椎名 誠 : 著
(新潮文庫 2016年1月1日発行)
1960年の断層
岩村暢子:著 (新潮新書 2013年10月20日発行)
日本人を大雑把なくくりで分類してしまうのはそんなに好きではないのだけれど、1960年の断層という副題を見たら読まずにはいられない。
まさに、その年に生まれた私。
昭和35年を一つの断層として、日本人はどう変わってきたのだろうか。
1960年を一つの境として、新型と旧型の日本人と言う分け方で見る日本人論。
簡単にいくつかの例をあげてみよう。
○出産 「自宅出産ですか、施設(病院)出産ですか?」
○親 「お母さんは戦前教育、戦後新教育ですか?」
○家(家庭) 「年長者優先の『家』ですか、子供中心の『家庭』ですか?」
○両親の結婚 「見合い結婚ですか、恋愛結婚ですか?」
○理想の男性像 「黙っておれについて来い、優しくて理解のある人 ですか?」
さて、私に関して。
出産は母の実家で、医師の往診を受けて出産だそうですから、旧型寄り・・・ですか。
親は昭和9・10年生まれで、小学生の途中から戦後新教育を受けている。
年長者優先・・・これは我家がお寺で、世襲の跡取りゆえ、年長者優先傾向にあったと思う。
両親は恋愛結婚。
理想の男性像は・・・たぶん、俺について来い型かなぁ。
我家の関しては70%ぐらいかもしれぬ。
その他にも、家庭のテレビ普及度、兄弟の人数、インスタント食品、外食、受験などなど、思いつく点はただある。
地域差や家業などによってもまた違いはあるかもしれないが、数年の差で、大きな流れで言えば1960年を境にして違ってきたことは様々あるように思えるし、その後の家庭や地域や職場などで、個人と属しているものとのスタンスがなどが違って行っているというのは納得できる。
私たちは、国公立大学の入試制度、共通一次試験の第一期生である。
記述テストからマークシートの穴埋めテストに切り替わった最初の受験生。
そうそう、その対策で、文系の私は数学Ⅰだけしか必要としなかったし、理科は生物・化学・物理から選択というふうに、高校入学すると、共通一次対策として、受験に必要としないものは習わなくてもよかったのだ。
こうしたいくつもの変化は、1960年を境として、日本人を変え、日本は変わって来ているという、うなずける結論を導き出している。