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(107)『身体のいいなり』

  • (107)『身体のいいなり』
内澤旬子:著(朝日新聞出版 2010年12月)

イラストを描きルポするライターであろうと思われるこの著者のエッセイ。

『東方見便録』(斉藤政喜と共著)、『センセイの書斎 イラストルポ「本」のある仕事場』、『世界屠畜紀行』などを過去に読んだことがある。
取材する興味の対象が、エグいという感があり、面白い人だなぁという印象を持っている。
そういう眼で観ると、この作品はエッセイというよりも、自分(の病気)に興味の対象をあてたルポという感じがしてくる。
そのぐらい、乳がんという病気を得てしまったにもかかわらず、客観的な視点を持って自分の身体を観察できる人なのではないか。
それでいて、自分の生活に不安を抱きあたふたするという可笑しさも持ち合わせている。

このエッセイは、ただの闘病記ではない。


我がことを振り返ってみる。
小学校の就学前から小学5年生まで、病弱で入退院を何度もくり返し、自宅療養を含め学校に行かなかった(行けなかった)期間はけっこうな期間であった。
合計すると1年間分ぐらいあったのではないだろうか。
小児リウマチと腎盂炎という病気であったそうだ。
そのくせ、自我は強く、気持ちだけは負けたくないという子どもで、無理をしてはがおってしまっていた。

それから病み抜けたという表現がぴたりとくるように、中学生からそれ以降はとても頑健な少年になり20代から30代は病気知らずで駆け抜けてしまった。
そして40代、いわゆる厄年に生活習慣病というような病(と言えるかどうか)になり、それ以降は定期的にお医者さんに通って高血圧と高脂血症とお付き合いしているという状態だ。



著者の病気は乳がん。

「…顰蹙を買うことを承知で言わせていただくと、人間なんてどうせ死ぬし、ほっとけばいつか病気に罹る可能性の方がずっと高い生き物なのに、なぜみんな致死性の病気のことになると深刻になり、治りたがり、感動したがり、その体験談を読みたがるのかが自分にはよくわからないのだ。そんな体験談なぞ、癌になる前から読みたいと思ったこともない。…」

この文章だけを取り出してみると、不遜な感じがしないわけでない。

しかし、著者自身が子どもの頃から感じていた、アトピー性皮膚炎や腰痛、身体に感じる不調感とかと比べると、治療を行えばちゃんと元の生活に戻ることができる病気だというこという認識があること。
治療とその時期に出会ったヨガを続けることで、不思議なことに発病前より身体の感覚的に健康と感じるようになったこと。
そして、その病気に関わり、病気や医師、そこで出会った人たちとの関わりについて書かれていることは、病という一点だけを見てしまうと見逃してしまう様々なこと、男の私には(たぶん)わからないことが書かれているように思う。


上の引用した部分の文章は半分ぐらい理解できるし、半分ぐらいはよくわからないことがある。
それは女性と男性の違いもあろうかと思うし、今の自分の境遇というものも多分にあるに違いない。

乳がんの第1ステージとは言え、私だったら、別の部位の初期のがんと言われたらやはり相当ショックを受けてしまうかもしれない。
と同じぐらい、子どもの頃、あんなに身体が弱くていたのだから、そのぐらいのこと(重い病気になること)はあっても不思議ではないような気はしている。
それに、50代になったら、いつどんな病気になっても不思議ではないような年齢的な気分みたいなものがある、というのが正直なところである。


テレビの「情熱大陸」に出て、ちょうど一箱古本市に私の仲間たちが出店して著者と出会っていた頃、そのような状態にあったとは、信じられない思いがする。
知的な美しい方だなぁと、書いているものとのギャップを少々感じたものだ。

医者とのコミュニケーションがうまく取れなくて、相手の言葉にマジギレしてしまったというくだりがある。

病に向き合う時、たぶん、諦めていいことと諦めちゃいけないことがあって、病を得てしまったことを受け入れて、それに向き合っていく時に自分の周辺にある有象無象をちゃんと見ている。

不謹慎だと思いながら、共感もしつつ面白く読んでしまったのだ。


2011.11.11:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]

(106)『はげまして はげまされて』

  • (106)『はげまして はげまされて』
竹浪生造(廣済堂出版 2011年)

「93歳 正造爺ちゃんじいちゃん56年間の まんが 絵日記」というサブタイトルがついています。

テレビ番組の「ナニコレ珍百景」で、その絵日記が紹介放映されてのだそうですね。

昭和27年に生まれた息子の元気な毎日に触発されて、それ以来、現在も味のある暖かい絵(まんが)で家族の日常を記録してきたのですね。

長生きしている中で、妻に先立たれ、娘に先立たれるという悲しみも経験されています。
また、つるっぱげの会というなんとも明るい集まり^^もやっていて、なんとも楽しい。
悲しみも、楽しみも、どちらも著者が人生を肯定的に生きている姿が見えてきます。

2011.11.09:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]

(105)『男と女の家』

  • (105)『男と女の家』
宮脇 檀 (新潮社 新潮選書 1998年)
2011.11.06:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]

(104)『路上探険隊 奥の細道をゆく』

  • (104)『路上探険隊 奥の細道をゆく』
路上観察学会:編(赤瀬川原平、藤森照信、南伸坊、林丈二、松田哲夫、谷口英久) JICC出版局 1991年

2011.11.02:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]

(103)『TOKYO図書館日和』

  • (103)『TOKYO図書館日和』
Library of Invitation

(冨沢良子  アスペクト 2007年)

東京都内と首都圏にある、公共図書館や専門的な図書館のガイドブック。

東京には、さすがに公共や民間を問わず、多種多様な図書館があるものだ。
一千万を超える人口が集まっている、国の首都なのだから当たり前といえばそうなのだけれども、じつに羨ましい。

そして、これも当たり前なのだけれど、先進的な施設や機能を兼ね備えているという点でも。

昨年、東京の千代田区図書館に行く機会があった。
ここは、まだ開館して5年ほどだったと思うのだけれど、千代田区役所のビルディングの10階11階の広いフロアーを取って併設されている。
同じ千代田区には古書街で有名な神保町があることから、その地域との連携がなされていた。
古書街の一角に、旧店舗を改装した、神保町の情報発信をする小さな施設がある。
そこに、図書館コンシェルジュが常駐しており、本の情報だけでななくて、神保町と千代田区の町の情報を教えてくれるのだ。

もちろん、図書館内にも司書さんとは別にコンシェルジュがいるのだ。

そこは、旅人でも時間を過ごすのにすごく良い場所であった。
指定管理になっており、大手の図書館業務運営の会社と日本最大手の洋酒メーカーが、この子会社が業務を分担していた。
いやぁ、すごいすごい。

さて、この本にも興味深い図書館がある。
例えば、「日清食品 食の図書館」「食の文化ライブラリー(味の素)」「紙の博物館 図書室」「旅の図書館」など。
これらは、東京ならではと言えるかな。

行ってみたいと思うのは「大宅壮一文庫」「国立国会図書館 国際子ども図書館」。

このうち、「大宅壮一文庫」には行く機会を得た。
編集者やライターなどが資料を探しに毎日のように大勢の利用者が訪ねてくる。
雑誌名や書名だけでなく、人名やニュース名などによるレファレンスも可能。
生きもののように毎日増殖する記事を分類整理が常になされているのだ。
それに、検索して出てくるまでの時間がとても速いという。

じつは、その作業の奥は人力でなされているという。
そこらへんが、今の時代にしてはアナログ的で面白かった。


さて、個性的な図書館は地方でもできないだろうか。
できるだろうと思う。
一般の図書館とともに、その地方でなければならない図書館。

米沢では、街中図書館を作ろうとしている。
どんな図書館ができるのだろうか、楽しみである。
もう一つの図書館は、地域情報を知ることができるコンシェルジュがいるような施設になったら面白いとおもうんだけどなぁ。
2011.10.18:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]