黒野伸一:著 (小学館 2011年11月 発行)
この本を、書店の新刊書のコーナーで背のタイトルを見て、すぐ手を伸ばした。限界集落という題から、ノンフィクションかと思ったら小説だった。「ほう~」と思いつつその時は本の装画を眺めただけで元の位置に戻した。
「限界集落」
気になっている言葉である。
少なくても、5~6年はこの言葉を、仕事上でもよく聞いていた。
私が、過疎化している地区の公民館(コミュニティセンター)で勤務していたこともあり、限界集落と呼ばれている地域で、そこで生じる様々な問題に立ち向かって希望を与える小説…とはどんなものか、とても気になったのだ。
帯に、「過疎、高齢化、雇用問題、食糧自給率… 日本に山積する社会不安を一掃 逆転満塁ホームランの 地域活性化エンタテインメント!」と書いてある。
これは、読まねばなるまい、というわけで数日後また書店を訪れ購入した。
過疎化し、近隣の自治体と合併した村が舞台。
その村出身者の孫で都会育ちのやり手らしい青年が主人公(の一人)。
地域的なしがらみや人間関係があり、事業をするうえでの困難がある。
役人(町の職員)や農協という組織などとの軋轢。
村以外から(都会から)やってきた人と、もともと住んでいる人々との関わり。
様々な困難や事件に遭いながらも、限界集落と呼ばれている人たちの心がまとまり、事業を成功させていく。大まかにいうと、そういうストーリーになっている。
実際に思い当たることがけっこうあって、実体験が重なりあった部分が面白くもある。
都会から農業や林業などを担う人材を得るために、一定期間、体験する事業などというのも多くの自治体などで実施していることだし、市町村の合併は、平成の大合併でそうとうな村や町が併合されている。
足を引っ張る農業振興担当の町役場職員の姿は、いささか陳腐な感がないではないが、確かにいそうである。
まぁ、そういったことを含めてハッピーエンド的なこの小説は、希望を抱かせてくれるものかもしれぬ、のである。
その上で、改めて限界集落について思ってみる。
私のイメージにある限界集落とは、かつて数十戸あった地域がすでに耕作地(田んぼ)はすべて放棄されて荒れ果て、残った数戸には就学児はもちろんいなくて、若者すらいないし、地域の世話役をする人もいない、というものだ。
いささか極端かもしれぬが、実際にそういう集落があり関わってきた経験がある。過疎による様々な問題が起きて、それを解決しようとするとき、「なんで、ここに住んでいるんでしょうね」と関わるいろんな人(市の職員、業者さんなどなど)に言われたし、自分もそう思ったことがある。
そうしてみると、この小説の舞台になっている村は、限界集落なの?っていう思いがないではない。しかし、ここで事業をやって生きていこうというという意味で言うならば、限界集落と言っていいのかもしれない。「まだ俺たちには、ここで生きて行ける、夢を実現できる」っていいうよなね。
こうしてみると、かつてあった青年団の「演劇」のようなイメージになってきた。ちょっと青臭さを感じさせるというか。
行き詰まり感のある空気が漂う時代には、このベタなハッピーエンドストーリーが意外といいのかもしれない。
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