7月11日(月)、朝から晴れ上がり気温はぐんぐん上昇して、34℃ぐらいになったらしい。
午前中、駐車場の草むしりをしていたら、頭がくらくらとして、汗もドォーっと噴き出してきた。
まだ冬だった3月11日から、雪が消え桜が咲き春になり、田んぼに水が入り青々した苗が植えられ、山々の木々が萌えだし初夏、そして蝉が鳴きだし夏になった。
まる4ヶ月、大地震の発生から経った時間。
直接的に、また大津波や液状化現象などの震災、原発事故による大きな被害と影響。
ここ、米沢に暮らしていると、一見、以前のような日常が戻っているにも見えるが、様々な機会に、ふと甦るものがある。
私たちでさえそうなのだから、被災された方々はどんなに大変なことだろうか。
生命・財産・自らの心身の状態、後始末やこれからの展望など、想像できないほどだ。
地震と津波という自然災害が、想像以上の大きさで起きた。
それまでの歴史上の記録や、そこに住んでいる人たちの経験をしても、全体を通してみれば対処できない部分が多かった。
そして、地震の被害は、福島原発事故を引き起こし、史上経験のない事態を招いた。いまだ、そこから復活・復興する道筋は見えてもない。
それどころか、まだ見えていない恐怖の事実が隠されているのではないかと脅え、電力会社と政府に対し不信が募っているのだ。
原子力発電所事故の怖さを、震災をきっかけに事故が起きて、初めてその危なさに気がついたのだ。
もちろん、一貫して反対してきた人がいたことも事実である。
しかし、私のように「危なさはあるんだろう」とうすうす感じつつも、なんとなく安全に運航されているんだからと、電気に依存する生活を享受してきた人がほとんどではないかと思う。
私の学生時代の友人が浪江町に住んでいて、彼の一昨年亡くなった父上も彼も、「いつか取り返しができない事態になるのではないか」という言葉をお聞きしても、危機感が長続きすることはなかった。
友人も父もお寺の住職として、また市民として危機感を感じていたことは間違いないのだ。
絶対に安全ということは、真剣に科学に取り組んでいる人ほど言えないはずではないかと、私は思う。
科学者も技術者も完全に近づくことを目指しているに違いない。それに、現場では今も危険な状況にさらされながら戦っている人たちもいる。
これを、絶対安全という言葉を弄して、私のように声を上げない人たちを増やしていったのは、政治のチカラにちがいない。
ただし、今回の事故で、災害プラス人災など様々な要因が重なると、取り返しが効かないほどの危険な結果になることが、かなり分かってきた。
いざとなったら、人間が制御できないもの、処理できないことを、安全と言って生み出し続けてはいけないのではないだろうか。
その他の発電であっても、リスクのないものなどないだろう。
人などの動物がが生きてゆくためには、草や木などの植物が生きて摂取できなければならない。
できるだけ、リスクの低いものを選択すべきなのだ。
それに、私たちは、電気が無尽蔵に生み出されてくるような生活が当たり前だ、というような生き方を考え直さなければならないのではないだろうか。
「おいたま草木塔の会 会報」の巻頭言(大友会長)の一部を引用する。
『(前略)・・・戦後の復興から急速に成長し続けて60余年、人々の生活観の変化の中で、と富への異常な執着、利己心の増幅、飽くなき自然破壊と人類の我儘、傲慢さが勝ることを顧みない暴走に、ようやく人々が気付き始めた頃から、草木塔への関心が高まってきたような気がします・・・後略』
こうして、電気を使ってPCからネット発信しながら言うのもなんですけどね^^;
取り返しのつかない、人が始末できないものから、再生可能なエネルギー源への転換と、足るを知る心(満足する心)を見直すことが、今必要なのではないだろうか。
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