(101)『親父の小言』

  • (101)『親父の小言』
「大聖寺嘵仙和尚のことば」  (青田嘵知:著  TBSブリタニカ 2003年)

さて、親父というものは昔から怖いものとされており「地震、雷、火事、親父」と大きな天変地異などの次に入れられてきたものだが…、さて現代ではどうなのでしょうね。

母親の優しさに満ちた愛情とともに、父親の厳しさも愛情ととらえられていたものと思われる。
「親父の小言」というのは、子どもを世の中にちゃんと出してやるために、あえて厳しい言葉を口うるさく言われてきたものにちがいない。

私の父親はどうかというと、それほど口うるさい方ではなかったと思うのだが、子どもの頃はやはり怖い存在であったように思う。

著者の青田嘵知師は、私の友人の父親で、福島県の浪江町にある名刹「大聖寺」のご住職である。
その「親父の小言」は嘵知師の父親が書いたものだが、さらにその父親が折に触れて語っていたことを思い出して書き出していたものということである。
その「親父の小言」を嘵知師が父親を回想し、その言葉を味わい、現代的な意義について説明を加えて語っているという形になっているのだ。

大聖寺は、今年3月11日の東日本大震災で被災し、福島原発の事故の影響により、退避せざるを得なくなってしまった。
嘵知師とその奥さまは一昨年までに亡くなられている。
友人によると、原発の危険性について危惧され発言されてきたようであった。
少なくても、友人と知り合った30年前にそういう話を聞いていた。

お亡くなりになってから、図らずもその危惧は現実のものとなった。
お寺は建物の倒壊は逃れたものの、大きな被害を受け、それどころか帰ることすらできなくなってしまったのだ。


本書で語られている『親父の小言』では、直接的に原発に言及はされていないが、そのことを意識されていると思われる部分はないだろうか。
その気で読めば全てそのようにも感じがする。

中でも「火事の覚悟をしておけ」という言葉がある。
嘵仙師がお寺の火事に遭い、たいへんな苦労をされたことから出た言葉であるとしているのだが、嘵知師は日本の危機管理に言及し「自分にだけは災害が起こってほしくない」という気持ちがいつの日か「自分には起こらないような気がする」と変化し、平気でそう思い込んでしまう… という風に書いておられる。

ここに、よく表れているような気がする。



大聖寺の住職になった友人は、現在、福島市に避難してお寺の活動をしている。
その彼にこの本を戴いた。
いつ帰ることができるかわからない状態で、彼と家族は過ごしている。

親の小言と冷や酒はあとから効いてくる。
平易な言葉で書かれているこの親父の小言を、私たちは味わうべきである。
2011.10.10:dentakuji:[お寺の本棚]

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