玉庭の奥の温井から、小松の街中へ向かう。
小路に入って諏訪神社の鳥居の横側に並ぶ石塔群の中に建っておりました。
碑面には「草木供養塔」としっかり刻まれております。
ただし、供養の「養」という字は、文字を左右に配したような字(このPCで出てきませんーー;)。
資料によると、嘉永三年(1850年)三月十七日建立とある。
塩地平に建立されてから70年経過した頃。
今まで見てきた草木塔(草木供養塔)の中では、最も街中に近いところに建っているのかな。
昔の村の様子はわからないけど、現在地で言えばそういう感じ。
凝灰岩の加工石で、墓石型をしている。
これはたしか、
川西町大舟の旧新蔵峠沿いに建っている草木供養塔とそっくり。
表面の処理も似ている。
あちらは文化13年(1816年)だから、37年経過しているものの、当時の墓石はこういうものがスタンダードであったのだろうか。
元々はどこに建っていたものなのか。
この様子だと、石塔群はこの場所に集められて建てられた感じ。
それにしても、神社は寺院と違う清々しさと言ったらよいのでしょうか、こころが凛となるような心もちがいたいます。
なぜここに、街中に近いところに建てられたのでしょう。
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