草木塔の心を求めて沢内へ

  • 草木塔の心を求めて沢内へ
17日・18日と、岩手県の西和賀町と遠野市を中心に「おいたま草木塔の会」役員で研修に行ってきた。

山形県以外にある、江戸時代に建立された草木塔は二つ。
そのうち一つは旧熱塩加納村(喜多方市)にあり、もう一つは岩手県の旧沢内村(西和賀町沢内)にある。

熱塩は大峠を越して間もなくという位置関係にあり、ある程度の関連性を見いだすことができるのであるが、岩手県の最も南に位置する山深い村とはいえ、その距離の遠さと歴史的に行き来のある地域でもないことから、なぜそこに建っているのかということについて、見学し地元の詳しい方からお話をお聞きしようというのが、大きな目的の一つである。
参加者は8人。

お天気に恵まれ、少し汗ばむようなお天気になった。




山形自動車道から東北道を通り、秋田道に入って沢内へ。
休憩しながら、やく4時間で到着してしまった。
山形県内を縦貫して秋田から行った方が時間がかかるなんて、なんだかなぁという思いがするのだが、しかたがない。

案内して下さる方と、沢内のドライブイン「およね」で待ち合わせ。
沢内村は美しい村だ。けれど、雪深く寒さが厳しく、四方を山に閉ざされ、昔は「雪、病気、貧乏」の三重苦に悩まされていた寒村であったとか。
その時代、「およね」さんという娘が人身御供のようになって村を救ったと言われている、そんな名前がつけられているお蕎麦の店である。




説明と案内をしてくださったのは、元の沢内村村長で沢内の歴史を研究なさっている高橋さんと、西和賀町の生涯学習課の職員で自信も地域の御神楽の伝承などに積極的に参加なさっている高橋さん。
七十代後半になっておられる高橋さんからは、草木塔にとどまらず沢内村全体の歴史に関わって、草木塔というものが建てられて背景という部分が見えてくるようであった。
現役職員の高橋さんからは、沢内は草木塔よりも、もっと伝えたいものがいっぱいあるという心意気が伝わってきた。

なるほど、草木塔は沢内の歴史や民俗の一部でしかない。
どうして沢内村に草木塔が建てられたのかを知ろうと思ったら、この村のことを知らなければならないのは、当たり前のことであった。

2012.10.21:dentakuji:[なあまず日記]

この記事へのコメントはこちら

以下のフォームよりコメントを投稿下さい。
※このコメントを編集・削除するためのパスワードです。
※半角英数字4文字で入力して下さい。記号は使用できません。