飯豊町の中津川へ、また戻る。
米沢市万世町梓山の草木塔から4年後に建っている。
年代を追って回るという、一応自分で決めたルールを守って訪ねていくと、本当にあちこちへ跳ぶ格好になる。
さて、中津川の白川荘からさらに奥の方へ進んでいくと、資料によると塩の畑(しおのはた)という場所に建っているらしいという情報のみ。
もともとの場所から移設されているということで、たいていわかりやすいところへ移すものだが…と車をゆっくり走らせると道端の小高い畑の縁に石塔群が建っていた。
すぐ近くに人家はなく、数百メートル先に人が住んでいそうな建物が見える。
中津川は、元気のある地区だけれど、過疎であるには違いない。
その途中までも、廃屋や、家が解体された跡などが目についた。
さて、この場所は、午前中に来た方が、碑面がよく見えたに違いない。左後方から西日が射し、資料として見るにはちょっと画像は難しい。
碑面には、「草木塔」と刻まれている。
しかし、石塔の上部がだいぶ壊れてきているようで、草という字はだいぶ読みにくい。
建立年は、資料によると安政5年(1858年)とある。
大きさも、135cmとあるのだが、破損か地面にめり込んだかわからぬが、1m足らずにしか見えない。
石塔の裏面もだいぶ磨滅しており、この地は半端な豪雪地ではないだけに、今後の保存は気にかかるところだ。
ただし、他の4基の石塔と並んでいて、庚申塔ともう一つは穴あき石が供えられているところから「どうろくじん」ではないかと思うのだけれどどうだろう。
お参りをしている形跡があり、こうして石塔が身を寄せるように建っていると、きっと守られていくんじゃないだろうかという気がする。
旧中津川村は、かつて三沢村と同じ南置賜郡であった。
昭和二十年代後半から三十年ごろの、いわゆる昭和の大合併のとき三沢村(田沢・簗沢・小野川・赤芝)は米沢に合併し、中津川村は西置賜郡飯豊町となった。
かつて、同じ選挙区であったことや、山仕事なども一緒にしたという話を、年配の方々から聴くことがある。実際、姻戚関係も多い。
そう考えると、中津川に数多く草木塔(草木供養塔)が建っていることはそう不思議なことではない。
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