12月5日(木) 晴れ時々曇り。
朝はぐっと冷え込んで、車のフロントがラズが凍っていた。
いよいよ、氷点下まで下がる季節である。
さて、この日も雑事に追われる日、とでも言ったらよいのだろうか。
その中から話題を二つ。
一つは、生前葬について。
お盆に、檀家の方から生前葬を行って、お世話になった方にきちんと礼を述べて、無くなったら簡素な葬儀を行いたいという相談があった。
その件で、先日、葬祭に関わる人に「何か例がないか?」と訪ねていたら、この日に資料を持ってきてくれた。
ただし、実際に行った例は今までたった1件のみとのこと。その説明をお聞きして、その方の生きてきた環境や置かれている立場などから、なるほど納得のいく形だなぁと感じた。
やはり、家族や身近な人との、置かれている立場などを考慮しながら納得できるように話し合って行うものであろうと思う。
伝統的に行われてきた葬儀の形が、必ずしも絶対的なものとは言えないかもしれない。
その反面、長く続けられてきたことには、それによって安心できたりするという側面があることも確かだ。
生前葬を希望している方は、それほど高齢でもなく、健康面で不安があるということでもないので、少々時間をかけてもよく考えて、私も調べて話しあってゆきたいと思う。
そして二つ目。
身近にちょっとした事件があり、考えさせられた(られる)こと。
居場所、ということ。
これは、ちゃんとした大人がとりあえず自分一人だけなら、住む場所もありなんとか生活できるほどの状況にありながら、生活が破たん状態になるって、なんなんだろう。
毎日、おとなしく一人でひっそりと暮らすことって、堪えがたいこともあるだろう。
そんなとき、とりあえずあんまりよろしくない場所であっても、自分が受け入れらている(そう思い込んでいる)所へ行く、というかたむろす。
結果的に、非常に良くない結果を招いたとしても。
これは、なかなか辛い。
福祉の問題というよりも、人の生き方に関わるから。
周囲の声など、耳に入らなくなってしまってるに違いない。
私は、死んでしまうよりまだいいかなぁ、なんて、思いもよぎり・・・。
でもやはり、良くはなく、解決の糸口、或いは出口が見えないのである。