熱塩加納村からまた飯豊町中津川に戻る。
年代順に追っていくと、まったくピンボールの玉のようにあちこちへはじかれる。
これは自分で決めたルールなので、楽しむしかない。
無駄が多いことは承知なのだけれども。
さて、熱塩加納村の草木塔から3年後の文久二年(1862年)8月とあり、「草木塔」と細い文字で刻まれている…のだが、また訪れた時間が悪く逆光でよく見えませんね。
それに、土ぼこりをかぶっており、手でやさしく埃を払ってやらないと、なんの石塔だかわからないような状態になっている。
飯豊町の白川という地区の白川寺という曹洞宗のお寺の境内地、賛同のところに他のたくさんの石塔とともに並べられるように建っていた。
この並び方から想像するに、元々は別なところに建っていて、移設されたものではないだろうか。
そう遠くないところだと思うのだが。
白川寺は、田沢寺を「でんたくじ」と呼ぶように「はくせんじ」と読んでいいのかな。
お寺の境内に建っているということで、お寺の方にお話を聞けると期待して、少々緊張して出かけたのだ。
しかし、尋ね当てていくと人気がなく、住職不在のお寺になっているようであった。
人気のないお寺は寂しい。
このあたりは、やはり過疎化しているのだろうけれど、近くには「農家民宿」という看板を出している家が軒を連ねているのだし、進入路には立派なお寺の名を刻んだ石柱が建っていた。
おそらく、どこかのお寺さんが兼務なさっているのだろう。
隣のお宅の作業小屋の前を通って境内に入った。
お隣には誰かいらっしゃるようだったが、ちょっと気落ちもあり、声をかけずに来てしまった。次回訪れるときは話を聞かせてもらおう。
山門に繋がる道は、車が通れないような昔の道なのだけれど、とても山村のお寺の雰囲気がある。
その先には、蓮の花が咲いている池がある。
冬は…、きっとたいへんな雪なのだろう。
お寺から大きな通りに出るまでは数百メートルあるだろう。
それでここにはとても居られないのか…などと想像してみた。
けれど惜しい。
お寺は人がいてこそお寺のような気がする。
中津川で4番目に古い草木塔は、いちばん人里に近いところに建っていた。
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