5月6日(水) 晴れ 朝は肌寒く、日中は次第に気温上昇。
振替休日。世の中の多くの人は連休最終日でしょうね。
お勤めも、この日が正念場、のはず。
なんとかここまでたどり着いたのは、皆様のおかげ。
朝6時ちょい過ぎに電話・・・。
「ムムッ」とつぶやきつつ電話に出ると、やはり…、簗沢のお寺の檀家の方から、訃報。
準備をし、着替えをして、エイヤッと気合を入れて、葬祭業者さんの通夜ホールへ向かう。
その途中、長く取引きをしている業者さんのお宅に、白黒の幕がかかっており、嫌な予感がしつつ、とにかく枕経へ。
枕経のご供養と打ち合わせを終えて、8時半に帰宅。
さて、衣体(着物)を全て着替えて、気分も切り替えて、9時からのご祈祷に向かう。
入田沢地内の白夫平(しらぶだいら)で、お祓いとお祭りのご祈祷のお勤め。
かつて、この地域には40軒ほどの家のある集落で、三沢西部小学校の入田沢分校があった。
小・中学校ともあり、現在の本校以上に賑やかであっただろう。
現在、この集落には常時住んでいる家が2軒と、冬季間をのぞく季節だけ住んでいる家が一軒。家はあるけど、ほとんど空き家状態の家が2軒という状態になってしまった。
今日は、かつてこの地に住んでいた方が祀っているお社で、毎年恒例のお祭り。
そして、昭和20年代前半まであった元々の住居跡と、昭和60年代まで住んでいた住居跡と2か所のご祈祷も併せて行われた。
声はだいぶ音が出るようになってきたが、やはり、実感としては50%まで行っていないように感じる。
なんとか勤めさせていただき、昼食を御馳走になってお昼ちょい過ぎに帰宅。
午後は、さすがに少々くたびれて休憩。
葬儀は8日となり、その準備をして終了とする。
8日は、たいへんな一日になりそうなので、準備と休養を上手にしなければならぬ。
5月7日(木) 晴れ
今日は予定されたお勤めはなく、明日の準備に専念しなければならぬ。
ところで、昨日朝に気がついた、取引業者さんのご不幸、以前から病気療養中の息子さんがお亡くなりになったと、新聞の訃報欄で知る。
なんということか・・・。
20代で人生を終えてしまうなんて、悲しすぎる。
親御さんご家族の悲しみを思うと・・・ 合掌
準備の合間に、高齢でちょっと体調などがよくない方から電話があり、お宅を訪問してきた。
思ったほど悪くはない様子に安心したが、時々様子を見ながらお話しをしていこうと思う。
お昼に、用があって簗沢のお寺へ行く。
ちょうどよい機会なので、先日の総会時に懸案とされていた「保呂羽堂」の雪害の状況を見に行った。
墓地から、真っ直ぐ急な石段を50m以上登らなければならない。
ヤッコラショ!と登ってみると、なるほど、だいぶやられている。
これはけっこうかかりそうである。なにしろ、この階段を上り下りして、材料も人力を主に上げなければならないだろうからなぁ。
さて、どうしたものか。
この集落の方々を主に検討し、別当になっているお寺としてもバックアップできるようであればいいのだが。
壊してしまうのは簡単なことだ。
この場所に建てた意味があるはずだ。
集落をはるか下方にみて、向うの山まで眺められる素敵な場所だ。
多くの人に協力をいただくことになるかもしれないが、なんとか修理できないもbのだろうか。
夕刻からは、相方が会議で出かけたため、子守。
爺ちゃん婆ちゃんにもお世話になって夕食を食べたのだが、なぜかお風呂に入らいという。
仕方がないので今日はお風呂お休みで、寝かしつけしながら、自分も寝てしまう。
夜中にまた起きだし、ご葬儀の準備をなんとか終わらせて、仮眠へ。