12月22日(木) 雪のち曇りから晴れ。 夕刻からまた雪。
朝は、微妙な雪の量で、除雪機を出そうか出すまいか、悩んだけど結局出した。
市道は除雪車で掃いていったので、入口に雪がたまっているしなぁ。
ただし、気温が上がり湿気の強い雪ゆえ、どうも面白くない。
こんな時によくピンを切ってしまう。
2度も切れると、こちらが切れそうになる(--;
それでも天気は回復。
昼前に除雪を終えた。
22日は冬至。
一年で陽が一番短くて、夜が長い日。
この日を境に、だんだんと陽が長くなって行く。
実際は数日間 ずれがあるみたいですけどね^^;
けれど、私は陽が長くなるだけで、しだいに気分が軽くなるような気がするのです。
たとえ、これから雪が本番だとしてもです。
当時といえば、アズキ南瓜煮であります。
母親が昨夜からコトコトと小豆を煮ておりました。
アズキ南瓜を食べると中風(脳内出血など)にならないと言われていたものです。迷信かもしれませんが、わが家ではそう言って健康を祈って食します。
皆さまのお宅はいかがですか?
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もったいない
もう30年以上使っている本堂のお参りをするところに下がっている蛍光灯。
年季が入っていて、スイッチが壊れたりするのだけれど、直せばまだ使えるのであります。
エコっていうことを考えたら、もう、LED照明器具に替えればいいのかもしれないのだが、使えるものを捨てて新しくするのは、本当にエコなんだろうか?!という思いもあって…。
まぁ、お金がないのでなかなか買えないというのが本音ですけどね^^;
敬愛する電気屋さんのSさんに、壊れたスイッチを治してもらった^^
「1年ぐらいもつんでないかい^^」
「おいおい、1年きりかね~」
電気屋さんにしてみれば、こんな古いのは取り換えた方がいいよって思いますよね。
でも、ちゃんと直してくれるので、ありがたいありがたい。
いただきもの2連発。
Sさんから相方がいただいてきた、栗とサツマイモのタルト。
全部手作り、素朴な甘さでうんまい!^^
福島のAさんから送られてきた、スモークサーモン入りのマリネ。
うんまい!
思えば、わが家は昔から、できるだけ物は長持ちさせて、戴きものをありがたく食すというのが普通なのであるようです。
年季が入っていて、スイッチが壊れたりするのだけれど、直せばまだ使えるのであります。
エコっていうことを考えたら、もう、LED照明器具に替えればいいのかもしれないのだが、使えるものを捨てて新しくするのは、本当にエコなんだろうか?!という思いもあって…。
まぁ、お金がないのでなかなか買えないというのが本音ですけどね^^;
敬愛する電気屋さんのSさんに、壊れたスイッチを治してもらった^^
「1年ぐらいもつんでないかい^^」
「おいおい、1年きりかね~」
電気屋さんにしてみれば、こんな古いのは取り換えた方がいいよって思いますよね。
でも、ちゃんと直してくれるので、ありがたいありがたい。
いただきもの2連発。
Sさんから相方がいただいてきた、栗とサツマイモのタルト。
全部手作り、素朴な甘さでうんまい!^^
福島のAさんから送られてきた、スモークサーモン入りのマリネ。
うんまい!
思えば、わが家は昔から、できるだけ物は長持ちさせて、戴きものをありがたく食すというのが普通なのであるようです。
歳末気分
12月21日(水) 晴れ、のち曇りで小雪舞う。
今月も下旬に突入し、いよいよ歳末気分になってきた。
外へ出かけるお勤めがなくて三日目。
それでも、お寺にお仏供米をお供えいただいたり、お歳暮に来て下さるお客さまがおいでになるので、それなりに暇ではないものだ。
それに、煤払いというか片づけをしているうちに、あっと言う間に時間が過ぎてしまうのだ。
北側の裏の屋根に雪がたまってしまい、落ちないでいる。
もうそろそろ突っついてやらなけりゃならない。
量的には微妙なところだ。
すこし天気がいいと、かんじたせいで雪の表面がキラキラ輝いて、景色もいい。
長靴はいて、ちょっこら裏山を歩いてみた。
あちこちに、動物の足跡が見える
相方が休みに入っており、家にいる時間が多くなった。
といっても、だいぶお腹が大きくなり、身体をかがめたり中腰という姿勢は大変そうにしている。
朝食の食卓で、亡くなった家の祖母の話になった。
私の父は8人兄姉の下から二番目。
今の世の中ではビックリする人数だけど、昭和一桁の当時ではさほど珍しいことではなかったようだ。
「本当によく産んで育てたものだなぁ」と思う。
私の母が「ばばちゃ(私の祖母のこと)が、何かじじちゃ(祖父のこと)に言われて気でないとき(機嫌がよくない時)に」こんなこと言っていて可笑しかった」という。
祖母「8人も生ませらっちたいへんだ…」
祖父「生ませらっちゃ?!」
ふだんは穏やかな祖父が気色ばんで、祖母に言い返していたものだったという。
とても茶目っ気のある祖父だったから、ゼスチチャーかもしれないけどもね。
いずれにしても、8人も子どもを産んで育てるのってすんごいことだなぁと思わずにはいられない。
たちまちお昼になり、今日はうどん。
先日の法事でいっぱいいただいてきた折詰の海老天&海老フライを冷凍していたものを乗せて、なんとなく豪華。
自分のは海老フライうどん。
町の立ち食いそば・うどんのメニューみたいですよね。
今日もいただき物をありがたく美味しく食しているのであります。
今月も下旬に突入し、いよいよ歳末気分になってきた。
外へ出かけるお勤めがなくて三日目。
それでも、お寺にお仏供米をお供えいただいたり、お歳暮に来て下さるお客さまがおいでになるので、それなりに暇ではないものだ。
それに、煤払いというか片づけをしているうちに、あっと言う間に時間が過ぎてしまうのだ。
北側の裏の屋根に雪がたまってしまい、落ちないでいる。
もうそろそろ突っついてやらなけりゃならない。
量的には微妙なところだ。
すこし天気がいいと、かんじたせいで雪の表面がキラキラ輝いて、景色もいい。
長靴はいて、ちょっこら裏山を歩いてみた。
あちこちに、動物の足跡が見える
相方が休みに入っており、家にいる時間が多くなった。
といっても、だいぶお腹が大きくなり、身体をかがめたり中腰という姿勢は大変そうにしている。
朝食の食卓で、亡くなった家の祖母の話になった。
私の父は8人兄姉の下から二番目。
今の世の中ではビックリする人数だけど、昭和一桁の当時ではさほど珍しいことではなかったようだ。
「本当によく産んで育てたものだなぁ」と思う。
私の母が「ばばちゃ(私の祖母のこと)が、何かじじちゃ(祖父のこと)に言われて気でないとき(機嫌がよくない時)に」こんなこと言っていて可笑しかった」という。
祖母「8人も生ませらっちたいへんだ…」
祖父「生ませらっちゃ?!」
ふだんは穏やかな祖父が気色ばんで、祖母に言い返していたものだったという。
とても茶目っ気のある祖父だったから、ゼスチチャーかもしれないけどもね。
いずれにしても、8人も子どもを産んで育てるのってすんごいことだなぁと思わずにはいられない。
たちまちお昼になり、今日はうどん。
先日の法事でいっぱいいただいてきた折詰の海老天&海老フライを冷凍していたものを乗せて、なんとなく豪華。
自分のは海老フライうどん。
町の立ち食いそば・うどんのメニューみたいですよね。
今日もいただき物をありがたく美味しく食しているのであります。
生かされてる
12月20日(火) 晴れ
朝方はとてもかんじた(寒かった)のだが、雪は夜半にやんだらしく、対して積もっていなかった。
今シーズンの雪は一気に来ないので、朝必要な場所を雪かきして、食後にたまった雪を片づけるというような調子である。
画像は、伝国の杜の南側の街路樹。
午前中に、駐車場と屋根から落下してたまった雪を除雪機で飛ばして、とりあえず終了。
お昼はお弁当。
「ごはん、味噌揚げ、ホウレン草と玉子炒め、ミニトマト、鰤の味噌漬け、舞茸とこんにゃくの煮物」
友人からの頂き物で、なんとも食卓が豊かになってる。
ありがたいことです。
そうしたら、浪江町から福島市に避難している友人から宅配便が届いた。
開いてみると
(^0^/
サーモンのセット…
彼は毎年、太平洋から浪江町の請戸川に帰ってくる鮭を送ってくれていた。
今年は、北海道の知床のものを送ってくれたらしい
なんだか泣けてきそう
自分とこがすごい被害に遭いながら、こうして気遣ってくれるんだものなぁ
ありがたくいただくことにいたします。
上杉神社の周囲もすこしづつすこしづつ、雪が積もってきましたね。
冬至まであと二日だ。
朝方はとてもかんじた(寒かった)のだが、雪は夜半にやんだらしく、対して積もっていなかった。
今シーズンの雪は一気に来ないので、朝必要な場所を雪かきして、食後にたまった雪を片づけるというような調子である。
画像は、伝国の杜の南側の街路樹。
午前中に、駐車場と屋根から落下してたまった雪を除雪機で飛ばして、とりあえず終了。
お昼はお弁当。
「ごはん、味噌揚げ、ホウレン草と玉子炒め、ミニトマト、鰤の味噌漬け、舞茸とこんにゃくの煮物」
友人からの頂き物で、なんとも食卓が豊かになってる。
ありがたいことです。
そうしたら、浪江町から福島市に避難している友人から宅配便が届いた。
開いてみると
(^0^/
サーモンのセット…
彼は毎年、太平洋から浪江町の請戸川に帰ってくる鮭を送ってくれていた。
今年は、北海道の知床のものを送ってくれたらしい
なんだか泣けてきそう
自分とこがすごい被害に遭いながら、こうして気遣ってくれるんだものなぁ
ありがたくいただくことにいたします。
上杉神社の周囲もすこしづつすこしづつ、雪が積もってきましたね。
冬至まであと二日だ。
いま地域の片隅で
12月19日(月)、朝方は雪が上がって晴れ、午後からしだいに曇りで雪が降ったりやんだり。
19日は、父方の祖母の命日。
昭和44年、居間の囲炉裏端で、大工さんたちに3時のお茶出しをしている途中、気分が悪くなって倒れ、医者の往診を受け、その場に一週間 意識が回復しないまま亡くなった。
まだ71歳だった。
自分は9歳の時のことで、倒れた時も家におり、状況をよく覚えている。
午前中、お寺の周囲と境内の除雪をしてお昼、北朝鮮の最高指導者(だったよね)金正日氏が亡くなったというニュースが流れた。
北朝鮮のテレビのあの女性アナウンサーが、涙を流さんばかりの慟哭のような声でニュースを報じている映像であった。
開かれていない彼の国はこれからどうなるのであろうか。
午後は、地域づくりの手法に関する話しを聴く小さな集まりに呼ばれ、地元の大学の准教授のお話をきいた。
これは、かねてからこの地区の地域づくりプランの作成をするということで助成金をもらい、それを実行するための相談を持ちかけていたものだった。
大学には地域づくりに関わる研究部門があるのですね。
この准教授は実際に各地で地域づくりプランに関わり、フィールドワークを積んでおり自信を持っておられるようである。
今回の話は、地域づくりプランの作成から計画の実施という流れを、5年計画で進めてゆくその手順を示すものだった。
取り立てて目新しいものではない。
けれど、その実施案の中身には、手法として、地域とその事務局が元気に事業を進めて行くための実際的な智恵が加味された提案であるように思った。
机上でのみで考えたものではないことが、話からも伝わってくる。
ただし、あくまでも進めていくための方法論である。
「地域づくり」という言葉は、もう仕事としても20年ぐらい自分でも使い続けている言葉なのだ。
地域づくりってなんだ?
便利に(安易に)使うたびに、これはいったいなんだろうなぁという思いをしてきたことは事実なのだ。
その間(20年間)、田沢地区は50戸200人余り減少して、いまだ減少し続けている。
申し訳ないのだが、地域づくりの手法が間違っていたのか、人や戸数の増減とはまた別ものなのか、いまだわからぬ。
はからずも、コミセン(公民館)職員の職を辞してからも、そういった地域に関わることにも首を突っ込んでいる。
しかし「地域づくり」の現場から離れてみると、「地域づくり」という言葉はとんと使わないでいる(いられる)。
日常生活とはかい離した言葉ではないのだろうか。
もうちょっと、毎日暮らしていく日々の中で心に響くフレーズはないものかと思う。地域をつくるために、とか、国家をつくるために生きているのではないのだろうし。
暮らしやすい地域や国について考えると、きっと、あまり頑な過ぎる思いや大げさなスローガンというものは役に立っていないのではないか、その点で地域も国も同じなのではないのかなぁ。
全ては日常の些事から始まっているのではなかろうか。
19日は、父方の祖母の命日。
昭和44年、居間の囲炉裏端で、大工さんたちに3時のお茶出しをしている途中、気分が悪くなって倒れ、医者の往診を受け、その場に一週間 意識が回復しないまま亡くなった。
まだ71歳だった。
自分は9歳の時のことで、倒れた時も家におり、状況をよく覚えている。
午前中、お寺の周囲と境内の除雪をしてお昼、北朝鮮の最高指導者(だったよね)金正日氏が亡くなったというニュースが流れた。
北朝鮮のテレビのあの女性アナウンサーが、涙を流さんばかりの慟哭のような声でニュースを報じている映像であった。
開かれていない彼の国はこれからどうなるのであろうか。
午後は、地域づくりの手法に関する話しを聴く小さな集まりに呼ばれ、地元の大学の准教授のお話をきいた。
これは、かねてからこの地区の地域づくりプランの作成をするということで助成金をもらい、それを実行するための相談を持ちかけていたものだった。
大学には地域づくりに関わる研究部門があるのですね。
この准教授は実際に各地で地域づくりプランに関わり、フィールドワークを積んでおり自信を持っておられるようである。
今回の話は、地域づくりプランの作成から計画の実施という流れを、5年計画で進めてゆくその手順を示すものだった。
取り立てて目新しいものではない。
けれど、その実施案の中身には、手法として、地域とその事務局が元気に事業を進めて行くための実際的な智恵が加味された提案であるように思った。
机上でのみで考えたものではないことが、話からも伝わってくる。
ただし、あくまでも進めていくための方法論である。
「地域づくり」という言葉は、もう仕事としても20年ぐらい自分でも使い続けている言葉なのだ。
地域づくりってなんだ?
便利に(安易に)使うたびに、これはいったいなんだろうなぁという思いをしてきたことは事実なのだ。
その間(20年間)、田沢地区は50戸200人余り減少して、いまだ減少し続けている。
申し訳ないのだが、地域づくりの手法が間違っていたのか、人や戸数の増減とはまた別ものなのか、いまだわからぬ。
はからずも、コミセン(公民館)職員の職を辞してからも、そういった地域に関わることにも首を突っ込んでいる。
しかし「地域づくり」の現場から離れてみると、「地域づくり」という言葉はとんと使わないでいる(いられる)。
日常生活とはかい離した言葉ではないのだろうか。
もうちょっと、毎日暮らしていく日々の中で心に響くフレーズはないものかと思う。地域をつくるために、とか、国家をつくるために生きているのではないのだろうし。
暮らしやすい地域や国について考えると、きっと、あまり頑な過ぎる思いや大げさなスローガンというものは役に立っていないのではないか、その点で地域も国も同じなのではないのかなぁ。
全ては日常の些事から始まっているのではなかろうか。