斎藤明美:著 キネマ旬報社 2011年7月)
『週刊文春』の連載「家の履歴書」の中から、文化人と芸術家をピックアップしてまとめた、『家の履歴書』シリーズの3巻目。
家について、いわゆる建物としての家にまつわるエピソードと、建物でない「いえ」というしがらみと言えばいいのだろうか(紛らわしい言い方になりますね^^;)、そういった、それぞれの人の履歴でもあるわけです。
じつは、既刊の2冊はまだ読んでいなくて、なんとも言えないのだが、どの分野であっても著名人の話なので、じつにその引っ越しの移動距離のスケール感とか浮き沈みみたいなものの振れ幅が大きいことに驚いてしまう。
生まれたところから一度も離れることなく、その土地に何十年と住んでおります、というようなことなはい…、とおもったら、茶道の家元は生まれてこのかた、築百数十年の家に70年以上も住んでいて、しかも500年続く「いえ」を受け継いでいる。
これまた、そのスケールが大きいのであります。
そして、戦前に生まれた人たちは、太平洋戦争という世の大きなうねりに翻弄されていることがよくわかる。
家族の離散、生き死に、病や別れということを、戦争のない時代よりもはるかに多く過酷に体験せざるを得なかったに違いない。
しかし、登場する多くの人が、家は小さくても大勢の家族がひしめきながら狭い部屋に寝起きしていた時代が幸せと感じる、というような言葉を残している。
家の大きさとか、物の多さとかと幸福感っていうのは比例しないのだろうか。
美空ひばりの養子になった加藤和也さんは、大きな邸宅で一人ぼっちという孤独感に苛まれていたというし、元アナウンサーでエッセイストの山根基世さんは、三十代半ばにして念願のマンションを購入し住み始めたのに、寂しくて寂しくてしょうがなかった、と言っている。
家と生き方、そして満足感とか幸福感は、その家の豪華さとか広さには比例しないのかもしれぬ。
私は、1年以上住んでいた家(寮も含む)は四つある。
生まれ育って、戻ってきて現在住んでいるお寺の庫裏、学生時代に借りて住んでいた一戸建ての家、同じく学生時代のアパート、それにお寺の寮だ。
自分が住むお寺の建物は私のものではないが、やはり生まれ育った場所。
お寺の財産でありながら、住ませてもらっているという意識は、頭のどこかにあるのだ。
そのお寺の中でも、幼少期から与えられた部屋をあちらこちらと移動している。
記憶がある最初は、北側の池端にある、廊下を改造した3畳間。
じきに、2階の納戸を改装した6畳間に移り、ここには小学6年生までいた。
中学に入ると、池端の廊下を改装しなおした3畳間×2に移り、高校卒業までいる。
そして、お寺に戻ってからは、最も奥の「蔵」と呼んでいる建物の6畳間。
やがて、増築した南側の2階に落ち着き今に至る。
どの時代がよかったということは、今は一概に言えない。
住むことに関して、まだこれから課題がいっぱいあるし、ちょっとした夢もある。
『家の履歴書』は「いえ」を考える面白い手がかりになるような気がする。
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2016.12.15 (あらあら)たぶんそうかもしれません
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2016.12.15 (中澤 直美)お大事に(^_-)
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