HOME > なあまず日記

混沌から夜のしじまへ

  • 混沌から夜のしじまへ
7日(水)・8日(木)は無我夢中のうちに、とにかく二日間が過ぎてしまった。

住職である父が、「今年は山に行ってお勤めできそうにない」ということで、準備やお勤めを、一つ一つ今まで分担してきたことを背負ってしまうことにあり、これはこれでなかなか大変なものだということがわかった。

いつの日か、こうしたことになることはわかっていたのだけれど、いざなってみないと本当にわからないことがあるものだ。

わが家から約10kmほどの山中にあるお堂に、荷物を運び、準備万端のつもりが忘れものもあり、ちたぱたと動きまわるしかなかった。

7日朝の6時に、親愛なるSさんKさんに電気の配線をしていただいて、そこからはずうっと動き続けたいた。

同級生で親友のWくんが、7日の午前中から夜中(8日になっていた)まで手伝ってもらって助かった。
持つべきものは友である。

それに、お天気にも恵まれた(やっぱ、晴れ男の面目躍如!)。

そうして、夕方から8時頃までは、一般の参拝の方があり、夜の10時にお堂内でのご祈祷。
引き続き、外で柴燈護摩。




わたくし、まるで怪異現象おこしているよう(エクトプラズム?!)

でも、これ、㋗がカメラをブラしてしまっただけみたいです^^;



ご祈祷を終えたのは0時近く。
なんとかお勤めを終えることができました。
参拝いただいた皆さん、先輩山伏のZ師やR師のお力を頂いて、無事にご祈祷を成満することができました。

残った方々とお茶を飲みながら話し、残った三人が眠りについたのは二時ちょっと前でした。

虫達の音と、川のせせらぎだけが、夜のしじまに静かに響いておりました。

2011.09.09:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

ちから

  • ちから
ドタバタと、大荒沢の山の中と、お寺やコミセン、街中で用を足して、走り回っていたら真夜中になってしまった。


台風は過ぎ去ったようで、このあたりはありがたいことに、何もなく終えた(ようだ)。
外は、空気がひんやりして来て、日向の方がよくなってきた。
ネゴっだはじつにわかりやすいなぁ。

しかし、紀伊半島ではたいへんなことになっている。

二十数年ほど前に、熊野古道をたどるように、友人と車で旅してきたことがあった。

五条から大塔村、田辺、本宮、那智勝浦などをまわってきて、山の奥深さと歴史の奥行きみたいなものを感じてきたっけ。
東北の山奥とは違う。
雪が少ないだけに、そうとうな所で暮らしてゆけるものだと、自分が山里に住んでいることを忘れて、感心したものだった。

その山間の町や村や集落が、洪水と山崩れで分断されて、孤立状態になってしまい、しかも多くの死者や行方不明者が出ているという…。
今年は、どれだけ自然の威力を見せ付ければ気が済むのであろうか…。





大荒沢のお堂では、半袖でじっとしていると、寒いぐらい。
買い物があって、お寺に戻って市内まで行くと、体感で3℃ぐらいは違っているんじゃないかと思う。





またお堂に戻ってお弁当。
精進のお弁当、美味い、美味い。
肉・魚・卵を使わないで一週間というのは、作る方がたいへんなのだと思う。

んでも、食べたくなるな^^;

お腹がくちくなって、昼寝。
青空の下で昼寝とは、なんと贅沢なこと。

毎年、飯坂から夜中にお参りに来ている方が、「明日は来られないから」と参拝して、震災のことなどをしばし話して帰られた。

午後と夜に会議が一つづつあって、何度も山を下りてくるので、準備が進まない。



明日の夜中の参拝者はいるのなかなぁ?などと思いながらこんな時間になってしまった。
今年は、お祭りでちゃんとご祈願できることが大事なのだ。
そんなことを考えながら、もう寝なくてはならぬ。
2011.09.07:dentakuji:コメント(2):[なあまず日記]

ご精進

季節の変わり目、という感じがます。
今朝は蝉の音が聞こえません。

一昨日まので身体の不調感がなくなったのは、台風が遠のいていくのと関係があるのかなぁなどと考えてみる。
それにしても、紀伊半島をはじめとして、関西周辺の台風の被害が酷い。
今年は自然の猛威を感じさせられる年だ。



昨日の午前中は、お祭りのための準備などをしつつ、少しのんびり過ごし、午後から同じ地区の洞松院さまの檀家さまのお葬式の伴僧のお勤め。

先日まで元気に畑に出ていらっしゃったお婆ちゃんで、8月末に急に体調を崩され、6日間ほど入院してお亡くなりになった。
なんだか実感が伴わないのだが、遺影の中のその方はそこで微笑んでおられた。

お日待ちという、家内の神様のご祈祷をさせていただいてまわっている中で、代々昼食を頂く宿としてお付き合いさせていただいていた。
私だけども、かれこれ25年にもなる。
86歳になっておられて、十日ほど前まで元気でおられたと思うと、切ないけれども見事な旅立ちであったようにも感じた。



そのお婆ちゃんが毎年お参りしてくださっていたお不動さまのお祭りももうすぐだ。

お祭りを前に、肉と魚と卵を食べない期間に入っている。
お葬式の檀払いで、和尚さま方と気の置けない隣組の方々に「なんにも食われるものないべした」とからかわれながら席におりました。
「いえいえ大丈夫、大丈夫」
あらためてお料理をみると、なかなか食べるものがないものです。
お精進って、家ではそれほど気にならないけれど、外食となると難しいものですね。

「あとっつぁま(和尚さん)、誰さも言わねがら食ったらいいべぇ^^」

「いやいや、そういうわけにはいがねなよっし^^;」
と、ちょこっとグラグラしながら海苔巻きとかんぴょう巻きをごっつぉになってきたのでした。
2011.09.06:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

黒森瀧不動尊

沢に降りて、ごつごつした石の上を歩いたせいで、疲れたようだ。
土曜日の午後はゴロゴロして猫のように休んでしまった。

普段の運動不足と体重増加はますます深刻…これはいかん(--;
疲れが体調不良というかたちになって表れる。

精神はすごく爽やかだが身体が追いつかない。
これを「歳だなぁ」というのか。
いやいや、まだまだだと思うのだが…



さて、昨日の日曜日は、大荒沢の川向かい、黒森にある滝不動のお祭り。
ここにはもう住んでいなくて、米沢市内に住んで、毎年この時期にお祭りを続けられている。

ここは、弘法大師がこの地にやってきて、ここの樹の下で一夜を過ごされた場所とのこと。
これまた千二百年も前のことなのだ。



もともと一軒家で暮らしていたのだが、国道から道を下って小樽川を渡り、また山の方へ登ってゆくという場所に建っている。
冬は想像もできないような難所である。
このお宅の息子さんは三十歳代の後半なのだが、小学一年生の三学期までここで暮らしていたとのこと。

過疎化で近くにも家が少なくなり、とうとう米沢市内へ引っ越しを決めたとのことだった。
それでも、祖父にあたる方は二十年ほど前までそこに住んでおられたものだった。





周囲には住んでいる人は少なくなったけれど、大師山は悠然としてそこにあります。
このお堂を守っているお宅は連綿として続いております。
2011.09.05:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

御滝行(おたきこう)

  • 御滝行(おたきこう)
大荒沢の奥の院は、お堂から沢をさらに遡ったところの滝です。
お大師さん(弘法大師)が、向かい側の山(大師山)の頂上で行を行っているとき、大荒沢方面を眺めると素晴らしい霊地があると喜び、お不動さまを勧請されたそうです。

そう伝えられています。
いまから、千二百年も昔のお話し。

そこが、大荒沢の御滝(大滝)。
滝そのものがお不動さまであると言われています。
今から40~50年ぐらい前までは、大滝参りをする人が大勢いたそうです。



私が田沢に戻ってきた24歳のとき(25年以上も前^^)、初めて御滝に一人で行きました。
そのころは、もう御滝参りをする人はおりませんでした。
それから自分はほぼ毎年のように行くようなりました。

一般の人が行けるようにしたいものと思い続けていて、公民館に務めてから事業としは行くことができました。

有志として、支えてくださっている方々も、子どもの頃に行ってから○十年も行ったことがないとか、初めてという人がほとんど。

それで、この二年間はいろんな事情があり行けなかったこともあり、希望者を募って道の確認をしながら行くことに。



声掛けして参加を希望する方の集合時間は8時。

田沢の気もめる方々^^;
8時まで待ってられません^^;
先発隊で出発。

私、後発隊で行きました。

沢に降りると、風が違います。
空気がかわります。

谷間の樹の間から見える空が…。



こちらは小滝。
ここにも、お不動さまが。

滝らしい姿です。

大滝はまったく別な姿なのです。



こんなふうに沢の中を歩いて行きます。

残念ながら、自然の力で御滝は姿を変えています。
上流の樹の伐採や、近年多い局地的な激しい雨などのせいのように感じます。

御滝は残念ながら掲載できないのです。
来年からは恒例の行事にできればいいなと思っておりますので、ご縁がありましたらおいでください。

2011.09.04:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]