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9月11日(日) 晴れ 暑かった

  • 9月11日(日) 晴れ 暑かった
9月11日(日)、晴れ、暑くなった。

澄んだ青空、電線にとまった赤トンボ、まさに秋晴れであります。

東日本大震災発生からちょうど6ヵ月。
それに、アメリカ ニューヨークで起きた同時多発テロ事件から10年。
そう、もうそんなに経ったのだ。


こうして、青空を眺めながらのほほんとしている自分というものの今の立場で、何ができたのかとか、これから何ができるんだろうなぁと考えたりしている。

今ここでできること。
人やあらゆるものの命の大切さを説いて行くことであったり、正義という御旗のもとで人の命を奪う(奪われる)ということがないうよう説いて行くことではなかろうか。

ただ自然災害という抗いがたい力の前には、ほんとに無力感を感じる。
どうしたらよいのだろうかと呆然となる。
しかし、制御しがたいものを、便利さの果てのない追求のため、正当化して使ってゆくことには異を唱えてゆきべきなんだろう。
今まで目をそらしてきたことを、ちゃんと見ることが大事なんだろう。


法事があり、午前中から供養を行い、お昼の会食に招かれて午後に帰ってきました。
ご供養を終えてから、上に書いたようなことを皆様にお話をしました。
まだ、十分に練られたお話ではなくて、聴き良いお話しではないと思ったのですが、この日は想いを単純に語ってみようと思い、話してしまいました。

会食の席で、久しぶりにお昼からお酒を頂きました。
そこで、やはり皆さんの心にも、何かしらわだかまっている気持ちとかがあって、感想などを聴かせていただき、とりあえず話して良かったのかもしれないと感じた。





雨が降らなくて、畑とかあちこち乾ききってます。
草は伸びなくなっていいんですが、暑い。




ネゴ達も、日陰でぐん伸びでます。


夜は、ほんとに一年ぶりぐらいに七輪を出して、外でご飯を食べた。
震災の影響や、自らの思わぬ不始末、相方㋗の妊娠というようなことで、ずうっとできないでおりました。
友人たちと、満月に近い月を眺め、やや涼しい風を感じながらテーブルを囲みました。



ほんとに久しぶり。
それでも、最後は震災に遭った人と、そこをどう復興させることができるか、というような話題に。
答えの出ない問いなのですけどね^^;
夜は更けていくのでした。

2011.09.12:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

祭りを終えて

  • 祭りを終えて
9月10日(土)、晴れ。
またまた早朝、6時から大荒沢のお不動さまのお祭りのために掛けた舞台の解体と片づけのために、有志の皆さんに集まっていただき、作業を終えた。
今年は、準備から通してお天気に恵まれた。

30分余りで終了。

このお堂は、昔からこうして維持されてきたはずである。

もともとは、この入田沢地区に住んでいた最大時100戸ぐらいの時には、この地区の代表の手によってなされ、戸数が減ってくると全戸から出て作業などにあたっていただいた。
そして、もうすでに5戸しかない現在は、田沢地区の有志の方によって維持して頂いている。

これからも有志や仲間によって支えられていかなければならないし、そのための努力をしていかなければいけない。



お堂の中には、まだ使われている、こんな三宝がある。
昭和5年に祈願施主の方によって奉納されたようだ。
こういったものが、幾つもあって、このお不動さまに願う(祈る)気持ちや、願をかけたお礼の心がカタチとして残されているのだ。

この不動尊堂の別当として何ができるのか、よく考え、一つ一つ実行してゆきたいものだ。


大荒沢に一軒だけ住んでらっしゃる。
このあたりに山を持ち、お堂の維持に昔から大きな力を注いでいただいている。
今、周囲の山に木を伐り出していて、参道脇に積まれている。

参道は、この家の私道を通らせていただいているところと、米沢市で作った林道の二つある。
今は、私道の方が楽に通れるのでそちらが優先されている。
しかし、近年、自由に道が通れるため、ゴミの不法投棄などが目立ち、昨年からこの地主さんは日常の通行を制限するため、チェーンを張るようになりました。
ただし、参詣の場合はこちらに連絡いただければ参拝可能ですので、ご連絡ください。

山に入る人のマナーをよくして、また自由に通行できるようお願いをしてゆきたいと考えておりますので、おいでの方ご了承ください。
2011.09.12:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

グッ タイミング

  • グッ タイミング
とにもかくにも、9日の午前中でここしばらく続いていた慌ただしい時間に一息つくことができた^^

そうしたら、電話。
なんと、福島県内に住む学生時代の同級生にして親友のAからだった。
「今、ナビであと10kmのところにいるから、11時までには家に着くから、よろしくね」ということ。

おいおい、なんて急で、なんてタイミングのよいこと。
「おう、わかった待ってっからよ」

福島県の沿岸部に住んでいて、震災の被害を受けて事故を起こした福島原発の10km以内であったため、退去して、今は福島市内の借家に住んでいる。
たいへんな目に遭っているのだ。
学生時代からその原発の危険なことと反対していることを彼から聴いていた。

しかし彼は深刻な話にはならず、「東電さまのおかげで、仕事も暇でお陰でふだん行けないところへ出かけられる。いやぁありがたい」と、皮肉たっぷりに話しているところが、○十年前とちっとも変っていなくて嬉しい。

もっとも、3か月前に会って話したんだけどね^^;



市内の「山大前やまとや」で中華そばを食べて、風のように去って行った。
お祭りを終え、精進明けでよかった。

彼のこれからと福島県の皆さんの未来が、必ず幸福が訪れることを祈っとります。


そして、さらに夕刻からは、日頃からお世話になっている、尊敬するO氏の受賞祝賀会に出席。


一番入口(出口)に近い席だったので、お祝いしつつ気楽に楽しませていただきました。


上杉城址苑、さすがですね、季節のお料理「芋煮」がついております。
麦酒も「モルツ」いいですね。

というわけで、お精進の反動が出て、美味しくごっつぉになってきました。
Oさん、おめでとうございます!(って、ちょっと、とって付けたみたいでしたかね?!)
2011.09.10:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

町内のお祭り

  • 町内のお祭り
さて9日もお天気とお寺のお勤めが続いています。

町内の鎮守の神様のお祭りで、各戸から朝仕事のお掃除に出て、私はその数か所でご祈祷をさせていただきます。

春と秋のお祭りが毎年行われており、夜は公民館で直会なのです。


まず、町内の外れに位置する山の頂上に登り、虚空蔵さまの前でお掃除とご祈祷。
毎年交代で登山するのですが、毎年同じような質問とご意見。
「神様に下に降りてきてもらえないべが」と息をきらして誰かが言うと、「いやぁ、神様は上げるのはいいげんど下ろすのは良ぐねぇ」と誰かが応じています。

私も、25年以上続けて登ってますけど、年々厳しいなぁと感じてます。

神佛は、本来あるところにあるのが一番自然なのだと思いますが、祀ることができないのではそれも意味がない。
みんなで反しあう時期が来たら、ちゃんと話しあうようにすればいいと思う。


ご祈祷を終えると、お寺の前のお明神さまの前に全員が集合して、解散。

私は引き続き、各所のご祈祷。





お寺の裏山の中腹にある金毘羅様。
大きな杉のご神木と、でっかいブナの木が待っていてくれます。





最後は、町内の西の外れにある山の神さま。
ここでのお勤めを終えて、10時をまわったところ。
これで、一息つくことができました。

今回は、100円ショップのローソク(真んなか)をつかってみたのですが、燃えるのが少し早いのと、融けたローソクの色が白い。
両側のローソクは、その前に立てられていた今まで使っていた市販の物。
やはり、値段なりに作られているのでしょうね。


2011.09.10:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

未熟

  • 未熟
お月夜の、寒い夜が明けると、8日の朝はスカッ晴れ。

お堂の中で寝ていた私は「グァーン、グァーン…」というワニ口を叩く音で目が覚めた。
「うむむ…何事か…」この日最初の参拝者が打ち鳴らした音だということに気がつき、状況を理解し毛布をとって、居住まいを正した。

午前5時半だ。
3時間ぐらいは眠れたようだ。

それからしばらく、車でわざわざ参拝に来てくれる方々のお参りが続く。



お堂の後方から、山の奥の彼方にある御滝に向かって遥拝。
見事な晴れになった。

8日は、午前10時からのご祈祷。
お昼を終えると、お堂の片付けを始める。

平日ということもあり、午前中はポツリポツリと参拝の方があるものののんびりとお堂で過ごした^^;



秋の例祭のお勤めを主になって行うのは初めて。
お不動さまと向かい合って…、自分はまだまだ未熟だなぁ。
ほんとうに、ちゃんと向かい合うことができていない…、そう感じた。
次の機会はいつであろう。


未熟といえば、昨晩取材にやってきた地方新聞社の記者さんはずいぶん若い人であった。
こんな小さなお堂の、ひそやかなお祭りのことなど、知らないのは当たり前である。
きっと、上司に「行って来い」と言われてきただけなんだろうけど、社会人になったばかりなのだろう、取材対象になる人もわからず挨拶もおぼつかない、しかも予備知識が全くない人で、しかも、ご祈祷が始まるバタバタしているところを、相手の状態も気がつかないようであった。
できれば、いかに地方の新聞社であっても、もうちょっと社内教育をなされてはどうかという感じがした。

ただ、ご祈祷の後のお茶のみに入って、人懐こさがある若者であった。


いい歳をした私も未熟である。
この次、あの記者とまた逢う機会があるかどうかわからぬが、次はもうすこしましな出会い方をしたいものだ。


片づけを終えて寺に戻ったのは夕方の6時過ぎ。
夕暮れ、ようやく二日間が終えた。

協力していただいた方々に感謝である。

2011.09.09:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]