いま地域の片隅で

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12月19日(月)、朝方は雪が上がって晴れ、午後からしだいに曇りで雪が降ったりやんだり。


19日は、父方の祖母の命日。
昭和44年、居間の囲炉裏端で、大工さんたちに3時のお茶出しをしている途中、気分が悪くなって倒れ、医者の往診を受け、その場に一週間 意識が回復しないまま亡くなった。
まだ71歳だった。
自分は9歳の時のことで、倒れた時も家におり、状況をよく覚えている。


午前中、お寺の周囲と境内の除雪をしてお昼、北朝鮮の最高指導者(だったよね)金正日氏が亡くなったというニュースが流れた。
北朝鮮のテレビのあの女性アナウンサーが、涙を流さんばかりの慟哭のような声でニュースを報じている映像であった。
開かれていない彼の国はこれからどうなるのであろうか。




午後は、地域づくりの手法に関する話しを聴く小さな集まりに呼ばれ、地元の大学の准教授のお話をきいた。
これは、かねてからこの地区の地域づくりプランの作成をするということで助成金をもらい、それを実行するための相談を持ちかけていたものだった。
大学には地域づくりに関わる研究部門があるのですね。
この准教授は実際に各地で地域づくりプランに関わり、フィールドワークを積んでおり自信を持っておられるようである。

今回の話は、地域づくりプランの作成から計画の実施という流れを、5年計画で進めてゆくその手順を示すものだった。
取り立てて目新しいものではない。
けれど、その実施案の中身には、手法として、地域とその事務局が元気に事業を進めて行くための実際的な智恵が加味された提案であるように思った。
机上でのみで考えたものではないことが、話からも伝わってくる。

ただし、あくまでも進めていくための方法論である。


「地域づくり」という言葉は、もう仕事としても20年ぐらい自分でも使い続けている言葉なのだ。

地域づくりってなんだ?

便利に(安易に)使うたびに、これはいったいなんだろうなぁという思いをしてきたことは事実なのだ。

その間(20年間)、田沢地区は50戸200人余り減少して、いまだ減少し続けている。
申し訳ないのだが、地域づくりの手法が間違っていたのか、人や戸数の増減とはまた別ものなのか、いまだわからぬ。

はからずも、コミセン(公民館)職員の職を辞してからも、そういった地域に関わることにも首を突っ込んでいる。
しかし「地域づくり」の現場から離れてみると、「地域づくり」という言葉はとんと使わないでいる(いられる)。
日常生活とはかい離した言葉ではないのだろうか。

もうちょっと、毎日暮らしていく日々の中で心に響くフレーズはないものかと思う。地域をつくるために、とか、国家をつくるために生きているのではないのだろうし。

暮らしやすい地域や国について考えると、きっと、あまり頑な過ぎる思いや大げさなスローガンというものは役に立っていないのではないか、その点で地域も国も同じなのではないのかなぁ。

全ては日常の些事から始まっているのではなかろうか。



2011.12.20:dentakuji:[なあまず日記]

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