NHKサービスセンター 編集・発行(2011年12月発行)
NHKテレビ BSプレミアムで、毎週土曜日 午前6時30分から放送中の「週刊ブックレビュー」。
1991年から放送を開始して、20年にもなったのですね。
放送時間が早朝ということもあり、この時間に見ることはあまりなく、何気なくテレビをつけたら再放送をしていて、それを観るというのがほとんどである。
それにしても、じつに地味な番組である。
基本は、司会者とアシスタントのアナウンサーがおり、その日のゲスト3人がそれぞれお勧めの本3冊の紹介をし、そのうち三冊のうち一冊を出演者が合評するというカタチ。
そのあと、ゲストの特集があり、話題作の著者であることが多い。
少なくとも、他の出演者のお勧め本も含めて5冊を呼んでこなければならないという、これ、けっこう出演するには、それなりに読まなければならないからたいへんだろうと思う。
司会者は3人が週替わりで交代で、これもちゃんと読んできているふうである。
いちばん長く、18年も司会者を勤めてきた俳優の児玉清さんが今年亡くなられた。
この方は、無類の読書家・本好きで知られており、司会をされている語りの端々に、その感じが出てきており、そのことも楽しかったものだ。
読書傾向が違うゲストがそろうことも、当然あるわけで、そのやり取りがけっこうドキドキする。
先週の番組でも、一人の作家が他の人のお勧め本について、「ぼくは、すいませんけど、60ページでギブアップしました。どうしても話に入って行けなくてね…。だから、あまりこれについては語れなくて…。」と言った。
それを受けて、もう一人の女性作家が、「実はこの物語は、かくかくしかじかで、一つ一つの寓話として楽しめばいいんじゃないでしょうか…」というようなフォローをしていた。
時には、ゲスト同士のバトルで、真面目に不穏な空気が流れたことがあったとか。
そういうシーンには出会ったことはないけれど、思いの擦れ違いとかぶつかり合いが本を通して楽しめたりもする。
この本の多くは、紹介されたブックリストになっている。
この期間の流行本の傾向や時代も見えてくる。
じつに地味に地道に20年。
続いてほしいテレビ番組の一つである。
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(131)『限界集落 株式会社』
黒野伸一:著 (小学館 2011年11月 発行)
この本を、書店の新刊書のコーナーで背のタイトルを見て、すぐ手を伸ばした。限界集落という題から、ノンフィクションかと思ったら小説だった。「ほう~」と思いつつその時は本の装画を眺めただけで元の位置に戻した。
「限界集落」
気になっている言葉である。
少なくても、5~6年はこの言葉を、仕事上でもよく聞いていた。
私が、過疎化している地区の公民館(コミュニティセンター)で勤務していたこともあり、限界集落と呼ばれている地域で、そこで生じる様々な問題に立ち向かって希望を与える小説…とはどんなものか、とても気になったのだ。
帯に、「過疎、高齢化、雇用問題、食糧自給率… 日本に山積する社会不安を一掃 逆転満塁ホームランの 地域活性化エンタテインメント!」と書いてある。
これは、読まねばなるまい、というわけで数日後また書店を訪れ購入した。
過疎化し、近隣の自治体と合併した村が舞台。
その村出身者の孫で都会育ちのやり手らしい青年が主人公(の一人)。
地域的なしがらみや人間関係があり、事業をするうえでの困難がある。
役人(町の職員)や農協という組織などとの軋轢。
村以外から(都会から)やってきた人と、もともと住んでいる人々との関わり。
様々な困難や事件に遭いながらも、限界集落と呼ばれている人たちの心がまとまり、事業を成功させていく。大まかにいうと、そういうストーリーになっている。
実際に思い当たることがけっこうあって、実体験が重なりあった部分が面白くもある。
都会から農業や林業などを担う人材を得るために、一定期間、体験する事業などというのも多くの自治体などで実施していることだし、市町村の合併は、平成の大合併でそうとうな村や町が併合されている。
足を引っ張る農業振興担当の町役場職員の姿は、いささか陳腐な感がないではないが、確かにいそうである。
まぁ、そういったことを含めてハッピーエンド的なこの小説は、希望を抱かせてくれるものかもしれぬ、のである。
その上で、改めて限界集落について思ってみる。
私のイメージにある限界集落とは、かつて数十戸あった地域がすでに耕作地(田んぼ)はすべて放棄されて荒れ果て、残った数戸には就学児はもちろんいなくて、若者すらいないし、地域の世話役をする人もいない、というものだ。
いささか極端かもしれぬが、実際にそういう集落があり関わってきた経験がある。過疎による様々な問題が起きて、それを解決しようとするとき、「なんで、ここに住んでいるんでしょうね」と関わるいろんな人(市の職員、業者さんなどなど)に言われたし、自分もそう思ったことがある。
そうしてみると、この小説の舞台になっている村は、限界集落なの?っていう思いがないではない。しかし、ここで事業をやって生きていこうというという意味で言うならば、限界集落と言っていいのかもしれない。「まだ俺たちには、ここで生きて行ける、夢を実現できる」っていいうよなね。
こうしてみると、かつてあった青年団の「演劇」のようなイメージになってきた。ちょっと青臭さを感じさせるというか。
行き詰まり感のある空気が漂う時代には、このベタなハッピーエンドストーリーが意外といいのかもしれない。
この本を、書店の新刊書のコーナーで背のタイトルを見て、すぐ手を伸ばした。限界集落という題から、ノンフィクションかと思ったら小説だった。「ほう~」と思いつつその時は本の装画を眺めただけで元の位置に戻した。
「限界集落」
気になっている言葉である。
少なくても、5~6年はこの言葉を、仕事上でもよく聞いていた。
私が、過疎化している地区の公民館(コミュニティセンター)で勤務していたこともあり、限界集落と呼ばれている地域で、そこで生じる様々な問題に立ち向かって希望を与える小説…とはどんなものか、とても気になったのだ。
帯に、「過疎、高齢化、雇用問題、食糧自給率… 日本に山積する社会不安を一掃 逆転満塁ホームランの 地域活性化エンタテインメント!」と書いてある。
これは、読まねばなるまい、というわけで数日後また書店を訪れ購入した。
過疎化し、近隣の自治体と合併した村が舞台。
その村出身者の孫で都会育ちのやり手らしい青年が主人公(の一人)。
地域的なしがらみや人間関係があり、事業をするうえでの困難がある。
役人(町の職員)や農協という組織などとの軋轢。
村以外から(都会から)やってきた人と、もともと住んでいる人々との関わり。
様々な困難や事件に遭いながらも、限界集落と呼ばれている人たちの心がまとまり、事業を成功させていく。大まかにいうと、そういうストーリーになっている。
実際に思い当たることがけっこうあって、実体験が重なりあった部分が面白くもある。
都会から農業や林業などを担う人材を得るために、一定期間、体験する事業などというのも多くの自治体などで実施していることだし、市町村の合併は、平成の大合併でそうとうな村や町が併合されている。
足を引っ張る農業振興担当の町役場職員の姿は、いささか陳腐な感がないではないが、確かにいそうである。
まぁ、そういったことを含めてハッピーエンド的なこの小説は、希望を抱かせてくれるものかもしれぬ、のである。
その上で、改めて限界集落について思ってみる。
私のイメージにある限界集落とは、かつて数十戸あった地域がすでに耕作地(田んぼ)はすべて放棄されて荒れ果て、残った数戸には就学児はもちろんいなくて、若者すらいないし、地域の世話役をする人もいない、というものだ。
いささか極端かもしれぬが、実際にそういう集落があり関わってきた経験がある。過疎による様々な問題が起きて、それを解決しようとするとき、「なんで、ここに住んでいるんでしょうね」と関わるいろんな人(市の職員、業者さんなどなど)に言われたし、自分もそう思ったことがある。
そうしてみると、この小説の舞台になっている村は、限界集落なの?っていう思いがないではない。しかし、ここで事業をやって生きていこうというという意味で言うならば、限界集落と言っていいのかもしれない。「まだ俺たちには、ここで生きて行ける、夢を実現できる」っていいうよなね。
こうしてみると、かつてあった青年団の「演劇」のようなイメージになってきた。ちょっと青臭さを感じさせるというか。
行き詰まり感のある空気が漂う時代には、このベタなハッピーエンドストーリーが意外といいのかもしれない。
(130)『泣き虫チエ子さん』 1
益田ミリ (集英社 2011年12月)
チエ子さんとサクちゃんという夫婦の、とっても普通の日常を描いた短いマンガです。
夫婦という、考えてみればとても不思議な関係なのだ。
まったく違う場所で育った男女二人が、何かの縁で一緒に暮らし寝食を共にするという(普通は)こと。
そんな二人の暮しには、楽しさや温かさ、切なさや哀しさというものがあるはずで、いっつも100%ハッピーでなどないだろうと思う。
この主人公 チエ子さんは泣き虫。
創造力が豊かで、それゆえ泣き虫なのだ。
今こうしている二人が、突然一人になったらどうしよう…そう想像しただけで切なくなってしまうのだ。
創造力、これはきっとお互いを思いやったり、自分が可愛かったりすることも全部含めて、お互いのちょっとした幸せを見つけるための能力なのかもしれない。
チエ子さんとサクちゃんという夫婦の、とっても普通の日常を描いた短いマンガです。
夫婦という、考えてみればとても不思議な関係なのだ。
まったく違う場所で育った男女二人が、何かの縁で一緒に暮らし寝食を共にするという(普通は)こと。
そんな二人の暮しには、楽しさや温かさ、切なさや哀しさというものがあるはずで、いっつも100%ハッピーでなどないだろうと思う。
この主人公 チエ子さんは泣き虫。
創造力が豊かで、それゆえ泣き虫なのだ。
今こうしている二人が、突然一人になったらどうしよう…そう想像しただけで切なくなってしまうのだ。
創造力、これはきっとお互いを思いやったり、自分が可愛かったりすることも全部含めて、お互いのちょっとした幸せを見つけるための能力なのかもしれない。
(129)『焔火』
吉村龍一:著(講談社 2012年1月発行)
第6回小説現代長編小説新人賞受賞作品の単行本化されてものだ。
南陽市在住の、新人作家のデビュー作である。
このところ小説が読めなくていたのだけれど、一気に読んでしまった。
昭和初期の東北地方のある寒村(山村)で話しが始まる。
その地方の描写が、どうやら置賜地方から日本海側の地方が舞台としているように感じられる。
村の中で、差別的な扱いを受けて、貧しい日々の暮らしを送っていた主人公が、あることから殺人を犯し、村を出奔して流浪するなかで出会う人々や、遭遇する事件の中で、生きてゆく姿を描いている。
差別やいじめに遭う中で、生きていることの苦しみ、苦しむ中でも生きる喜びも感じる。それは、肌のぬくもりであったり、人との出会いで会ったりする。
しかしそれすらも、後々味わうことになる苦しみの因縁として受け止めざるを得ないものになったりするのである。
暴力や性の描写において、ひじょうに生々しいというか凄惨な場面もあるのだが、それすらも人が生きるという根源的なチカラを表現するものと感じられる。
人の闇を描いているようでありながら、じつは、人は動物や植物にしても、他の命をいただいて生きているもの、いただかなければ生きていけないものという、仏教的な思想が、作者の根底に流れているような感がある。
久しぶりにドキドキして読み終えた。
第6回小説現代長編小説新人賞受賞作品の単行本化されてものだ。
南陽市在住の、新人作家のデビュー作である。
このところ小説が読めなくていたのだけれど、一気に読んでしまった。
昭和初期の東北地方のある寒村(山村)で話しが始まる。
その地方の描写が、どうやら置賜地方から日本海側の地方が舞台としているように感じられる。
村の中で、差別的な扱いを受けて、貧しい日々の暮らしを送っていた主人公が、あることから殺人を犯し、村を出奔して流浪するなかで出会う人々や、遭遇する事件の中で、生きてゆく姿を描いている。
差別やいじめに遭う中で、生きていることの苦しみ、苦しむ中でも生きる喜びも感じる。それは、肌のぬくもりであったり、人との出会いで会ったりする。
しかしそれすらも、後々味わうことになる苦しみの因縁として受け止めざるを得ないものになったりするのである。
暴力や性の描写において、ひじょうに生々しいというか凄惨な場面もあるのだが、それすらも人が生きるという根源的なチカラを表現するものと感じられる。
人の闇を描いているようでありながら、じつは、人は動物や植物にしても、他の命をいただいて生きているもの、いただかなければ生きていけないものという、仏教的な思想が、作者の根底に流れているような感がある。
久しぶりにドキドキして読み終えた。
(128)『家族を幸せにするインテリア』
大山直美 + オレンジページ編集部(講談社 2000年9月発行)
10年ぐらい前に「住まいをなんとかしなけりゃいけないかな」そんな気持ちで本屋の棚を眺めていた時に目に留まり手に取った。
オレンジページの連載をまとめた本なのだ。
だとすれば、自分の住む古民家のような家のインテリアにはちょっとむかないかもしれぬが。
中身をみれば、マンションなどの集合住宅の事情に合わせているという感じである。
しかし、風水のように、色とかちょっとした小物を置くとか、そういったことによる、まぁ運気を変えるというようなことでもないようである。
建築家やインテリアデザイナーなどのプロが、工夫やアイディアによって、快適に住むことができる工夫について書いているので、古い家でも応用できることがあるかもしれないと思って購入した。
以来、折にふれて、とりだしてはちょこちょことながめている。
読むというよりも、ながめてきたという感じである。
両親と私だけから、結婚して4人になり、そして子どもが生まれるということになり、またこの本を引っぱり出して眺めている。
家族仲良く暮す、だだっ広い昔の家をどのように活かすか、安全に住むためにはどうするか、などなど課題はいっぱいある。
何か参考になること、ヒントはないか、そんな感じでページをめくっている。
そうして約10年。
なかなか息の長い、使える一冊なのでありますね。
10年ぐらい前に「住まいをなんとかしなけりゃいけないかな」そんな気持ちで本屋の棚を眺めていた時に目に留まり手に取った。
オレンジページの連載をまとめた本なのだ。
だとすれば、自分の住む古民家のような家のインテリアにはちょっとむかないかもしれぬが。
中身をみれば、マンションなどの集合住宅の事情に合わせているという感じである。
しかし、風水のように、色とかちょっとした小物を置くとか、そういったことによる、まぁ運気を変えるというようなことでもないようである。
建築家やインテリアデザイナーなどのプロが、工夫やアイディアによって、快適に住むことができる工夫について書いているので、古い家でも応用できることがあるかもしれないと思って購入した。
以来、折にふれて、とりだしてはちょこちょことながめている。
読むというよりも、ながめてきたという感じである。
両親と私だけから、結婚して4人になり、そして子どもが生まれるということになり、またこの本を引っぱり出して眺めている。
家族仲良く暮す、だだっ広い昔の家をどのように活かすか、安全に住むためにはどうするか、などなど課題はいっぱいある。
何か参考になること、ヒントはないか、そんな感じでページをめくっている。
そうして約10年。
なかなか息の長い、使える一冊なのでありますね。