娘が生まれてほぼ120日。
好い日を選んで「お食い初め」を行った。
私はその記憶はもちろんなく、経験もないので、どんなことなんだろう?ぐらいな気持ちでいた。
けれど、私の父親の思い入れが強く、お仲人さんと相方の両親を招いての儀式となった。
まだ、食べられるわけではないので、お膳のお料理は食べる真似だけで、相方が作った10倍粥を口に含ませた。
その役割は、当家のいちばんの年長者ということで、父親が行った。


不思議で、なんとも面白い行事なのだ。
けれど、子どもの成長を喜び、これからちゃんと生きて行けるようにという願いが込められてきた、人生の儀式なのだろうと思う。
様々な人に支えられながら人は育って生きて行く、そういうことも、改めて認識する場でもあるのだろう。

お祝い事が始まる30分前に、檀家さまからご家族がお亡くなりになったという連絡があった。
じつは、朝からそのようなことがありそうな気がしていた。
私の母も、かつて近所に住んでおられたその方の夢を見たと言っていて、私も同じようなことを朝方感じていたからだ。
そんなことはあるまい・・・と思われるかもしれないけど、これは不思議なことで、電話があったと聞いた時、「やっぱりそうか」という思いがしてならなかった。
生まれ育つ命があれば、この世の生を終える人もある。
これはしかたのないことなのだ。
お昼過ぎにご供養にうかがって、檀家さまとそんなお話をした。
子どもが、おかげさまですくすくと育っていること、じつにありがたいことなのだなぁ。
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