玉庭の御伊勢町の奥の方と言ったらよいのかどうか、小松から見ればそうなる。
道沿いの小高い場所に杉の木立で目立たぬが、りっぱな熊野神社が建っている。
また逆光の時間になってしまい、碑面が読みにくい。
午前中の時間がなかなか自由にならないのでこうなる。
石塔や祠などの多くは、正面を南や東に向けて建てられるのが一般的である。
これは、特殊な地形でなければ、その方が陽当たりが良いということもあり、碑面に苔なども生えにくくなるという利点がある。
それに、神仏等を拝む時、人が西や北に向かって拝むような形が、やはり自然なように思える。

手前の建物は神社の拝殿。
その奥に本殿がつながっている。
正面で拝礼してよく見ると、拝殿の中の上に仏像が安置されている。
神仏混淆というか、もともとは仏教のお堂で会ったのかもしれない。
この建物の左側に数体のお地蔵さまなどと並んで草木塔が建っている。

凝灰岩でできている50㎝ほどの罷免には、シンプルに「草木塔」と刻まれている。
その両側に年号があるようなのだがほとんど読みとれない。
資料によると、慶応元年(1865年)10月とある。
江戸時代に建立されたと確認できる草木塔では、現在のところ江戸期最後のものになる。
左側に「村中」とあるらしいが、それも判別できない。
以前この場所を訪ねた時は、地面にそのまま建てかけられた状態であったように思ったのだが、先日見ると、土台石に乗せてあり、コンクリートのようなものでしっかり固定してある。
この地域の人によってであろうか、手が掛けられている。

資料によると、この草木塔はこの神社から数百メートルmほど離れた田んぼのあたりに建っていたもので、平成5年にこの地に移転されたものらしい。
上の画像は、神社のあるあたりを遠くから眺めたところ。
神社のある杉木立の上は樹を伐り出したらしく、作業道で山が虎狩り状になっているのが判る。
周囲の水田はほとんど作付けしてあり、きれいになっている。
川西町で最も古く草木塔全体でも3番目に古い草木供養塔(1797年)が建っている場所(玉庭柴引)から、この熊野神社までは現在の道路で1kmも離れていない。
68年後に、この地に草木塔が建ったのは、関連があるのだろうか。
過疎地ではあるが、柴引きの周囲は田畑が作られていない所が目立ち、犬川はまだまだ山里の人の気配がする場所であった。
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