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(97)『TOKYO 0円ハウス0円生活』

  • (97)『TOKYO 0円ハウス0円生活』
(坂口恭平  大和書房 2008年)

住むことについて考える。
一般にはホームレスと呼ばれる、公園や堤防の縁に段ボールやブルーシートを材料にした「ねぐら」。

著者は、よくよくそこを観察してみると、ホームレスどころか、じつに身のために合わせた合理的な住まいを作っている人たちがいることに気づく。

たまたま出会った「鈴木さんと、みっちゃん」の二人が住む家により、鈴木さんの率直な人柄と、筋道の通った話に引き込まれてゆく。

そこには、東京という大都会の特徴を知り生かして、智恵にあふれた住まいを作って暮らしている姿があった。

それから、固定しない家にソーラーバッテリーを使って暮らしている人の家も面白い。

住むことについて、都会の高層ビル林立の都市づくりについて。
身の丈に合った暮らしとはどんな事だろうと考えている。

2011.08.17:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]

(96)『履歴書代わりに』

  • (96)『履歴書代わりに』
吉村 昭 (河出書房新社 2011年)

今まで、単行本に未収録のエッセイ集。

著者の徹底した取材による、史実をもとにした作品は定評がある。
のだが、じつはまだ読んだことがなくて、エッセイしか読んだことがない。

いつかは…、と思うのだが、それはいつになるのやら。

このエッセイ集は、タイトルにあるように、自らの生い立ちや家族について、書いたものだ。
1927年(昭和2年)の生まれということで、子どもから学生の時代を第二次世界大戦前と戦中を過ごし、肺結核で死の一歩手前で当時としては難しい手術を受けて生き延びる。

この体験は著者にとって、その後の人生に大きな影響を与えていると感じられる。

それは「『保健同人』と私」で詳しく書いている。
聞いたこともない『保健同人』(『暮らしと健康』という雑誌の昔の題名らしい)についてのことである。
中学二年生の折りに肋膜炎に罹って以来、その後、結核菌に肺を蝕まれるようになり、終戦後の昭和二十二年にとうとう重症の肺結核患者になってしまった。
当時、有効な治療法もなく、ひたすら絶対安静にして自然治癒を待つほかない状態だった。
しかし、病状はさらに悪化し、死が近いことを意識することになる。

そこで、兄が持参した『保健同人』読み、肺結核の新治療法として外科手術が紹介されている記事を読む。
結局、その記事を読んだことから、当時ほとんど手術を受けることになり、命は助かった。

このことがなければ、その後の吉村作品はなかった(であろう)はずである。
著者個人としては、仕事上、なにもつながりのないこの雑誌に、このエッセイを書いて記しているというあたりに、著者の律儀さが表れているではないか。

 
2011.08.01:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]

(95)『Beフラット』

  • (95)『Beフラット』
(中村安希:著  亜紀書房 2011年5月)

中村安希の著書、新刊が出ていた。

タイミングとしては、大震災と原発事故以後、その対応と政争に関わり、政治不信というより脱力感とか無力感でへなへなっとしていたときだったので、本屋で見つけてすぐに購入してしまった。

経済成長がとまり、下降線を描いてきた時代に社会に出てきた世代と彼女は言う。

おおよそ20年早く生まれている私の世代は、戦後から抜け出しまさにこれからという時代に生まれ、右肩上がりで経済が成長する時代に子ども時代を過ごし、社会に出る頃が絶頂期であり、やがて著者と同じ世代の頃バブルははじける。

1980年後半から90年代前半、この田舎に住んでいても、多少といえどもバブル経済という雰囲気を感じていたものだ。

新しい家は建ち、購入する車のランクが上がり、仕事などなんぼでもある、というようなあんばいで。

田舎に新設されたスキー場では、夜空を煌々とライトが照らし、大音量の音楽を轟かせ、それまで人が来なかったところに遠くから人が押し寄せてきた。
喜んでいた半面で、「こんなことがいつまでも続くんだろうか」そんなことを思って話していたことも事実あった。

案の定こんなことは長く続かなかった。

さて、一体誰が悪かったのだろう。

この本では、著者が若手を中心とした18人の政治家(国会議員)にインタビューを試みている。
そのほとんどに(3~4人を除く)失望を感じたようだ。
何を考え、何をしようとするのか伝わってこないのは、おそらく著者の筆力というより、実際に議員に中身がないのだろう。

選挙の度に感じる伝わってこなさ、誰に・どこに入れてよいのかという選べない思い、というのはなんとなくわかるような気がする。

この国は(日本)はどうなっていくのだろう。
議員を選んでいるのは他ならぬ私たちなのだ。
自分の立ち位置を確かめ、必要なものと必要でないものを見極め、どういう態度で応じるか…。
国際的なことも身の回りのことも、そう大きな違いはないのだろうと思う、そんなことを感じた。
2011.07.07:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]

(94)『インパラの朝』

  • (94)『インパラの朝』
ユーラシア・アフリカ大陸 684日

(中村安希:著  集英社 2009年11月)

26歳の女性である筆者が、一人で47カ国、2年の旅をした。
それも、中国から東南アジアやパキスタン、中央アジアからイラン・シリア・イスラエル、さらにアフリカの北から南へ向かいさらに西側へゆき、ヨーロッパにわたり、リスボンで旅を終える。

45リットルのバックパックに修羅増や着替えなどを詰めて。

旅を焦らないという旅。
安宿に泊まり、ときには現地で知り合った人の家に招かれるままに家でしばらく過ごしていく、というような旅を続けていく。
読んでいて、大丈夫なのだろうかという思いとともに、人の懐に入っていける著者の感覚を羨ましく思う。

特に、時期にもよるのだが、旅行をするのは危険であるという状況の国や、一般に危ないと言われている地域にも行っている。

例えば、イランである。
ガチガチのイスラーム教徒が住んでいるというイメージがあるイランの一般家庭に招かれて、その家族といるうちに、どこか私たちは知らず知らずに、怖い国のイメージイコール一般人という考えに陥っていないか、という疑問を持つ。
その地に旅して、普通に生きている人と接してみなければけしてわからないで終ってしまったことであったろう。

旅は、旅のし時があるかもしれない。
例えば、アフリカのどこかわからない道を、疾走するトラックの上部につかまって気を失いそうになりながら移動するなんてことは、歳を重ねてからは不可能なように思う。

また、国際協力で発展途上な国や地域に派遣されて仕事をしている人々の実際の状況なども興味深い。

50才を越えて、どれだか冒険ができるだろう?
旅に出てみたいそう感じた。
2011.06.25:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]

(93)『空白の5マイル』

  • (93)『空白の5マイル』
チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む
(角幡唯介 集英社 2010年)

冒険心というのは誰にもあるのかどうかはよくわからないのだが、私には多少あるような気がする。
それは、子どもの頃から山里に住んでいて、大きなくくりの自治体もぐるりと山で囲まれている盆地であることから、「この山を(峠道)を越えるとどこに行くのだろう」そんなことを考えていた。
そして、小学生後半に比較的に自由に自転車に乗れるようになると、親の目を盗むように峠越えを敢行して、発覚するとしかられていた。

高校を卒業すると、原チャリに乗って、もっと大きな峠越えを試みるようになった。
自分の冒険というのは、せいぜいその程度のものなのだ。
けれど、そのための準備や恐ろしさというものは、冒険者と多少の共通点があるのではないかと思うのだが。

さて、この作者は大学時代探険部に入り、数々の未踏の地と思われるところへ探検に出ている。

そうした中で、チベット、世界最大の峡谷と言われているツアンポ―峡谷の踏破に挑む。
それも、幾多の探検家が挑んでなお未知の場所と言われている「空白の5マイル」に単独で挑むのである。

探検する際には、現地の状況や国際的な関係もあり、充分かつ念入りな調査を必要とすることを筆者は述べている。それは、大学の探検部時代に先輩などに教え鍛えられたもののようである。

それでいて、筆者は、単独でふらりと隣の町へでも行くように出かける様子である。そして、現地でも、その土地の人と上手に距離感を持ちながら大部隊で出かけてはとても無理な場所へと行くことができたのだ。

山岳の訓練を充分に積み、単独登山に必要な資材をそろえて行くのだが、日本の川や山とのスケールの違いや、環境の違いに思い描くように進むことはできない。
それどころか、死んでも不思議ではない状況に追い込まれてしまう。

実際、テレビの企画で、初めてカヌーでツアンポ―川を下るという試みをして、一人の実力のあるカヌーイストが死んでいるのだ。
そのことを、彼は生き残った一人から状況を取材し、ルポ的に書き記している。
それは、日本のどんな河川でも経験または想像すらできない河川のスケールであったことを示す。

チベット探検といえば、ほんとうの仏教(仏典)を求めて一人でチベット人になり済まして入国した河口慧海を思い出す。
彼は、探検家としては素人であるけれども、周到な準備と強い意志の力を持って入国したのだが、ある意味においては共通することろがありはしないか。

空白五マイルとはいえ、その空白とは、欧米をはじめとした他国の者にとってということである。
シャングリ・ラと呼ばれる理想卿が人里離れたどこかにあるに違いないと、信じられており、そこには人がというか修行するものなどがいたのではないかという。

著者が見つけた空白の峡谷にある「洞窟」は、はたしてシャングリ・ラかどうかはわからぬけれど、地元の民が入っている可能性はある。
だからといって、他国から出かけて行った筆者の探検が色あせるものではない。

人を寄せ付けぬような厳しい峡谷に足跡を残し、記録し、生きて還ってきたことに意味がある。
2011.06.18:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]