、そんな感じである。
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