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鎌倉

  • 鎌倉
古都 鎌倉は、お寺や神社といった日本的な風情が漂う街並みに、外国人観光客も多いし、落ち着いたお洒落さもあり、年配から若い人も訪れる人が多い。

そうとう(もう忘れたくらい)久しぶりに江ノ電に乗った。

鎌倉のもう一つの顔は、文人に愛された町だということ。
目の前には海、内陸側にはそう高くはないが、山が迫ってみどりも豊か。
そして、歴史的な建物も残っており、景観や環境に配慮された町づくりがなされていて、なんともいえない落ち着きを感じる。



都心に遠からず近からずという距離感がいいのかもしれぬ。
街歩きを楽しむところ。
お店もそういったことを意識して造られている。

暑さに汗を流しつつ、街歩きを楽しんだ。
2011.07.02:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

  • 雨
久しぶりに東京へ出かけてきた。
去年の夏以来なので、約1年ぶりになる。

井上ひさしの芝居「雨」が新国立劇場で上演されていて、それを観るのと、いくつかの用があってのことだった。

暑い。
やはり米沢の暑さとは質が違う。
都会は、これから9月までの3ヶ月、節電ということもあり、いかに暑さ対策をするのか、本当に大変だと感じる。
もともと、エアコンや電気を使うことを前提に建物が作られているし、空間や樹木が少ないのだから。


さて、芝居のために作られている劇場で観る芝居は、やはりよい。
アプローチから中に歩を進めるうちに、その気分が盛り上がってくるのがわかる。

山形が舞台で、紅花が芝居の一つの要素でもあるため、ロビーにはたくさんの紅花が飾られ、写真を撮るスポットになっていた。
川西の地酒「樽平」も花を添えていた。

中入りの20分を含む3時間半は、かなり長い時間ながら、充分に楽しむことができた。
山形の方言がこの芝居のポイントであり、いい感じの置賜近辺の言葉になってだったぜっし^^
2011.07.02:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

夕涼み

  • 夕涼み
薄ぼんやりしていて、ピンボケでもあるんですけども、家のネゴたち外に出て適当な距離をとって、夕涼みしている(みたい)です。

冬は暖かいとこを知ってて、夏は涼しいとこをよく知ってる。
ネゴはおもしゃいですね。
気分の良いことを好みますもの。

夏至が過ぎて、少しづつ陽が短くなっていく。
まぁだそれほど感じませんけど、一日一日短くなっていきます。

出遅れた裏の畑も、なんとかなるべとおもってるんだけれど、また猿がやってきた。
隣近所で、ロケット花火がバーン!バーン!!バーン!!!って始まったから、また家に来るのかと思って出てみると、もうすでにやられていた(--;



ジャガイモの茎を引っ張って、10株ほど倒されていた。
ようやく小イモがくっ付きだしていて、食べるでもなく、放っていった。
近所の畑は、網で囲ったり、電気柵をめぐらしてもいるとこもあるから、来やすいんだろうなぁ。
けど、食うものがまだないのになぁ。

まだ、大丈夫そうな株を植え直し、やっぱり自衛しなけりゃならんなぁと、つぶやく。
言葉の通じない相手に、張り紙したり、法を盾にしても通じないものなぁ。

さてどうしたものかなぁ。
2011.06.30:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

母の誕生日

  • 母の誕生日
昨日、村山地方に住んでいる知人から「さくらんぼ」が送られてきた。
届いたこととお礼の電話を電話をすると、今年3月以来の声を聴き、なんだか懐かしい感じがした。

母の誕生日なので、朝食の時「(今夜)何か食べたいものはあるか?」と尋ねると「あぁほだ、誕生日だもなぁ。いやいや75歳にもなるのかぁ」と言う。
私は「ちがうちがう、76才だごでぇ」と訂正した。
母は「あれっ」という顔をし、父は「ほら、んだがら言ったべ」と、ほれみろという顔をした。
朝食前に、歳のことで夫婦で悶着があったらしい。
昭和10年の生まれなので、確かに76歳だということで納得した。

さくらんぼを食卓に出すと、「おれ、昔の記憶あるせいか、あんまり食べなくてもいいんだ」と、毎度おなじみの話を始める。
子どもの頃、実家でもがせられて、美味しいところはよそにやって、酸っぱいところばっかり食べさせられたから…ということらしい。

毎回いろんな場面で出てくる話のパターンが同じになってきている^^;
年齢の思い違いといい、なんだかやっぱり歳をとっているんだなぁ。
2011.06.28:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

福島市へ通院

  • 福島市へ通院
水曜日に福島市の県立医大病院へ母のお供をして行ってきた。
震災以降3回目になる。

ほぼ一カ月に一回の通院。
この病院の眼科に通うようになって4年。
福島県内はもちろん、隣県や北関東などからも患者さんか来ていて、外来はたいへんな混みようになっている。

しかし、さすがに震災以降は、その数が減ってきているように感じられる。
被災された人が多いことや原発に関する不安が原因ではなかろうかと想像している。
福島市の南側に位置するので、おそらく原発からの距離は60km足らず。しかし、この病院はドクターヘリが在駐している高度救急救命を担っている大事な施設でもある。

目に見えない、放射性物質の不安を感じながらも、たいへんな役割を担っている病院なのだ。

福島市内は、内陸部なので全国的なニュースでは出ていないが、大きな揺れを観測して、家屋や道路など大きな被害が出たいたのだ。
今は、一見何事もなかったように見えるが、よく見ると壊れている家屋で、補修されていないところや、道路の段差を補修しているところがいたるところにある。

医大病院近くの比較的新しい住宅地では、傾いたままの家屋がまだ放置されている。

見えない怖さにおびえながら、県庁所在地としての機能を維持しつつ、また子どもたちの将来を憂いながら、福島市は、市民は日々を過ごされているんだろうなぁ。
2011.06.25:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]