28番目で、初めて山形県外の草木塔が登場する。
飯豊町岩倉の草木塔が建ってから約1年である。
米沢市入田沢の塩地平に1780年に建立されたものから79年経過している。
明治時代以前に県外に建立された「草木塔」と考えられる石塔は現在のところ二つだけ。
その一つが、田沢地区からも比較的近い、熱塩に建っているというのは偶然ではないように感じる。
平成4年に開通した大峠トンネルのお陰で、国道121号を通って、一年中、熱塩加納村(当時)へ車で30分もあれば余裕で行ける場所になった。
それまでは、旧大峠道路は冬季間のおよそ5~6ヶ月間通行できず、大きく遠回りしなければ行けないところだったのだ。
開通後は、いろんな意味で喜多方市を含めて交流が広がって行った。
さて、草木塔が建っている熱塩小学校のグランドのそばには、草木塔以外に観音様やお地蔵さま、湯殿山の大きな石塔、どなたかの功績をたたえている生碑も建っていて、草木塔はじつに目立たない。
しかも、訪れた日は、この観音さまのお祭りらしく幕が掛けてあった。
お地蔵さまの後ろに隠れるように、墓石型の「草木塔」が建っている。
午後少し遅かったため、逆光になり字は読みにくいが、確かに草木塔である。
以前訪れた時は、前にお地蔵さまはあったかなぁ?
それに、小学校の石の標柱が新調されているようだ。
碑面には「草木塔」と刻まれている。
左の側面には、安政6年(1859年)6月建立とある。
その他の文字は、肉眼でよくわからない。
資料によると、建立者は「木樵 甚三郎」とある。
左側には、2mをゆうに超す湯殿山の石塔、その隣に生碑、そのなかにひっそりと建っている。
しかし、当時の熱塩加納村の教育委員会によって、昭和58年に村の指定文化財になっている。
喜多方市と合併した今でも、おそらく同様の扱いになっているのではないかと思われるのだが、要確認である。
米沢市が民俗有形文化財に指定するよりだいぶ前に、その意義を認めているところがすばらしい。
それにしても、大峠道路が明治に入ってから、三島通庸県令の施策により主要道路として整備されるより前から、人の往き来、交流はあったように考えられている。幾分ルートは違うものの、昔の大峠の道筋というのを地区の古老から聞いていたこともあり、熱塩の草木塔建立の経緯には、田沢との関連があるのではないかと想像している。
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