米沢市の万世から川西町玉庭へと戻る。
玉庭も上和合から権平峠へ向かう道を1.5kmほど入っていたところの道端に建っている。
ここから峠までの間には、かつて温井集落があったのだが、いまは、別荘らしき建物はあるものの、残念ながら住んでいる人がいない。
この先から沢沿いに入り、立岩山荘という施設を中心とした自然体験できる場所が造られている。
この権平峠を越えると、飯豊町の小屋集落でえある。
米沢市の田沢地区からだと、戸長里集落から ささ峠(通称)を越えて権平峠に向かうので、わが家からだとそう遠い感じはしない。
小山田信一先生などの報告にも会ったとおり、石塔は真中から折れてしまっているのを補修されて建っていた。
地域の有志の方によってなされたものと聞いている。
碑面には「草木塔」と、素朴な感じがする文字が彫られている。
資料によると、嘉永2年(1849年)8月9日 建立とある
80センチメートル足らずの小ぶりな石塔は、よく見ると三つに割れていたことがわかる。
おそらく、雪や除雪の影響によって壊れたものと思われる。
この場所に修復再建されたことで、散逸せずに残ることができるだろう。
この前の万世町刈安の草木供養塔と玉庭矢の沢の草木塔から4年である。
米沢市田沢地区、飯豊町小屋地区、そしてこの川西町玉庭地区の位置的に真中みたいな場所にあり、ここに建っていることは全く不思議なことではない。
住む人がいなくなり、かつて田んぼであった所も荒れ果ててしまっている。
しかし、この場所には、ここで山の仕事を生業にしていた多くの人たちの思いが残っているような気がする。
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