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(127)『シネマと書店とスタジアム』

  • (127)『シネマと書店とスタジアム』
沢木耕太郎:著(新潮社  2002年11月)

 映画と読書とスポーツ観戦という三つが、これが著者には人生を彩る大きな喜びであるわけで、これらに関するコラム集。
 その三つのものを味わう場所として、本のタイトルになっている場所にいれば人生はわるくない、というわけだ。

 「冬のサーカス」(第18回冬季オリンピック)というコラムがある。
 これは、長野オリンピックの観戦記。
 その最初の文は「開会式の敵は天候ではなかった」というもので、じつは、これをテレビで観ていた私もぼんやりと同じようなことを感じていたので、なるほどと思ったのだ。

 それは、オリンピック開会式という華やかで晴れやかな場が、じつに静寂に包まれた不思議なものであったからだ。

 その2年前に開催された、夏のオリンピックの「アトランタ大会」の開会式が過剰とも思えるド派手で、とても長い時間であった、ということも文章を読んで思い起こした。
 じつは、長野大会の開会式を演出することになっていた人が、それを見て過剰過ぎると感じたのは、納得がいくことであった。
 そして、長野。
 木の柱を用い、じつにシンプルな構成でだなぁと感じ、それから入場行進と進んだのだけれど、そこで会場が実に静かだなぁと、それがテレビを見ていての印象だった。
 たぶん、そうとうな寒さゆえ、観客は手袋をしていて拍手の音が聴こえないのではないのかな、というのがその時私が思ったことだ。結局、大盛り上がりすることもなく淡々とセレモニーは終了した。

 テレビでは、アナウンサーや解説者の話、テロップが流れたりということであったはずだから、それなりに盛り上げ効果はあったのだろう。
 実際に、この会場にいた筆者は、そうとうな違和感があったのだろう。最も盛り上がる場面で、あまりの静寂。やはり手袋のせいだろうと思ったようだが、よく見るとそうでもなく、観客が実にさめていたというのだ。

 地域というか日本人の気質にかかわるとか、演出上の拙さがあったのかということも挙げているけれど、本質的なところで、世界に向けて発信された「日本的なもの」に観客が欺瞞を感じとったのではないかと分析している。

 長野オリンピックから少し時間を経てこの文にであい、そうかそうかと腑に落ちたような気がした。

 

 
2012.01.14:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]

(126)『炭焼物語』

  • (126)『炭焼物語』
武野繁泰:作画 原作:宇江敏勝 (青林堂 2005年8月発行)

原作の『炭焼日記』を漫画化して刊行された作品。
昭和30年代頃まで盛んに行われていた炭焼の日常や、自然の中で動物や不思議な出来事との出会いなどを淡々と書き記したものであるらしく、コミックとしてはじつに地味な題材だと言っていいだろう。

紀州の奥深い山中で、どのように炭焼をして暮していたのか、炭焼とはどのような作業をするのか、実際に見たことがないものにとって、コミックで読めるのはわかりやすいものである。
コミックで見て、原作を読んでみたくなった。

自分が住んでいる田沢も、林業や炭焼で多くの人が生業を立ててきた山里である。
地域の山里の生活と文化を伝える手段として、画にして伝えることができたらいいだろうなと感じた。
2012.01.11:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]

(125)『もうひとつの野球』

  • (125)『もうひとつの野球』
ヨーロッパ球界地図

(軍司貞則:著  ベースボールマガジン社  1980年7月発行)
2012.01.08:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]

(124)『本棚・拝見』

  • (124)『本棚・拝見』
「書斎に見る、知性のプロファイル」というサブタイトルが付いています。

アスペクト編集部:編(アスペクト  1991年12月発行)
2012.01.05:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]

(123)『百年の愚行』

  • (123)『百年の愚行』
ONE HUNDRED YEARS OF IDIOCY

発行:Think the Earth Project
発売:紀伊國屋書店

(2002年4月)
2012.01.01:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]